7生 ep.12
ニコライが手にした旧時代の兵器は、腐りかけた帝国に致命的な一撃を与え続けていた。
各地で「自由」「平等」という名の熱狂が吹き荒れ、革命軍の勢いはもはや誰にも止められない奔流となっていた。
だが、勝利の美酒は、往々にして人を狂わせる。
「……はぁ? 勘違いしないでくれる?」
帝都の夜、報告を受けたエンヴァの声が、鋭い刃のように空気を切り裂いた。
ニコライの直属ではない、地方で蜂起した一部の革命軍部隊が、勝利の勢いに任せて独断でエンヴァ達の住む首都への進軍を開始したのだ。
彼らは革命の軍歌を声高らかに歌い、この街を「搾取の象徴」として蹂躙せんと迫っている。
「ここを攻めるなんて聞いていないわ。ニコライ、貴方の手綱はどうなっているの? この狂った軍を今すぐ止めなさい」
エンヴァは即座に密使を飛ばしたが、戦果に酔いしれる部隊は「魔女」の警告を一顧だにしない。
彼らにとって、今の自分たちは神に代わって旧世界を裁く「正義の軍勢」なのだ。
帝都防衛軍の残党と、死をも恐れぬ革命軍。
城壁を挟んだ攻城戦は、凄まじい鉄火と叫声の中で一進一退の攻防を繰り広げていた。
(……せっかくお母さまのために整えたこの街を、あんな野蛮な連中に汚させるわけにはいかない)
エンヴァは一人、激戦が続く城壁の頂へと降り立った。
吹き荒れる硝煙の風に漆黒の髪をなびかせ、彼女は静かに、その小さな手のひらを冷たい石材へと向けた。
既に革命軍は城壁にたどり着き帝国軍と戦闘を開始している。
「……吸いなさい。私の魔力を、地脈の底まで」
黄金色の瞳が怪しく発火する。
手のひらから溢れ出した濃密な魔力が、毛細血管のように城壁を、そして帝都の地下深くを走る地層へと浸透していく。それは破壊のためのエネルギーではなく、地殻そのものを強制的に「書き換える」ための媒介。
十分に魔力が行き渡ったことを確信した瞬間、エンヴァは祈るような動作で、その手を地面へと強く押し付けた。
ドォォン!!
「な……ッ!? 地震だ! 大きいぞ!」
「伏せろ! 地面が崩れるッ!」
絶叫が戦場を支配した。
それは自然界の摂理を無視した、指向性を持つ局地的な大地震。
革命軍が足場にしていた大地が大きく揺れ、城壁を登ろうとしていた兵士たちが次々と地面に叩きつけられていく。
大砲は土に埋もれ役に立たず打ち捨てられた。
「……身の程を、知りなさい」
激しく揺れる城壁の上で、エンヴァだけが微動だにせず、眼下の地獄を見下ろしていた。
その頬は、再び悦楽の色に染まり始めていた。
局地的な大地震。それは革命軍にとっては神罰にも等しい災厄であったが、皮肉にも守勢に立たされていた帝国軍にとっては、天が与えた「最後にして最大の勝機」となった。
「……全軍、着剣ッ! 怯むな、これは我らへの天啓である!!」
城壁の崩落、亀裂に飲み込まれる革命軍。
その混乱の最中、帝国軍の最精鋭・近衛重騎兵連隊を率いる将軍の声が、轟音を突き破って響き渡った。
地震によって革命軍の包囲網はズタズタになり、対して、強固な城塞の地下にいた帝国軍の主力は、奇跡的に打撃を免れていた。
「……愚かな。帝都を穢せると信じたか!」
開いた亀裂を飛び越え、血に飢えた帝国軍の騎兵隊が、混乱に陥った革命軍の側面へと突撃を敢行する。
さらに、地震による砂塵を切り裂いて、帝国軍が隠し持っていた重砲台が一斉に火を噴いた。
