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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.16

馬という生き物の力は圧倒的だった。


二人を背負ってもなお、その強靭な四肢は湿った土を蹴り上げ、薄暗い街道を飛ぶように駆け抜けていく。




十分に距離を稼いだところで、エンヴァは手綱を引き、馬の歩みを緩めた。




「……寒いわ。服を着るから、一旦止まるわね」


その言葉で、セトの意識は「必死の逃走」から「現在の状況」へと引き戻された。




そして、今更ながらに気づいてしまったのだ。 目の前の主が、透けるような薄い肌着一枚であったことに。




そして自分は、そんな彼女の細い腰を、振り落とされないためとはいえ、背後から必死に――それこそ片時も離さず――抱きしめ続けていたことに。




「も、申し訳ございませんっ……!!」


セトは火を噴きそうなほど顔を赤くし、慌ててその腰から手を放した。あまりの勢いに、馬の背から転げ落ちそうになる。




「いいのよ。……止めるわよ」


エンヴァはセトの狼狽など切り捨てるように冷淡だった。




馬を降りると、リュックに押し込まれていた野良着を無造作に着込み、その上から防寒用のマントを羽織る。


夜風にさらされた彼女の白い肌が隠れていくのを、セトは安堵と、言葉にできない一抹の寂しさが混ざった複雑な思いで見つめていた。




同じ頃、二人が去った宿屋では、地獄のような朝が始まっていた。




一階の酒場で発見された、盗賊たちと宿主の無惨な「遺体」。




茨に心臓を握りつぶされた主人の死に顔は、この世のものとは思えない恐怖に歪んでいた。




「お頭……! クソッ、あのガキども、やりやがったな!」


他の部屋に泊まっていた残党の4人が、冷たくなった「親分」を囲んで怒号を上げる。


繋いでいた馬が一頭消えている事にも気づく。




「……まぁ、ここまで来れば森はもうすぐそこよ。馬の足跡なんて、この先の湿地で消えるわ。あいつらにわたしたちの足取りは追えない」




エンヴァは昇り始めた朝日に向かって、不敵に口角を上げた。




追手の心理や地形までを計算に入れたその判断力。




セトは、マントを翻して歩き出す彼女の背中を、もはや単なる「主人」としてではなく、神聖な何かに触れるような、憧れの眼差しで見つめるしかなかった。




馬の背に揺られながら、森特融の湿った冷気を切り裂いて進む。


エンヴァのマントが風にたなびき、その後ろで必死にしがみつくセトの指先には、まだ彼女の体温の残滓が感じられていた。




「エンヴァ様は、馬もお乗りになれるんですね……」


感嘆の混じったセトの問いに、エンヴァは前を見据えたまま、事もなげに答えた。




「簡単よ、こんなもの」


チラリと肩越しに、後ろの少年を見やる。


その黄金の瞳には、ほんの少しの悪戯心か、あるいは冷徹な期待が宿っていた。




「……この馬は、あなたにあげるわ。練習なさい」


「……っ!」


セトの身体に衝撃が走った。


元奴隷の少年が、資産価値としても莫大な「馬」を下賜されるなど、通常の社会ではあり得ない。




文字通りの僥倖。




「僕に……この馬を、頂けるのですか!?」


「馬車の手綱を握るだけでは、私の従者としては失格よ。……せいぜい、今度は私を後ろに乗せて走れる程度にはなりなさい。期待しているわよ?」




「はい……! かしこまりました、エンヴァ様!!」


セトは手綱を握り直す自分の手に、かつてないほどの重みを感じていた。




「私を乗せて走れ」――それは、彼女の命を預かる「騎士」になれと言われているに等しい。


少年の胸に、忠誠という名の熱い炎が灯る。








そんなやり取りをしている間に、街道を縁取っていた光は次第に遮られていった。


周囲の木々は、空を覆い隠すほどに太く、禍々しくうねり始め、湿った土と古い魔力の匂いが鼻腔を突く。


二人はついに、目的地「森の奥」へと足を踏み入れた。


エンヴァが指先をかすかに動かすと、目に見えぬほど薄い「霧」が森の奥へと吸い込まれていった。それは彼女の触角であり、道標だ。




「……こっちよ。馬を連れていらっしゃい」




馬を降りた二人は、幾年月も人の立ち入りを拒んできたであろう深い草叢をかき分けて進む。


