6生 ep.17
「税の撤廃」という名の甘い毒薬。
それは国民議会が、飢えた民衆を黙らせるために与えた最初の、そして最悪の「贈り物」だった。
王の首を落とし、貴族を追い出した市民たちが手にしたのは、輝かしい自由などではない。
ただの無秩序と、己の利益しか見えない「多頭の怪物」による、際限なき相互不信の支配だった。
「……あら。今日はもう二回も鐘が鳴ったわね」
エンヴァは、執務室の窓辺でティーカップを傾けながら、広場から響く重苦しい音に耳を澄ませた。 かつては三日に一回、街が静まり返るほどの「特別な事件」だった処刑。
だが、ある独裁者が議会の頂点に君臨したあの日から、それはパンを焼く香りと並ぶ、ありふれた午後の日常へと書き換えられていた。
「精が出るわね、あの『救国の為政者』様も。これだけ頻繁に刃を落としていたら、そのうちギロチンのメンテナンス費用だけで国の予算が底を突くんじゃないかしら?」
「笑えない冗談ね、エヴァ。もう軍の給与すら数ヶ月滞っているそうよ」
隣で帳簿をめくっていたクラリッサが、呆れたように眼鏡のブリッジを押し上げた。
その手元の資料には、もはや国家としての体をなしていない経済指標が並んでいる。
「呆れたことに、前線の軍人たちは支給されるはずの弾薬や銃を、闇市に横流ししてパンに変えているわ。……あの独裁者様は、兵士たちに素手で市民を守らせるつもりかしら? 」
呆れた表情で続けるクラリッサ。
「それだけじゃないわよ。関所の役人たちも給料が出ないからって、持ち場を捨てて逃げ出してしまったわ。おかげで食い詰めた野党があちこちの村を襲っているそうよ。略奪と、処刑と、空腹。……これが彼らの望んだ『自由』の正体かしら」
エンヴァは黄金色の瞳を細め、冷え切った紅茶の表面を見つめた。
「税をなくして支持を買ったツケを、安全というコストで支払っているわけね。……ねえ、クラリッサ。役人がいないなら、その関所の土地、私が買い叩いても文句は言われないかしら?管理してあげるかわりに通行料を取れないかしらね」
「ええ、喜んで売ってくれるでしょうね。今の政府にとって、土地なんて管理コストがかかるだけの『負債』でしかないもの」
二回目の鐘が鳴り止む。広場からは、処刑を祝う狂ったような歓声が風に乗って聞こえてきた。 エンヴァは満足げに微笑むと、国家が投げ捨てた「権利」を拾い集めるための契約書に、静かに羽ペンを走らせた。
「税をなくせば支持が得られると考えた無能たちのせいで、共和国は今や立派な『空っぽの財布』よ。兵士たちは武器を売ってパンに変え、将校たちは自分たちが守るべき国境を放置して、議会の椅子取りゲームに夢中。……今のこの国で動いているのは、貴女の工場の歯車と、あの処刑台の刃だけだわ」
「……非効率極まりないわね」
エンヴァは黄金色の瞳を細め、広場の方向を見据えた。
「死体からは税金も取れないし、労働力にもならない。あそこに並んでいる『資源』を一人ずつ首と胴体に切り分ける作業に、一体何の付加価値があるのかしら」
「言っても無駄よ。今の彼らにとって、処刑は政治じゃなくて『生活の一部』なんだから」
二回目の鐘が鳴り止む。
広場からは、処刑を祝う狂ったような歓声が風に乗って聞こえてきた。
エンヴァは冷え切った紅茶を一気に飲み干すと、事務的な手つきで次の「買収計画書」を手に取った。
民衆の喝采と議会の狡猾な選出によって誕生した「独裁者」。
彼にとって、正義とは自身の言葉であり、罪とは彼と食い違うことそのものだった。
昨日まで肩を組み、酒を酌み交わした同志であろうと、一度「反革命」の烙印を押されれば、容赦なく鉄の刃の下へと送り込まれる。
貴族、聖職者、そしてかつての革命家たち。
あらゆる階層が等しくギロチンの露と消える、狂気の平等主義が王都を支配していた。
「……これで今週、何人目かしら。クラリッサ、もう数えるのも嫌になるわね」
エンヴァは、執務室の窓から見える「日常的な惨劇」から視線を外し、手元のチェス駒を無造作に動かした。
広場から響く刃の音は、もはや彼女にとって、工場の蒸気機関が上げる排気音と同程度の、無機質なノイズに過ぎない。
「四十二人目よ、エヴァ。正確には、あと十分もすれば四十三人に更新されるわ」
クラリッサが、羽ペンを走らせる手を休めずに応えた。
彼女の視線の先にあるのは、血に濡れた処刑台の記録ではない。
机の上に山積みになった、仰々しい封蝋の押された書状の束だ。
「私たちの工場のゲートを叩くのは出入りの商人と、『革命への寄付』という名の請求書を持った独裁者の使者ばかり」
「税を廃止して支持を買ったツケを、貴女の『利益』で払わせようとしているのよ。……本気で、蒸気式の自動ギロチンが必要になるかもしれないわね」
クラリッサが、分厚い帳簿の合間に重いため息を漏らした。
「手動では追いつかないほどの死刑囚を、蒸気式ギロチンで処理すれば効率的かもね。それを作って納品すれば、少しはあの独裁者の機嫌も良くなるのかしら? ……もちろん、その『処理費用』は、私たちが独占的に徴収させてもらうけれど」
「……冗談はやめて。そんなものを作ったら、材料(人間)が足りなくなって、最後には私たちがその機械に放り込まれるわよ、エヴァ」
「あら、そうかしら? ……でも、血を流し続けるだけの国家なんて、遅かれ早かれ人がいなくなって倒産するわ。」
エンヴァの黄金色の瞳が、窓の外の狂乱を冷ややかに射抜いた。
独裁者が死を振る舞う一方で、魔女はその死のコストを計算し、虎視眈々と国家そのものを「買い叩く」機会を伺っていた。




