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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.15

それは、セトにとってはかつて奴隷として生きていた頃に叩き込まれた悲しき習性だった。


奴隷は太陽が水平線から顔を出す前に目を開けなければ、その日の糧の半分を奪われる。


理不尽な飢えの恐怖が、今のセトに「日の出前の目覚め」という、皮肉にも有能な従者としてのリズムを刻ませていた。




しかし、今日。




目覚めたセトを待っていたのは、冷酷な主人からの鞭ではなく、あまりに甘美で、あまりに過酷な「重圧」だった。




(……っ!?)


セトは、叫び出しそうになる喉を必死で抑え込んだ。




視界を埋め尽くしているのは、この世のものとは思えないほど整った、少女の顔。


帝国中の王侯貴族が、その美貌を一目見んがために全財産を投げ出すとさえ噂される「絶世の皇女」。


その、つややかな桜色の唇が。


自分の吐息が届くほどの、わずか数センチの距離にある。




「……エンヴァ、様……」


微かな掠れ声さえも、静寂を壊す大罪のように思えた。




セトは己の体の状態を把握しようとして法外な幸運に、心臓が跳ね上がった。




セトの右足は、エンヴァの滑らかな右足にがっしりと絡めとられている。


それどころか、彼女はセトの細い体を抱き枕か何かと勘違いしているのか、半ば覆いかぶさるような姿勢で深く眠りについていた。




野良着越しに伝わる、驚くほど柔らかで、確かな熱量。


規則正しく、けれど時折ふわりと漏れる、可愛らしい寝息。




(……動けない。……いや、動いちゃいけないんだ)


セトは石像のように固まった。




ここで身じろぎ一つすれば、エンヴァは目を覚ましこの奇跡のような「重圧」は消えてしまう。




窓の外が、ゆっくりと藍色から薄紫へと溶けていく。




朝日が昇るまでの、世界が静止したような数分間。


セトは、自分の人生で最も長く、そして最も幸福で恐ろしい「数分間」を、ただじっと耐え抜くしかなかった。



窓の外、地平線の端がわずかに白み始めたその瞬間。 エンヴァの長い睫毛が、蝶の羽ばたきのように微かに震えた。


セトは息を止めた。




(あ……目が、覚める……っ!)




心臓の鼓動が耳の奥で早鐘を打つ。




至近距離で見つめ合う形になるこの状況。

言い訳など通用しない。




不敬罪か、あるいは即座に「堆肥行き」の宣告か。

セトは最悪の事態を覚悟し、ギュッと目を閉じた。


だが、次に彼を襲ったのは、冷酷な言葉ではなかった。




「……んぅ……っ」


湿り気を帯びた、甘い吐息がセトの鎖骨のあたりを撫でる。




パチリと半分だけ開いたエンヴァの黄金の瞳は、まだ深い微睡まどろみの霧の中にあった。




彼女は目の前にある「温かな塊」――すなわちセトを、現実の人間だとは認識していない。




「……だるい……まだ、ねるわよ……」


掠れた声で小さく毒づくと、エンヴァは驚くべき行動に出た。




絡めていた右足にさらに力を込め、細い両腕でセトの首筋をがっしりと抱きしめたのだ。


まるで、お気に入りの大きなぬいぐるみを、誰にも渡さないと主張するように。




「ふ、ふぁ……!? エ、エンヴァ様っ!?」


「……しずかに。……うごかないで……」


ぐい、と。




エンヴァの顔がセトの胸元に埋められる。




吸い込まれるような彼女の髪の香りが鼻腔をくすぐり、薄い野良着越しに彼女の体温がダイレクトに伝わってきた。




二度寝。




「魔女」による、無自覚で暴力的なまでの「二度寝の誘い」だった。




セトはもはや、石像を通り越して「思考停止した人形」と化していた。




(……む、無理だ。これ以上は、僕の心臓が保たない……!)