エンヴァの足取りには迷いがない。




まるで、この森の構造をあらかじめ知っているかのような、あるいは森そのものが彼女を招き入れているかのような、不思議な一体感があった。




やがて、視界がふっと開けた。 そこは、周囲の禍々しい大樹に守られるように存在する、小さな円形の空間だった。




「……~♪」


セトは、自分の耳を疑った。




エンヴァの唇から、微かな鼻歌が漏れたのだ。


その横顔は、遠足に来た少女のように、どこか幼く、そして純粋に「充足」しているように見えた。




「セト、この紫色の花の根を集めて。


それから、この斑点のついたキノコを見つけたら、傷つけないように摘んでおいて」


「え、あ、はいっ!」




「……ふふ。誰もここには来ていないのかしら。とても豊かで、いい森ね」


エンヴァは愛おしそうに大気を吸い込む。




他にも採取するべき野草を教わったセトは言われた通りに馬を頑丈な枝に繋ぎ、彼女が指定する植物や菌類を丁寧に採取し始めた。




「……セト、あなたはここで作業を続けて」


不意に、エンヴァの声から温度が消えた。


彼女はセトに背を向けたまま、さらに深い森の暗がりを見据えている。




「え? エンヴァ様、どこへ……」


「……少し片付けてくるだけよ。」


言い残し、彼女の細い背中が木々の影に溶けていく。




その先――。




馬の放つ生暖かい獣臭に惹きつけられ、二頭の巨大な狼の魔物が、牙からよだれを垂らしながら待ち構えていた。




銀色の毛並みを逆立て、地を這うような低い唸り声を上げるオスとメス。森の捕食者として君臨してきた彼らにとって、迷い込んできた少女は、絶好の「獲物」に見えたに違いない。





「……あら、とても綺麗な毛皮ね」




暗がりに潜む二頭の魔狼が、音もなく地を蹴り、その鋭い牙をエンヴァの喉元へ突き立てようとした瞬間。




……グシャ、と。 何かが爆ぜるような微かな音と共に、狼たちの瞳から光が消え失せた。




重力に従い、物言わぬ肉の塊となって地面に叩きつけられる。


外傷はない。。




「……とても立派」




エンヴァはその見事な銀色の毛並みを、愛おしそうに、けれど冷徹な鑑定士の目つきで撫でた。


次の瞬間、彼女は迷いなく身に纏っていた作業着を脱ぎ捨てた。




木漏れ日に照らされた白磁の肌が、再び露わになる。




肌着一枚という、およそ狩場には似つかわしくない姿で、彼女は手慣れた手つきで短刀ナイフを握り直した。




「エンヴァ様ー? エンヴァ様ー?」


主のあとを追い、馬を引いて森の奥へと足を踏み入れたセト。




彼が目にしたのは、幻想的で、かつ凄絶な光景だった。


美しい銀髪を振り乱し、顔から足の先まで、返り血で真っ赤に染まりながら、淡々と狼の皮を剥ぎ取っていくエンヴァの姿。




「エンヴァ様……ッ! ご無事ですか!! 何があったのですか!?」


悲鳴に近い声を上げて駆け寄るセトに、エンヴァは視線すら向けずに言い放った。




「……あなたも手伝いなさい。服が血で汚れるわよ、脱いでおきなさい」


「えっ……あ、はいっ!」


呆然としながらも、セトは言われるがままに服を脱ぎ、丁寧に畳んで脇に置いた。




裸になった少年は、血の匂いが立ち込める中、主の指示に従って狼の太い脚を持ち上げる。 エンヴァのナイフ捌きは、恐ろしいほどに正確で、迷いがなかった。


日が完全に落ち、周囲が深い闇に包まれる頃。 そこには、見事なまでに一枚に繋がった、二頭分の銀色の毛皮が積み上がっていた。




「見事な……毛皮ですね、エンヴァ様」


「高く売れるわ。……助かるわね。明日は小川を見つけて、身体を洗いたいわ」




疲労の色を見せつつも、どこか満足げなエンヴァ。


セトは、水筒に残ったわずかな水を布に浸すと、震える手で彼女の前に跪いた。


「お脱ぎください、エンヴァ様。せめて、少しばかりでもお拭きします……」




その言葉に、エンヴァは抗うことなく素直に真っ赤に染まった肌着を脱ぎ身を委ねた。


焚き火の爆ぜる音が響く中、赤く揺らめく炎に照らされた、産まれたままの血まみれの少女。




セトはその凄惨な汚れの中に、言葉を絶するほどの「神々しさ」を見出していた。

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