表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生の魔女  作者: RUSA
125/163

6生 ep.31

しかし、その少年王子の魂の叫びが、海を越えて父王に届くことはなかった。


「……ほう。王子からの密書か。なかなか、賢明な判断だ」


帝都の暗がり、宰相府の一室。 エンヴァが「適当に」選んだはずの、民主主義の象徴たる宰相の部下が、レオンの手紙を冷笑と共に暖炉の炎へ放り込んだ。




「……見なさい、レオン。これが、私の庭。」




首都で最も大きな市場にレオンを連れて来たエンヴァ。


この市場で流通する食料の約6割が彼女の農場や菜園から運ばれてきたものだ。




エンヴァは、積み上げられた新鮮な林檎を指先でなぞりながら、静かに告げた。


だが、レオンからの返事はない。隣に立つ少年の肩は、小刻みに震えていた。




彼の脳裏には、対照的な故郷の情景が焼き付いていた。


骨と皮ばかりになり、泥水を啜って命を繋ぐ民たち。


王族であるレオン自身ですら、一日の食事を抜くことが当たり前だった極貧の生活。




軍はやせ細り、かつての精強さは見る影もない。


国内では野盗化した元国民たちが村々を襲い、女を奪い、略奪を繰り返す地獄絵図。




そして、あろう事か国民たちはーー飢えを逃れる為に人を喰っていた。


それがレオンを大陸へと走らせた最も大きな動機だった。




もはや、国としてのていを成していない、腐り落ちるのを待つだけの果実。


「……う、ううっ……ああ……!」


こらえきれなくなった感情が、嗚咽となって溢れ出した。




レオンはこの豊かさを目の当たりにして、あまりに無力な自分と、今この瞬間も飢えに苦しむ同胞を想い、その場に崩れ落ちた。




「あら。そんなところで泣かれると、私が貴方をいじめているみたいに見えるじゃない」


エンヴァは困ったように眉を寄せたが、その黄金色の瞳には冷徹さではなく、どこか遠い記憶を慈しむような光が宿っていた。


彼女はそっと腰を落とし、泣きじゃくるレオンの頭を自分の控えめな胸元へと引き寄せた。




「……泣きなさい、レオン。涙で胃袋は膨らまないけれど、心に溜まった泥くらいは洗い流せるわ。大丈夫よ、私の言葉に嘘はない。貴方の国も、いずれこうなるわ。……私が、そうすると決めたのだから」




十七歳の少女の、まだ細い肩。




けれどレオンにとっては、それは世界で最も堅牢な城壁よりも頼もしく感じられた。


エンヴァは少年の背中を優しく撫でながら、ふと視線を高く、西の空へと向けた。




「……それにしても、手紙の返事が遅いわね」


ポツリと独り言ちる。




魔女として神格化され、大陸の半分を支配する彼女。


……だが、どれほどの知略を持っていても、一通の手紙が誰かの悪意によって暖炉の火に消えたことまでは、知る術がなかった。




「……私の提案を蹴るほど、貴方の御父上は強欲なのかしら。それとも、私の『声』が届かないほど、あの海は深すぎるのかしらね」


空をゆく雲を見つめるエンヴァの表情は、どこか寂しげで、そして——嵐の前の静けさを孕んでいた。






王都の喧騒から離れた、静謐な執務室。 十四歳の少年王子レオンは、震える手で何度目かも分からないペンを走らせていた。




「……父上。どうか、私の言葉を信じてください。この国(帝国)を率いるエンヴァという少女は、単なる破壊者ではありません。彼女に従うことこそが、我が民を飢えから救う唯一の道なのです……!」


インクが滲む。レオンの瞳には、かつて見た豊穣な市場の光景と、泥水を啜る母国の惨状が交互に浮かんでいた。




彼は必死だった。




エンヴァという「魔女」が提示した、従属と引き換えの救済。




そのチケットを父に、王に届けなければならない。


書き終えた手紙に、王家の紋章を刻んだ封蝋シーリングワックスを施す。




それは少年の魂そのものであり、数十万の民の命を繋ぐ、細い、けれど確かな希望の糸だった。




「……頼んだぞ」


レオンは、帝国の文官として入り込んでいた、かつての臣下の息子に手紙を託した。




だが。




「……またこれか。王子も、よほど暇と見えるな」


帝都の片隅、豪奢な私邸の奥。




共和国の宰相は、届けられたばかりのレオンの手紙を、封も切らずに指先で弄んでいた。




「宰相閣下、いかがいたしますか? エンヴァ様がもしこの手紙を処分している事を知れば……」


「フン、あの小娘が気にするのは『帳簿の数字』だけだ。……この手紙が王に届けば、戦争は終わってしまう。」




パチパチと、暖炉の中で爆ぜる音。


宰相は無造作に、レオンの渾身の書簡を火の中へと放り込んだ。








「君主は君臨すれども統治せず」


近代国家への脱皮という美名の下、宰相が恭しく差し出したその紙切れ——『共和国憲法案』を、エンヴァは退屈そうに、けれど迷いなく承認した。


それは、魔女が手にした絶対的な「権力」という重荷を、公に放り出す儀式でもあった。




「……いいわ。好きになさい。文字に書かないと自分の立ち位置も分からないなんて、人間って本当に不自由ね」




エンヴァは黄金色の瞳を細め、サインの済んだ羊皮紙を無造作に放り投げた。




議会制立憲君主国。




憲法の制定により、これまでエンヴァが「気分」で行ってきた権限移譲はすべて明文化され、彼女は「象徴」という名の黄金の籠に収まることになった。




「また独裁者が出たらどうするのですか? エヴァ様。せっかく貴女が更地にして、種を撒いたこの国が、また誰かの私欲で汚されるかもしれませんわ」




傍らで控えていたクラリッサが、懸念を込めて問いかける。


対するエンヴァは、窓の外で歓喜に沸く議事堂を眺め、可笑しそうに肩を揺らした。




「その時は、また最初からひっくり返すだけよ。何度でも、何度でも。……そのうち、馬鹿でもまともな国を運営できる仕組みが出来上がるでしょう?」




そう言ってはばからないエンヴァの顔には、統治への執着など微塵もなかった。


だが、自由を与えられた人間が最初にすることは、いつの時代も決まっている。




「……本日、議会は全会一致で決議した! 我が国の正当な権利を侵害し続ける、あの西の島国に対し——宣戦を布告する!」




議場に響き渡ったのは、平和への賛歌ではなく、新たな「略奪」への渇望だった。




軍事権が魔女の手を離れ、議会という名の「集団心理」に移った途端、彼らが選んだのは隣国への侵略だった。


「そんな……! 嘘だ、嘘だと言ってください、エヴァ様!」


レオンの絶叫が、廊下に虚しく響き渡る。




彼は、自分が必死に書いた手紙が届かなかった理由が、身内の裏切りではなく、この「正義」を語る議会による「計算」であったことを、まだ知らない。




「決まったことは覆らないわ、レオン。……それが『民主主義』という名の多数決の結果よ」




エンヴァは、悲しみに暮れる少年を冷たく、けれどどこか憐れむように見つめた。 彼女の指先から離れた軍隊が、今、少年の故郷へと牙を剥き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