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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Cheek Dyed Beginners
8/25

8

 


 そこからの津山くんは、本当にタチが悪かった。


 教室内で堂々と話しかけてくることは一切なかったけれど、体育でちょっとすれ違った時や私がたまたま一人になった時に、あくまで「用事がある体で」話しかけてくる。

 周囲の視線もさほど気にならない場所で話すことが多いし、見られたところで言い訳が通用する場面がほとんどだから、拒む理由も見当たらない。


 それに加えて、彼はいつも控えめな態度で私の顔色を窺うように振舞うから、怒るのも気が引けるし、何だか可哀想だと思ってしまう。

 灯の言っていた「待てをくらった犬」という表現がこれほどまでに的確なこともあるのか、と感じたくらいだ。



「あ、西本さん」



 二月も初旬の昼休み。その日はお弁当を忘れてきてしまって、購買で仕方なくコロッケパンを買った。

 教室へ戻る途中で、津山くんが私の姿を目視したらしく、声を掛けてくる。



「珍しいね。お弁当忘れたの?」


「うん、まあ」



 ただすれ違い様に会話を投げてきただけかと思ったので、適当に頷いて彼の横を通り過ぎる――と。



「待って」


「え、な……なに」



 くん、とセーターの裾を引っ張られて、動揺しながらも振り返った。どうやら「用事」があったらしい。



「もう二月だね」



 話しかける口実がないからといって、ついに時候の挨拶でも持ち出したのだろうか。

 津山くんの意図が分からずに、「そうだね」と訝しみながら返事をする。



「十二月はクリスマスで、一月は正月で……色々あるけど、二月って何もないよね」


「いや、節分があるよ?」


「もう終わったじゃん」



 そうじゃない、とでも言いたげに眉根を寄せる彼。その時、脳内に一つの答えが閃く。

 ……ああ、なるほど。バレンタインか。



「そうだね。二月のイベントといえば針供養かな」


「……え? 針、え?」


「あと建国記念日があるし、今年は閏年だから……」


「ちょ、待って。ストップ」



 津山くんが慌てたように私の言葉を遮った。それから、む、と口を尖らせる。



「分かってるくせに。西本さんの意地悪」



 まずい、油断した。直視してしまった。

 津山くんの困り顔。私はこれに弱いって、前々から自覚して対策してきていたのに。



「……回りくどいのは津山くんじゃん」


「じゃあ直球に言っていい?」



 なに、と身構えていると、彼は私の顔を覗き込んで、それから上目遣いで乞うてくる。



「……チョコ、欲しいなあ、なんて……」



 攻撃をまともに食らって、息が詰まった。

 あざとい。あざといのに、それを素でやってくるから本当に勘弁して欲しい。計算づくなら、「ふざけないで」と一喝できるのに。


 タチが悪いんだ、本当にこの人は。

 前みたいにへらへら薄っぺらい言葉で誘ってくる方が、ずっとマシだった。向こうが本気じゃないのが分かっているから、私も気楽に拒否できる。


 けど、今は違う。嘘じゃない。揶揄っているわけでもない。それが彼の目を見たら嫌でも分かる。

 だから無下にできなくて、結局私も真面目に考えなきゃいけなくて。曖昧に誤魔化して逃げるのは、もうそろそろ限界が来ている。



「…………考えとく」


「えっ」


「なに?」


「だめって言われるかと思った……」



 まだあげるなんて一言も言っていないのに、口元を押さえた彼が、嬉しさを滲ませる。