だが、抱きしめられた腕の力は意外なほど強く、そして何より、自分を頼り切って眠りに戻ろうとする主の重みが、あまりにも愛おしかった。




(……あと五分。いや、あと一分だけ……)


セトは、朝日の光が部屋に差し込むのを、これほどまでに「遅らせてほしい」と願ったことはなかった。






その10分後。


「パチッ」


静寂を切り裂くような、鮮烈な音が聞こえそうな勢いだった。




エンヴァの大きな瞳が、鏡面のような鋭さを持って開かれる。


つい数秒前まで、天使のような寝顔と柔らかな体温を間近で享受していたセトは、その射抜くような視線とぶつかった瞬間、心臓が口から飛び出しそうになった。






「うわぁっ!?」


情けない声を上げながら、セトは弾かれたようにベッドから転げ落ちた。




昨夜から今朝にかけて、どれほど密接に、どれほど甘美に「拘束」されていたか。


その記憶が頭をよぎり、顔が沸騰しそうなほど赤くなる。




だが、ベッドの上に座り直したエンヴァは、乱れた髪を無造作にかき上げると、氷のような表情でセトを一瞥した。




「……何をしているの? 出発するわよ」


「え、あ……は、はい!?」


驚愕したのはセトの方だ。




先ほどまで




「だるい……」




と呟き、自分を大きなぬいぐるみのよう抱きしめていたあの少女は、どこへ行ったのか。

エンヴァは何事もなかったかのように、手際よく野良着のボタンを留め、旅の支度を整えていく。




(……忘れてる……? いや、なかったことにしてるんだ……!)




「さっさとなさい。日の出から一分遅れるごとに、あなたの朝食のパンを一口分ずつ削るわよ」


「ひ、ひぇぇ! すぐやりますっ!!」




甘い余韻に浸る暇など、魔女は与えてくれない。


セトは慌てて荷物をまとめ、忘れ物が落ちていないか確認する。




そそくさと宿屋を後にする二人。


朝日を背に受けて歩き出すエンヴァの背中は、いつもの「不機嫌な皇女」そのものだったが、セトだけは知っていた。


自分の右腕に残っている、確かな温もりと重みを。









日の出と共に出発する事はある種理に適っていた。


野党は朝には働かない、逆に治安維持のために巡回する騎馬隊などは朝から真面目に街道を往復していたりするのだ。




宿屋を出発してから一気に五時間。


幼い二人の足には過酷な強行軍だが、魔女の足取りに乱れはない。


街道の脇、手頃な岩場を見つけると、二人はようやく腰を下ろした。




「どうぞ、エンヴァ様。昨日の……その、戦利品です」




セトが差し出したのは、昨日野盗から「徴収」した干し肉だ。


エンヴァはそれを受け取ると、薄い唇で端を小さく食いちぎり、残りの半分を無造作にセトへと突き出した。


「……あなたも食べなさい。」


「え、あ……ありがとうございます!」




主が口にした「お下がり」という名の、セトにとっては「お宝」。


彼がそれを拝むように見つめていると、エンヴァは呆れたように鼻を鳴らした。


「早く食べてしまいなさい。今日も次の宿場まで歩くつもりだから、体力を残しておかないと」


主の命令には逆らえない、セトは干し肉を口に放り込む。




噛みしめるたびに、塩気と共に不思議な活力が体に染み渡るような気がした。


それが肉のせいか、それとも「半分こ」にしたという事実のせいかは、セトにも分からなかった。


再び歩き出した二人を、街道を行き交う人々が奇異の目で見守る。


そんな中、一台の乗り合い馬車が彼らの横で止まった。




「子供二人で大変だろう。実家が近いなら、乗っておゆき。金はいらんよ」


御者台に座る老人の親切に、セトが戸惑っていると、エンヴァは一瞬で「悲劇のヒロイン」の顔を作り上げた。




「……ありがとうございます。実は、途中まで保護者と一緒だったのですが、急病で亡くなってしまいまして……。二つ先の村にある実家まで、何とか二人で帰ろうとしていたところなんです」




(な、流れるような嘘だ……!)


