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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Cheek Dyed Beginners
9/25

9

 


「西本さん、クラス一緒?」



 新しい教室に入る前。背後から声を掛けられて振り返る。

 一年前と比べてだいぶ暗くなった髪色と、さほど着崩すこともなく第一ボタンだけ開いた制服。さすがに三年生ともなると現実を見据えたのだろうか。


 津山くんは私の横に並ぶと、「よろしく」と頬を緩めた。



「……津山くんって、国公立組だったんだ」


「うん、まあ頭そんな良くないけど……頑張ろうかなって」



 私と津山くんが所属することになる三年四組は、文系のクラス。

 専門学校や短期大学への進学を考えている人は大体、三年一組になる。四年制大学を志望する人とでは、やるべき授業が違うからだ。


 津山くんと進路のことについて話したことはないけれど、正直に言って彼はあまり成績が良くない。勉強自体もそこまで好きではなさそうだな、と勝手に思っていた。


 ――そして、その勝手なイメージは大いに当たりだった。



「あ~~~またEか~~~」



 もはや何をするにしても「高校最後の」という修飾語がつく日々も、ばたばたとしている間に夏へと移り変わった。

 三年生になってから毎月行われる模試。返却された結果の用紙を前に、津山くんが嘆いている。



「はあ? お前、第一志望永北(えいほく)大にしてんの?」


「ちょ、勝手に見んなよ!」



 前方の席で繰り広げられる会話に、思わず顔を上げた。


 永北大とは県内の国公立大学で、それなりに偏差値の高い学校だ。そして何より、私の第一志望である。

 今までの模試では最初こそB判定が出たけれど、それ以降はずっとA判定。そんな自分の結果に、安心はもちろん、当たり前だ、という気持ちも強かった。当たり前、だって私は来たる受験のために今まで真面目に勉強してきたのだから。


 それにしたって、津山くんが永北大を志望しているとは驚いた。

 E判定――合格率20%以下。夏の時点でのその結果は、結構笑えない。



「いやさすがに無理だろ~……お前もしかして他に大学の名前知らない感じ?」


「馬鹿にしすぎだわ! 知ってるし! 知った上でこれだし! てかそういうお前はどうなの、俺だけ見られんの不公平でしょ」


「まあ安心しろって、俺も部活引退してから本気出すから。ほら見ろ、この輝かしい文字を!」


「お前もEじゃん!」



 ぎゃはは、と笑い声が上がって、空いた窓から入ってきた風がそれをさらっていく。

 呑気な人たちだな、とあくまで他人事として私はその会話を聞き流していた。





 ***





 夏から秋、秋から冬になると、いよいよ教室の空気も緊張が張り詰めてきた。

 本番までに残された時間は少ない。その日は最後の模試の結果が返却されて、担任との面談があった。


 放課後は十七時過ぎまで自習室で居残って勉強してから帰る。それがすっかりルーティンとなった私は、今日もいつも通り勉強を終えて、荷物をまとめていた。

 階段を下りる前、三年四組の教室にまだ電気がついていて、興味本位でさりげなく中を覗いてみる。――と。


 机に突っ伏し、脱力しきった体勢の男子生徒が一名。

 いや、あれは津山くんだ。周囲を見渡しても、友達の姿はない。


 遊び人、なんて言われていた彼は、いつの間にか消え失せていた。彼に媚びていた女の子も次第に離れていき、今では快活な男子が彼の肩を組むだけだ。

 相変わらず人気者なのは変わらないけれど、つまらなくなったよね、とどこかの誰かが揶揄っていたのを耳に挟んだことはある。


 いま思えば多分、魔が差したんだろう。

 すぐに帰って一分一秒無駄にせず勉強すれば良かったはずなのに、私は教室に足を踏み入れていた。



「津山くん」



 彼の近くまで行って名前を呼ぶ。びくりと震えた背中は、起き上がらなかった。



「寝てるの?」



 恐らく狸寝入り。それは分かっていたから、ため息をついて視線を落とす。


 彼の手には、一枚の用紙が握られていた。模試の結果だ。こっそり見たら、C判定だった。



「……え、すごいね。こないだまでEじゃなかった?」



 C判定なら五分五分、合格率は50%だ。可能性はある。

 だったら尚更こんなところで休んでいる場合じゃないだろう、と肩を竦めた時だった。



「…………やっぱ、変えた方がいいのかな」



 くぐもった声。やけに弱気な口調が、耳朶を打つ。



「変えるって、志望校を?」


「……うん」



 どうやら津山くんは相当落ち込んでいるようだ。赤点を取っても笑い飛ばしていた一年前の姿はどこへやら、随分なへこみようである。



「さっき、森先生にも言われて。悪いことは言わないから、下げろって……」



 まあ確かに、それは正論だ。もし私が津山くんだったら、間違いなく志望校を下げる。受験で冒険はしたくない。



「津山くんは下げたくないの?」


「何ていうか……森先生なら無理でも『頑張れ』って言ってくれる気がしたんだけど、そうじゃなかったっていうか」


「それは……だって、進路のことだから。森先生も、先生だし」



 基本的に大雑把で楽観的で適当。それが森先生だった。

 津山くんの言いたいことも分からなくはないけれど、きっと先生も心配しているのだろう。



「うん、そうだね。……考え直す」



 そう呟いた彼の声が今にも消えてしまいそうなくらい頼りなくて、私は思わず「ねえ」と彼の肩を掴んだ。

 そのまま半ば強引に顔を上げさせて、真正面から目が合う。津山くんの瞳は、いつになく不安定だ。



「な、西本さ……」


「津山くん、本当は変えたくないんでしょ」



 私が指摘すると、彼はそろそろと視線を逸らす。



「……諦め悪い?」


「そういうことじゃなくて。先生たちはさ、もちろん普通に心配してくれてるのもあるけど、高校の進学率上げるためにも私たちを国公立に行かせたいんだよ。言ってる意味、分かる?」