 何だか心外だ。クリスマスの時も同じようなことを言われた気がするのだけれど。



「考える、だけだよ」


「うん」


「あげるか分かんないよ」


「うん。いいよ」



 彼が私に向けているのと同じものを返せるわけではないし、積極的に返そうとも思っていない。期待をされても、きっと望むものはあげられない。

 それなのに、この人はどうして臆面もなく私に期待できるんだろうと、それだけがずっと疑問だった。





 ***





「本当に好きなんです。かっこいいからとか、優しいからとか、そんなみんなが言うような理由じゃなくて……」



 どことなく浮かれていた思考が、一気に沈んでいく音がした。


 狼谷くんと二人で帰るという羊を見送って、玄関から歩いている最中。私が利用しているバス停の手前で、二つの影が見えた。


 二月と言えば? な、バレンタイン当日。

 朝から友達や美術部の先輩後輩に、チョコを渡したり渡されたり。昨年ガトーショコラを作ったらみんなから物凄く好評で、迷った挙句に今年も同じものを作った。


 朝はぱんぱんだったのに、今はすっかり軽くなった紙袋を提げて、私は目の前の光景にため息をつく。



『……チョコ、欲しいなあ、なんて……』



 結局、ガトーショコラは一つ余分に作ってしまった。いや、最初からそのつもりだったんだと思う、多分。

 友達への分はピンクのリボンを使ったのに、この一個だけはブルーのものを使おうと意固地になっていた。


 それなのに、だ。自分から強請ったくせに、津山くんは先に帰りやがった。



『ねー、聞いた? 津山くんが最近大人しくなったのって、本命できたかららしいよ』


『あー……聞いた聞いた。なーんか残念、全然そういう感じじゃないよね~』



 たったさっき教室から出る前、クラスメートがしていた会話。

 スカートを短く折って、華やかにメイクをして。きっと一度は津山くんと「そういうこと」をしたんだろうなという女子たちが、ぼやいていた。


 残念って、そういう感じって、なに。

 八つ当たりのような気持ちが湧き出て、私は逃げるようにここまで早足でやってきた。


 そしてまだまだ、最悪なのは終わらないらしい。



「や、ごめん。その……気持ちは嬉しいんだけど……」



 バス停の前で二月十四日特有の告白イベントを受けているのは、津山くんに他ならなかった。

 帰りのホームルームが終わった後、女の子に呼ばれて教室を出て行った彼は、そのまま戻って来なくて。何で私が待ってやらなきゃいけないんだ、と腹が立ったから、帰ることにした。



「好きな子、いるんだ。だからごめん、君とは付き合えない」



 だったら振る相手に優しく笑いかけるな、ばか。自分から頼んできたのに、私より先に帰るな。本当に、ばか。津山くんはばかだ。どうしようもないくらい。


 さっきからずっとむかむかしている。それもこれも全部、津山くんのせいだ。



「……分かりました。聞いてもらって、ありがとうございます」



 律義に頭を下げて、女の子がこちらに向かってくる。そのまま私の横を通り過ぎていって、津山くんはそこでようやく私の存在に気が付いたようだった。


 彼が気まずそうに目を伏せる。

 私は黙ってバス停の前まで歩いて、立ち止まった。津山くんのことは見なかったふりをして、ただ真っ直ぐ前だけ向いて、バスを待っているだけの人を装う。



「……西本さん」


「なに?」


「あの、……ごめん」


「何が?」



 自分の口から漏れる声が、思いのほか低くて驚いた。でもそれをやめようとも思わないし、やめる術も分からない。

 ごめんって、何? 先に帰ったこと? それとも、揶揄ってごめんって?



