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ピーク・エンド・ラバーズ  作者: 月山 未来
Cheek Dyed Beginners
10/25

10

 


「気まずいなあとか、思わないの」



 三月の駅前、土の匂い。

 走ってきたのか、少しだけ息を弾ませる津山くんに、私は不服を述べる。



「普通合格発表って一人で見に行くもんだよ。慰めろって言われても、無理だからね」



 今日は公立大学の合格発表日。卒業式から早一週間経ち、外は春の陽気だった。



「俺が落ちる前提なのやめて……」


「事実じゃん」



 津山くんは結局、私と同じ永北大を受けたらしい。らしいというか、試験当日に会場で見かけたから、そうなんだけど。


 彼はなぜか「一緒に合格発表を見に行って欲しい」と頼み込んできて、最初はもちろん断った。理由は既にあげた通り、気まずいし、私だって絶対に受かる保証はないから。お互い結果が奮わなかった時のために、自衛として一人で見に行くのがマナーだと思う。


 諦めが悪い、という彼の特性を忘れていたのが仇となった。断ってから一時間おきにメッセージを投げてくるし、私が頷くまでやめないと言う。あまりのしつこさに、半分キレながら了承した。



「うわ、人だかりすごい……」



 駅から大学までは程近く、数分で敷地に着いた。早くも掲示板に群がる受験生たちが、ざわめいている。



「じゃあ津山くんは、ここで待ってて」


「え?」



 隣で歩いていた彼にそう言い渡すと、気の抜けた声が返ってくる。



「私、先に自分の結果見てくる。流石に一人で探したいから」


「あ……うん、分かった」



 合否が分かるその瞬間まで彼と一緒にいるつもりは、毛頭なかった。

 頷いた津山くんを確認して、私は足早に歩き出す。


 模試はずっとA判定。最後の追い込みもやり切ったし、一次試験も二次試験も手ごたえはあった。問題ない。大丈夫。

 心の中で何度も自分に言い聞かせ、人だかりに向かっていく。心臓の音が、やけに近く感じた。


 受験番号は、紙を開かずとも覚えている。それでもお守りのように両手で力強く握り締めて、掲示板を見上げた。


 一番左の列から――いや、もっと後ろの方。二列目、三列目。多分、四列目。

 上からゆっくり一つずつ番号を確かめて、下へと視線を落としていく。と、



「あ……」



 4087。見間違えじゃない。ちゃんとあった。



「はあ……」



 どっと体から力が抜けて、安堵感が全身に広がっていった。

 良かった、と自分の中でひとまず噛み締めて、すぐに人だかりを抜け出す。


 津山くんは少し遠目からでも分かるくらい、そわそわと落ち着きのない様子で私のことを待っていた。

 多分私もこの時は結構浮かれていて、彼に駆け寄りながらピースまでしてしまった。



「受かった!」



 そっちが勝手についてきたんだから、気遣いとかはしてやるつもりはない。

 はっきり告げれば、津山くんは分かりやすくほっとした顔で息を吐く。



「おめでとう、良かった……」


「あはは。私のこと言ってる場合?」


「仰る通りで……」



 途端に顔をしかめた彼の背中を、ぐい、と押し出す。



「安心して。泣いて戻ってきても置いて帰ったりしないから」



 むしろ津山くんの泣き止ませ方に関しては、プロフェッショナルと呼んでもらいたい。泣かせた回数も同じくらいだけど。


 私の励ましなのか何なのか微妙な発言に、それでも彼は腹が決まったようで。大きく一度頷き、歩いていった。

 その背中を見送ってから、私は電話を掛ける。



「あ、もしもしお母さん? いま見てきたよ。受かってた」


「ほんと!? 良かった……! 優希(ゆうき)、加夏受かったって!」



 二個下の弟は絶賛反抗期だけれど、私と同じ高校に行きたいと言って勉強を頑張っていたような可愛いエピソードもあったりする。今日に至っては、なぜか私よりも優希の方が朝からそわそわしていて、ああ気にしてくれているんだなと嬉しかった。

