6生 ep.34
「……遅すぎますわ、エヴァ様!! もう限界ですっ!」
銀髪のカツラを放り出し、頬を膨らませてプンスカと怒り狂うクラリッサ。
そこには、何食わぬ顔でティーカップを手にするエンヴァがいた。
「あら、おかえりなさい、クラリッサ。身代わり、ご苦労様。……豆の具合はどう? 私の留守中に、少しは美味しくなったかしら?」
「美味しくなるどころか、私の忍耐が焦げ付くところでしたわ! ……それで? 西の海の方は、綺麗に『お掃除』できましたの?」
「ええ。ゴミはすべて沈めてきたわ。……ついでに、可愛らしい『置き土産』もね」
エンヴァは、唇に残っていた熱を思い出すように、そっと自らの口元に指を触れた。
かつての連戦連勝。
その甘美な響きに酔いしれた共和国海軍の「驕り」は、西の海峡で文字通り蒸発した。
艦隊を失った共和国は制海権を失った。
首都で朝から街に響き渡るのは、勝利の凱歌ではなく、不吉なまでにけたたましい弔鐘の音だった。
「……なんだか、今日は朝からずいぶんと騒がしいわね」
エンヴァは、お気に入りのバルコニーで紅茶を一口啜り、広場から聞こえる喧騒に眉をひそめた。
「ええ。属国の一つが、西の島国に内通して食料を横流ししていたそうですよ、エヴァ様」
傍らに立つクラリッサが、手元の報告書に目を落としながら事務的に付け加える。
「通常の二十倍という、実に見事な暴利らしいですね。……で、そこを統治していた辺境伯の一族が、財産没収の上、見せしめに処刑されるそうです」
兵士達から様子を聞いてきたクリフ。
「全く、愚かなことを。……せっかくの命を、たかだか二十倍程度のはした金で売り払うなんて」
エンヴァは黄金色の瞳を細め、広場に設置された断頭台を見下ろした。
「今日だけで三十人以上の首を斬るそうです。……そのほとんどが、罪のない奥方や子供の類だとか」
「やれやれ、ですね。」
エンヴァの冷徹な視線とは裏腹に、海を隔てた島国では、全く別の「取引」が進行していた。
「……これだけの美術品があれば、小麦がどれだけ買える?」
フードを目深に被った青年王子レオンは、王家に代々伝わる名画や宝飾品を、闇商人たちの前に無造作に並べた。
共和国の包囲網を潜り抜け、闇夜に紛れて食料を運び込む闇商人たち。
彼らが求めているのは、島国の「誇り」という名の換金資産だった。
「……若、本気ですか? これは初代国王が……」
「誇りで腹は膨れない! 今この瞬間、飢えている国民の口にパンを放り込むこと以上に、価値のある王の仕事など存在しない!」
レオンの瞳には、かつてエンヴァが教えてくれた「実利」が宿っていた。
彼は自ら率先して王家の私財を投げ打ち、共和国側の闇商人と通じ、禁輸を潜り抜けて食料を買い揃える。
「(……見ていてください、エヴァ様。貴女に教わった守り方、僕なりに実践してみせますから)」
共和国のギロチン広場で「裏切り者」の首が飛ぶ中、島国の王子は、自国の誇りを切り売りしてでも「民の命」という王にとっての資産を買い戻そうとしていた。
この日、共和国議会が放った第一陸軍は、怒涛の勢いで東方の大国の重要港湾へと攻め入った。
数日の市街戦の後に兵力で圧倒する共和国軍がこの港を占拠する。
先の海峡での惨敗により、地に落ちていた軍の士気。
だが、この「目に見える戦果」に、軍上層部と議会は、ようやく喉元に刺さっていた刺が抜けたかのように、安堵の溜息を漏らしたのである。
「これで東の喉元を押さえた! 補給路は我が手にある!」
勝利に沸く王都。だが、その喧騒から切り離されたエンヴァの工場では、全く別の空気が流れていた。
「……はぁ。まるでバカね」
エンヴァは、報告書を指先で弾き飛ばすと、お気に入りのスコーンにたっぷりとクロテッドクリームを乗せた。
その黄金色の瞳には、勝利の熱狂など微塵もなく、ただ「出来の悪い計算式」を見た時のような深い落胆だけが浮かんでいる。
「手前の港を一つ二つ、力尽くで抑えたところで何になるのかしら? 海路なんて、隣の港から出航する船を止められない以上、全く意味がないのに」
「本当ですね、エヴァ様。そこを落としたところで、さらに奥には中継用の港がいくらでもありますもの。彼らが制圧した場所を迂回して、物流が別の枝に分かれるだけ……。むしろ、維持費だけが嵩む不採算部門を抱え込んだようなものですわ」
クラリッサが、呆れ顔で紅茶を注ぎ足す。 共和国の参謀本部が、地図上の「点」を塗りつぶすことに血道を上げている一方で、工場で行われているこのティータイムの方が、よほど正確に世界の「流れ」を射抜いていた。
「……目に見える『領土』という餌を与えられれば、大衆は満足する。議会はそれを知っていて、あえて無駄な出血を強いたのかしら? だとしたら、救いようのない三流の演出家ね」
エンヴァは、窓の外で万歳三唱を繰り返す市民たちを、冷めた目で見下ろした。