見てきたような嘘を、一滴の涙さえ混じりそうな声で語るエンヴァ。




老人は「ああ、なんて可哀想に……」と深く同情し、快く二人を馬車に招き入れた。

揺れる馬車の中で、セトは隣に座る主の横顔を盗み見る。




魔法だけでなく、言葉一つで大人を、そして世界を欺いてみせる。

これが「世渡り」というものか


――セトは、帝国のどんな学問よりも深い「生きる術」を、彼女の背中から学び取っていた。






乗り合い馬車の恩恵は大きかった。




用心棒を連れたその馬車は、森に潜む小規模な野党すらも寄せ付けず、二人は予定を大幅に繰り上げて次なる宿場へと滑り込んだ。




見慣れぬ土地の、見慣れぬ天井。


だが、部屋に閉じ込めた二人の空気は、どこか昨夜よりも濃密で、それでいて奇妙な規律に満ちていた。




「セト、お願い」


エンヴァの短い一言。




それは、もはや二人の間の「儀式」として定着しつつあった。




彼女は迷うことなく野良着を脱ぎ捨て、その白磁のような肌と控えめな乳房を晒す。


セトは、昨日のような狼狽えを胸の奥に押し込んだ。




(……これは、不敬な行為じゃない。僕は、世界で最も美しい『美術品』を管理しているんだ)




