7生 ep.15
「……壮観だな。これほどまでの物資を、わずか一月で」
ベルの町を接収し、臨時司令部へと改装された市庁舎の窓から、アルテリの幹部が感嘆の声を漏らした。
街道を埋め尽くしているのは、長蛇の列を成す牛車の群れだ。
共和国の肥沃な大地が育んだ黄金色の小麦、そして檻の中で鳴き声を上げる豚や鶏といった、今の帝都では金銀財宝よりも価値のある「生命」が、次々と町へと運び込まれていく。
この荷台を引いている牛も商品の一つである。
「あら、クリフ! 早かったわね!」
市庁舎のバルコニーから、弾むような声が響いた。
そこにいたのは、昨日までギャングの首を並べ、冷酷な命令を下していた「支配者」ではない。
新しいおもちゃをプレゼントされた子供のように、瞳を輝かせた十歳の少女、エンヴァだった。
「エンヴァ様……! 予告通り、第一陣をお持ちいたしました」
馬車から降りたクリフは、少女を仰ぎ見た。
だが、次の瞬間、彼は目を丸くすることになる。
「ほら、早く執務室へ行きましょう! 納品は部下に任せるわ。貴方に聞きたいことがたくさんあるの!」
「え、あ、はい! ちょ、ちょっと待ってください、エンヴァ様!」
エンヴァはクリフの大きな手をぎゅっと握ると、楽しげに笑いながら市庁舎の廊下を走り出した。
彼女が喜んでいたのは、単なる物資の到着ではない。
自分の「子供」が残した血脈が、期待を遥かに上回る速さで仕事を完遂したという、肉親への誇らしさに近い感情だった。
冷徹な契約時の彼女とはまるで違う、年相応の子供のような無邪気な振る舞い。
手を引かれ、石造りの廊下をドタドタと走らされる二十歳も年上のクリフは、その圧倒的な「格」と、今の「幼さ」のギャップに、激しい眩暈と戸惑いを隠し得なかった。
執務室の窓から見えるベルの喧騒は、もはや一つの国家の心臓の鼓動に等しかった。
エンヴァがクリフから聞き出しているのは、物資の到着という「結果」ではなく、その裏で穀倉地帯に何が起きたかという「経過」であった。
「それで、現地の状況はどうなの? 私が指示した通りに動いたかしら?」
執務室の革椅子に深く腰掛けたエンヴァが、組んだ足の先を揺らしながら問いかける。
その瞳には、子供の無邪気さと、老練な投資家の冷徹さが同居していた。
「……はい、仰せの通りに。現地の豪農たちは皆、狂喜乱舞しておりましたよ」
クリフは少し困惑したように、けれど確かな手応えを感じながら報告を続けた。
通常、農家は現金で帝国に納税するため、収穫の一定量を相場で国に引き取らせる。
だが、今回はクリフのギルドが、市場価格の「二倍」という破格の現金で、収穫のすべてを買い叩き、さらったのだ。
「結果として、帝国に収められる穀物は一粒も残っておりません。……そして、それは革命軍の調達部隊にとっても同様です。彼らがいくら金を積もうと、農場の倉庫は空っぽ。ネズミ一匹、食い繋ぐものは残っていませんよ」
「ふふ、いい仕事ね。……そうよ、それでいいの」
エンヴァは満足げに目を細めた。
こうして、赤と白の両軍には、冬の訪れよりも早く「飢え」という名の死神が忍び寄ることになった。
どれほど銃火器を揃えようと、兵士の胃袋を鳴らす糧がなければ、軍隊はただの動けない肉の塊に過ぎない。
そして、クリフが運び込み、ベルの倉庫に積み上げられた莫大な食料は、予定通り十倍の価格で帝都の闇市へと流されていった。
「……閣下。各地のギャング団から、相次いで救援と忠誠の誓いが届いております。『食料を回してくれるなら、何でもする』と」
アルテリの部下が報告に現れる。
各地の町への供給を止められただけで、各地の裏組織は干からび、自尊心を捨ててエンヴァの足元に跪き始めた。
彼女の勢力は雪だるま式に膨れ上がり、もはや帝国の公式な法よりも、エンヴァが定めた「小麦と家畜の配分」こそが唯一の法となっていた。
「食料マフィア」――。
いつしか、裏社会の人間たちは畏怖を込めてそう呼ぶようになった。
十歳の少女は、この国の裏経済という名の胃袋を握り、生殺与奪のすべてを支配する神へと至ったのである。
帝都の心臓部は、すでにエンヴァが仕掛けた「蜜の毒」によって麻痺していた。彼女はただ奪うだけでなく、支配層という名の豚たちに、これまで通りの贅沢という餌を与え続けることで、自らの地位を盤石なものにしたのである。
「……お馬鹿さんね。暴力で解決できると思っているのかしら」
エンヴァは、執務室の机に届けられた「暗殺未遂」の報告書を、ゴミを捨てるように豆を煮る暖炉と放り込んだ。
彼女は帝都の貴族や皇帝に近い特権階級に対し、食糧の「無償、あるいは定額での提供」をあらかじめ約束していた。
飢えに震える民衆を余所に、彼らの食卓には変わらず白パンとワインが並ぶ。
この甘い共犯関係により、帝国軍内部から上がった「食料マフィアを壊滅させて流通を正常化すべきだ」という真っ当な正論は、上層部の肥満した欲望によってことごとく握りつぶされた。
だが、現状に焦る陸軍の強硬派は、独断でエンヴァの暗殺部隊を送り込んだ。
その凶刃は、エンヴァが影武者として立てていた「組織のリーダー」の命を奪う。
「……身代わりとはいえ、私の『駒』を壊した罪は重いわよ」
十歳の少女の瞳から、温度が消えた。
組織は揺らぐどころか、即座に報復という名の狂気へと舵を切った。
リーダーを失ったことで、むしろ末端の構成員たちは「魔女の怒り」を恐れ、さらなる凶悪さを増して暴走を始める。
翌朝。帝都の平穏は、凄惨な光景によって破られた。
暗殺を主導した陸軍大将が、無残にも誘拐され、惨殺されたのだ。
彼は四肢を叩き落とされ、帝都で最も巨大な大聖堂の、最も高い十字架から逆さまに吊るされていた。
「陸軍大将の命なんて、小麦一袋分くらいの価値しかなかったわね。……あんなに高く吊るされて、ようやく少しは『高貴』になれたんじゃないかしら?」
朝焼けに照らされたその肉塊は、帝国という「古い秩序」が、名もなきマフィアという「新しい怪物」に敗北したことを告げる残酷な記念碑となった。
「いい? これが私への不敬の代償よ。……次は、どこの誰が空を飛びたいのかしら?」
エンヴァの冷徹な警告は、恐怖の震えとなって帝都の支配層へ行き渡った。
トップを殺せば終わるような脆弱な組織ではない。
この「食料マフィア」は、帝国そのものを蝕む巨大な癌細胞へと成長していたのである。