『好きな子、いるんだ。だからごめん、君とは付き合えない』



 ううん、違う。私は知ってる。津山くんが、私を好きだっていうこと。

 可愛らしくとぼけられるようなスキルも、鈍感なふりをして通常運転でいられるメンタルも、私にはない。


 分かってた。津山くんが本当に、本当の気持ちを私に向けてくれているって。

 でも認めたらそれに向き合わなきゃいけないし、私は自分の中の曖昧な熱量に区切りをつける自信もなかった。



『……西本さん、俺のこと、嫌い?』



 嫌いじゃないよ。もうそれは認めたの。

 でも、だって、――私、津山くんに「好き」って、一度も言われてない。



「いや……何か、ごめん……その、怒ってる?」


「別に。ただ話し込むなら邪魔にならないところでやって欲しいなって思っただけ」



 むかむか、いらいら。おさまらない。

 私にチョコくれって言ったくせに、他の女の子に呼ばれたらすぐ行くんだ。私のこと好きなくせに、告白された子には優しくするんだ。


 津山くんってやっぱり、ヘタレだ。八方美人だ。

 嫌われるのが怖いんでしょう。だから私の顔色を窺って、遠慮してる風に見せかけて、絶対に自分の手の内は明かさない。



「……西本さんのこと、待とうと思って。教室だと迷惑かなって思ったから、ここで待とうとしたんだけど……」


「へえ」


「ごめん……その、まさかここであんな風に、告白、……されると思ってなくて」



 弁解しているつもりなんだろうか。また申し訳なさそうに眉尻を下げて、私のご機嫌取りでもするの?



「ふーん。モテモテだね」



 感情も何もこもっていない調子で返事をすれば、津山くんは慌てて顔を上げる。



「俺は……! 俺は、西本さんからモテればそれでいい……」



 勢いよく切り出したのに、言葉尻は頼りなく消え入った。

 私がつと彼の方に視線を向けると、ばちりと目が合う。津山くんは途端に頬を赤く染めて、マフラーに口元を埋めた。


 へーえ。ふーん。そうなんだ。

 平常時の自分ならうっかり動揺してしまっていたかもしれないセリフも仕草も、今はただ言い訳にしか聞こえない。


 何だそれ。何なんだ。そういうことは言えるくせに、「好き」って絶対に言わないよね。

 こっちの理性を崩すだけ崩して、最後の一線は私頼み? 冗談じゃない。ふざけるのも大概にしろ。


 そもそも、津山くんと私じゃ何一つ噛み合わないしつり合わない。

 いくら今の津山くんが真剣だからって、ずっとふらふらしていた彼がこの先もずっと私に真剣でいてくれる保証もないし。むしろ信用問題でいうなら全然足りないし。


 一時の感情に流されて、後になってから蓋を開けたら、やっぱり駄目でしたーとか。そういうのは本能をコントロールできない動物のすることだ。

 なのに、なのに。



「はい」



 持っていた紙袋を、津山くんに押し付ける。

 彼はぱちぱちと目を瞬かせ、呆然とこちらを見つめるだけだった。



「いらないならいいよ」


「い、いる! えっ、これ俺に? だよね?」



 津山くん以外に誰がいるの、と私がため息をつけば、彼は一瞬泣きそうな顔をして、それから紙袋を大事そうに抱え込む。



「ありがとう……」



 まるで泣き笑いみたいな表情だった。心底嬉しそうに、屈託なく笑うから、それを見て意図せず顔をしかめる。


 津山くんの困った顔が見たい。焦った顔が見たい。でも、いまそんな風に笑われてしまうと、難しいことは全部放り投げたくなった。


 津山くんに笑って欲しいと思う。愛想笑いじゃなくて、内側から溢れて耐え切れないってくらいの笑顔を、私が見つけてあげたいと思ってしまう。

 拗ねたり縋られたりすると、ちゃんと笑わせてあげなきゃなと、いつも手を伸ばす自分がいる。



「西本さん、これって……本命……?」



 今日も上目遣いで私の理性を崩しにかかる男の子。

 どんなに弱り切った顔をされたって、そこだけは甘やかしてやるつもりはない。ピリオドは、そっちが打ってよ。



「随分ポジティブなんだね」


「えっ、だって……」


「あ、バス来た。じゃあね」


「西本さん!」



 そそくさとバスに乗り込もうとした私に、津山くんが叫ぶ。



「ホワイトデー、空けといて!」



 結局、三月は津山くんが熱を出しておじゃんになったのだけれど、それはまた別の話だ。



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