 困惑したように首を傾げる津山くんに、私は続けた。



「だからつまり、下手に挑戦して難関大に落ちるより、確実に受かってくれた方が有難いってこと。どの先生も、E判定なのにそのまま受けろなんて言わないでしょ」


「それは、そうだけど……」


「先生はともかく、親御さんがいいって言ってくれるなら、自分の受けたいところ受けるべきだと私は思う。だってこれ、自分の人生だよ」



 また、余計なお世話になってしまうんだろうか。彼に言い聞かせながら、まるで自分にも説教している気分になる。

 堅実に真面目に。私は、そういう生き方しかできない。でも、でもね。津山くんは、そうじゃないでしょう。



「自分の、人生」


「そ。津山くんの、津山くんによる、津山くんのための人生」


「リンカーン?」


「正解」



 ふは、と彼が笑う。つられて私も口角が上がる。

 やっぱりどうしたって津山岬は、笑顔が似合う人だなと思った。



「まあだめだったとしても、受けとけば良かったって後悔するよりはいいんじゃない?」



 簡単に言ってみるけれど、それはそれで苦しい思いをするんだろう。

 でも、いま彼が欲しているのは正論じゃない。孤独な戦いの中、そっと背中を押してくれるきっかけ。ただ、それだけだ。



「こんな短期間でCに上がったんだからさ。津山くんが頑張った分は、ちゃんと現れてるってことだと思うよ」



 本心からそう思っていた。だから何気なく言えたのだ。

 なのに、津山くんは私が言った途端、突然ぼろぼろと泣き出して。



「ま――って、ごめん……何でも、なくて、」



 張り詰めていたものが弾けてしまったかのように、彼は次から次へと涙を零した。必死に口元を押さえて、背中を震わせ、嗚咽を堪えて。

 情けないとは、思わなかった。みっともないとも、思えなかった。


 だって、みんなそうだから。一人黙々と参考書に向かいながら、本当にこれでいいのかと漠然とした不安に何度も襲われる。なかなか寝付けない夜もある。

 でもそうしないと、永遠に春はやってこないのだ。



「うん。いいよ」



 我慢しなくて、いいよ。今日のカッコ悪い津山くんのことは、明日にはきっと忘れてる。みんな自分のことで精一杯。私もそう。誰でもそう。


 低い泣き声が、肌寒い教室に静かに響く。その間、私も自分の中にある拭いきれない不安を、代わりに吐き出してもらっているような気分で聞いていた。



「落ち着いた?」



 暗い窓の外をぼんやりと眺めていたら、やがて嗚咽は止んだ。ず、と鼻を啜る音が次第に多くなってきたから、ティッシュを取り出して彼に差し出す。



「ん。ありがと……」


「それ全部使っていいよ。私まだ持ってるし」



 こくりと頷いて、津山くんがもう一度「ありがとう」と涙目で私を見上げる。少女漫画のヒロイン並みの上目遣いで、笑ってしまった。



「そ、そんな笑わなくて良くない……?」


「いや、ごめん。笑ってない、全然笑ってないから気にしないで」


「嘘しか言わないじゃん……」



 文句を垂れる余裕はできたらしい。

 だったら大丈夫だな、と勝手に判断を下して、私は彼の腕を引いた。



「ほら、いつまでそうやってるの。帰ろう」



 まだ鼻先が赤い津山くんを学校から連れ出して、コンビニに寄る。わけが分からない、という顔をした彼を店の外で待たせて、肉まんを二つ買ってから「お待たせ」と声を掛けた。



「え、何で……」


「泣いたらお腹空くでしょ? 私もお腹空いたから、付き合って」



 時刻は既に十八時を過ぎている。普段は寄り道して買い食いなんてしないけれど、今日は許される気がした。


 躊躇している津山くんに、無理やり肉まんを持たせる。ピザまんの方が好きなんだけど、とか言われたら殴るつもりだった、のに。



「いや、ちょっと……何また泣いてんの……」



 あろうことか、津山くんは再びえぐえぐ泣き出した。今度はコンビニの前だから人目に付くし、物凄く気まずい。



「違っ、肉まんが、うますぎて……」


「まだ食べてないじゃん」


「ごめん……」



 謝るくらいなら、頼むから泣き止んでくれないだろうか。彼の泣きポイントがいまいちよく分からない。それとも、一度涙腺が緩んだらなかなか締まらないタイプ?



「西本さん、」


「うん?」


「……ありがと。元気出た」


「それなら良かった」



 泣きながら大きく肉まんを頬張った津山くんは、何度も「美味しい」と報告してきて、「良かったね」と返した私に、はにかむように微笑んだ。



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