セトは、自分にそう言い聞かせた。


濡れた布を滑らせるその手つきは、淫らな好奇心とは無縁の、至高の宝玉を磨き上げる職人のような敬意と執念が籠もっていた。




汚れ一つ、曇り一つ許さない。

エンヴァの曲線が、セトの献身によって月の光を反射し、より一層の神秘を帯びていく。




「……ふぅん」


エンヴァは目を細め、自分の体を検分するセトの真剣な眼差しを、ただ静かに受け入れていた。


この日の食事は昨日よりは幾分か質の落ちる、冷めたスープと硬いパン。

それを黙々と胃に流し込み、二人は昨日と同じように一つのベッドへと潜り込んだ。


エンヴァは、当然のようにセトを「抱き枕」として手足で絡め取り、セトもまた、慣れた手つきでその小さな肩を抱き寄せる。




星々が頂点に達し、世界がもっとも深く沈んだその時異変は起こった。






「おい、本当にそんなに上物なんだろうな?」


「はい、ちょっとあれは見ないです。」




1Fの酒場で宿屋の主人と話ているのはこのあたりを根城にしている盗賊。




「あれは高く売れますぜ、まだ子供ですが2~3年もすればいい女になりまさぁ。」


「逃げられる前にふんじばって連れて帰ればすげえ儲けになりますぜ」


男の身長は2メートルを超える




「そんなにいいなら、売るのももったいねえな」


「へい、親分の娼婦にしてもいいかもしれませんぜ!」




宿屋の1階。

安酒の臭いと脂ぎった欲望が渦巻く場所で、卑劣な取引が成立していた。


「……2メートル超えの巨躯を持つ盗賊」と「客を売る宿主」。




彼らにとって、二人の子供は棚からぼた餅のような、極上の「商品」に過ぎなかった。




「クソッ! 用心深いガキだ、扉がびくともしねぇ!」


ドアウェッジ――


セトがドアの前に叩き込んだ楔が、外からの暴力的な侵入を完璧に阻んでいた。




男たちが苛立ちを募らせ、扉を壊そうとしたその瞬間。




パチリ、と。


エンヴァの黄金の瞳が開いた。


腕の中では、セトが安心しきった顔で無邪気な寝息を立てている。




自分を守ると誓い、冷たい水を被ってまで理性を保とうとした少年の、幼い信頼の結晶。


「……だるいわね。こんな時間に」




エンヴァは音もなくベッドを抜け出した。




肌着のまま、スリッパを突っ掛ける。


足元に転がっていた金属の楔を、つま先で軽く横に蹴り飛ばした。




カチリ、と小さな音がして、抵抗の消えたドアがスーッと吸い込まれるように開く。




「おっ、開いた……っ!?」


驚き、身構える男たちの前に現れたのは、恐怖に震える少女ではなかった。


月光を背負い、神々しいまでの美貌を湛えた、無表情な「美の化身」。




「シー……」


エンヴァは、眠るセトの方を指差し、唇に人差し指を当てた。




「私の執事を起こさないで」


――その声音には、逆らうことを本能的に拒絶させる威圧が宿っていた。




男たちは、毒気に当てられたように言葉を失った。


目の前の少女のあまりの美しさと、可憐さ、そしてあまりの不自然さ。




「……こ、来い! 声を出すんじゃねえぞ!」

盗賊が震える手で彼女の細い手首を掴む。


抵抗はない。




エンヴァはまるでお散歩にでも出かけるような足取りで、男たちに引かれるまま、薄暗い1階へと階段を下りていった。




1Fの酒場では3人の男達が待ち構えていた。


肌着一枚のエンヴァ、その白い肌と完璧な造形。


ヒューと口笛が流れる。




「こいつは本当に上物ですね、親分」


「ああ、売り飛ばすのがもったいねえや」


そう言いながら宿屋の店主に銀貨を何枚か放り投げた。




「ひっひっひ、たまんねえな」


男の一人がエンヴァの控えめな胸をわしづかみにするが当の本人はそれを黙って見ている。




エンヴァは拒絶もせず、ただ冷徹な黄金の瞳で、その無礼な指先を見つめていた。




「……なの?」




「あぁ? 何だ、てめえ」




「……この宿屋も、グルなのね?」


返ってきたのは、肯定代わりの下卑た笑いだった。




だが、その笑いが止まることは二度となかった。


(……全く。どいつもこいつも、ワンパターンね)




エンヴァが心の中で吐き捨てた瞬間、三人の男たちは糸の切れた人形のように白目を剥き、バタバタと床に崩れ落ちた。


心臓を直接握られたかのような、音もなき処刑。




「ヒ、ヒィィィッ!!?」


腰を抜かした宿主が逃げようとした足元から、漆黒の茨が爆発的に猛り狂い、その四肢を無慈悲に絡めとった。


「……で、どう落とし前をつけてくれるの? 私たちは、ただゆっくり休みたかっただけなのに」




「わ、わかった!宿代は返す!それで、な!」


ズレた答えに少し腹を立てたエンヴァは茨を増量させ腰まで繁茂させた。

グサグサグサグサグサグサ


茨のトゲが柔らかい腹に刺さり悲鳴が響く。


宿屋の主人に顔を近づけるエンヴァ


「そうじゃないでしょう、いい加減にしないと死ぬわよ」

激痛で半狂乱になっている主人。




「わ、わかった!好きなものを持っていけ!それで手打ちだ、な!だからここから出してくれ!」




エンヴァはその願いを無視し、動かなくなった男たちを跨ぎ、二階の部屋へと戻った。


部屋に戻りセトを叩き起こす。




「出るわよ。支度しなさい」


「え、あ、むにゃ……?」




パチン!




まだ夢の中にいたセトの頬を、エンヴァは容赦なくひっぱたいた。




「え、はい! 起きました! すぐやります!」


寝ぼけ眼のセトに、倒れた盗賊たちの財布から「路銀」を徹底的に回収させる。




それが終わるのを見届けると、エンヴァは一階で茨に悶絶する主人を見下ろした。


「……『何でも持っていけ』って、言ったわよね」




その言葉が最後だった。


主人の心臓をエンヴァの魔力の手が握りつぶす。


「子供だからって、舐めるんじゃないわよ」




冷たい一言を遺し、エンヴァは戸棚にある焼き立てのパンを顎で指した。




「そこにパンがあるわね。朝食にするからカバンに詰めなさい。……セト、行くわよ」


「はい! エンヴァ様!」

裏切りの宿屋からは主人の命と丸パンを一つ徴収し外に出た。


宿の外には、盗賊たちが乗ってきた馬が繋がれていた。


エンヴァはその中の一頭に軽やかに跨ると、セトに手を差し出す。




「乗りなさい。……しっかり捕まるのよ」


「は、はいっ!」


セトがその細い腰にしがみつくと、肌着一枚のエンヴァは馬の腹を蹴った。


夜の静寂を切り裂き、二人は闇の彼方へと疾走する。


二人の前には、いよいよ月明かりに照らされた巨大な森のシルエットが壁のように迫っていた。

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