「ぎ、あああああッ!? 逃げろ! 帝国軍だ! 帝国軍が来るぞッ!」
軍歌を歌っていた余裕はどこへやら、革命軍は統制を失い、雪崩を打って潰走し始めた。
背後から迫る帝国軍の冷徹な刃が、逃げ惑う背中を次々と切り伏せていく。
それはもはや戦闘ではない。秩序を取り戻した「正規軍」による、暴徒への徹底的な一方的清算であった。
「我らが勝利だ! 帝国の栄光、不滅なりッ!!」
陥落寸前だった帝都の夜空に、帝国軍の凱歌が重々しく響き渡る。
昨日までの劣勢を塗り替える、帝国側の「大勝利」であった。
この戦いで、革命軍は帝都近辺の最大戦力を失った。
「……さて。あまり長居して、お母さまを不安にさせたら大変だわ」
彼女は、漆黒のドレスに付いた僅かな埃を指先で払い落とすと、戦火に包まれる城外へ背を向けた。
足取りは軽く、まるで公園の散歩を終えた子供のように、夜の静寂へと溶け込んでいく。
アパートまでの帰り道、彼女は「地震で驚いた可哀想な女の子」の表情を、鏡を見るまでもなく完璧に作り上げた。
外では帝国軍の騎兵が敗走する革命軍を蹂躙し、凱歌と悲鳴が夜の闇を裂いている。
けれど、厚い石壁に守られたこの部屋だけは、ランプの柔らかな光がすべてを黄金色に溶かしていた。
「……どうやら外の軍隊は撤退したみたいね、お母さま」
窓の外、遠ざかる怒号と地響きを聴きながら、エンヴァが穏やかな声で言った。
その小さな手には、少し古びた童話集が握られている。
「そうみたいね……。乱暴な人たちがこのままなだれ込んできたらどうしようかと思ったけれど。ああ、本当によかったわ」
リーリャは胸を撫で下ろし、震える手で淹れたての白湯を口にした。
その瞳には、先ほどの地震と砲声に対する怯えがまだ残っている。
「それで……エンヴァ、貴方どこにいたの? あんなに揺れて、外も騒がしかったのに……危ないじゃないの」
心配のあまり少し声を荒らげる母に、エンヴァはあざといくらいに小首を傾げ、困ったような笑顔を浮かべてみせた。
「いつものお友達と一緒にいたわよ、お母さま。倉庫の影に隠れて、一緒に本を読んでいたわ。怖かったから、みんなで身を寄せ合っていたの」
「……そうなのね。無事で本当によかった。でも、エンヴァはもうこんなに難しい文字が読めるのね……。さすがママの子だわ!」
リーリャは愛おしそうに娘の頭を撫でた。
彼女自身、孤児という過酷な身の上でありながら、客にいた教師から少しづつ文字と計算を学んできた。
その知識こそが、自分を「ただの売春婦」から「警察署の事務員」へと押し上げた武器。
だからこそ、彼女はエンヴァが五歳になるまで、乏しい蓄えの中から紙を買い、コツコツと教育を施してきたのだ。
「ええ。お母さまが一生懸命教えてくれたから、私、本を読むのが一番大好きよ」
エンヴァはリーリャの膝に顔を埋めた。
前世で、数多の魔導書や国家機密を読み解いてきたその瞳が、今は子供向けの絵本を「初めて理解した」かのように輝いている。
「また明日も、お母さまに教えてもらった文字で、たくさん本を読もうと思うの!」
「ええ、もちろんよ、エンヴァ。貴方には、ペン一本で幸せになれるような、そんな綺麗な世界で生きてほしいもの」
平和を愛する母の願い。
その愛に応えるように、エンヴァは母の細い指をギュッと握りしめた。
その指が、つい先ほど「地脈を狂わせる魔法」を放ったものだとは、聖母のようなリーリャには一生、悟らせるつもりはなかった。