 私と似て愛想がいい方ではないから、誤解されやすいのが残念だ。



「なに、姉ちゃん受かったの?」



 電話を代わったらしい。声変わり途中のゆらゆらと低い声が、通話口越しに問うてきた。



「うん、受かった。優希、ありがとね」


「何が」


「最近夜中にゲームしてる音、全然聞こえなかったから。我慢してくれてた?」


「……別に。たまたま」



 これ以上はきっと怒られるなあ、と察知して、私も「そっか」と短く返す。こういうところがあるから、喧嘩になって腹が立っても許してしまうのだ。


 今日の夜は何が食べたい? と再び電話を代わった母に聞かれて、家に帰るまでに考えておく、と答えてから通話を終えた。


 顔を上げると、目先に津山くんの姿を見つけた。彼も電話をしている。

 内容はもちろん分からなかったけれど、なぜか「ごめん」と照れ臭そうに繰り返していて、彼の表情は晴れ晴れとしていた。



「おめでとう」



 電話を終えた背中に、確信を持ってそう投げかける。

 振り返った津山くんは少しだけ固まって、それから目元を和らげた。



「ありがと……ちょっと、自分でもまだ信じらんないけど」



 正解だったみたいだ。

 今日最初に会った時のような弱々しい色は、もう彼の顔からは見受けられない。


 会話が終わって、周りの喧騒が遠く耳に残る。春の風はやっぱり、土の匂いがした。



「……帰ろっか」



 二人とも受かったはずなのに、何となく気まずいのはどうしてなのか。

 仕方なく彼に促して歩き出す。



「待って」



 その声が引力だった。腕を掴まれて、反射的に振り返る。



「俺……今日、西本さんに言おうと思ってたことがあって」



 じっと私の瞳を見つめてくる彼が、瞬きをする度に空気の揺れを感じた。

 掴まれた腕と、交わる視線と、呼吸音。全身で理解している。いま彼が、何を言いたいのか、今から彼が、何を言おうとしているのか。



「俺、ずっと……えっと、二年の時から西本さんのこと、」



 津山くんの眉間に皺が寄る。瞳が揺れる。声が、震えている。



「俺、ほんとに、」



 きゅ、と唇を噛んで、彼は口を噤んでしまった。

 五秒、十秒、二十秒。待てども待てども、その先は紡がれない。


 目の前には、今にも泣き出しそうな顔をした男子高校生――ただし既卒――が一名。

 彼の指先が食い込む。そんなに噛んだら痛いでしょ、っていうくらい、唇を白くなるまで噛んで噛んで噛み締めて。



「津山くんさ、」



 ため息とともにその言葉は漏れ出た。

 びくりと肩を震わせた津山くんが、怯えたようにこちらに視線を移す。



「私のこと、好きでしょ」



 あーあ、言っちゃった。心の中で、盛大におちゃらけている自分が肩を竦める。


 本当はちゃんと、津山くんから言って欲しかった。「好き」という言葉は、彼の口から直接、自発的に紡がれるべきだった。

 私はそれをずっとずっと待ち続けていて、なぜかといえば、彼が本当に私のことを好きだという確信は、そこで得るしかないと思っていたからだ。


 津山くんは私の言葉に、大きく首を縦に振る。何度も何度も頷いて、苦しそうに肯定した。



「うん……うんっ、そう、なんだ……」


「ふうん、そうなんだ」



 ねえ、「好き」はいつ言うの? いつくれる? もうずっと待ったし、耐えられなくて私から切り出しちゃったんだけど。


 いい加減言ってくれると思っていたのに、津山くんはただ私を凝視するだけだ。

 口を開く気配もないので、私は腕を組んで眉をひそめる。



「……え、何?」


「あっ、えー……と、その、返事、とかは……」


「はあ?」



 今度こそ遠慮会釈なく抗議の声を上げた。

 何こいつ、私にここまで言わせておいて自分ではなんにも言わないの!? あり得ないんだけど!



「えっ、いや、だって! 告白して、『そうなんだ』で終わるのはちょっと……俺も割り切れないっていうか、」


「まさか今のが告白だなんて言わないよね? 私『好き』って一回も言われてないけど?」



 ない。まじでない。本当にあり得ない。割り切れない、じゃないわ。覚悟できてないのはどっちだよ!

 さすがに怒りを我慢できず、慌てる津山くんに詰め寄る。



「それはっ……や、だって西本さん、俺に聞いたじゃん! 『好き?』って聞いたから、俺答えたじゃん!」


「あんなの答えたうちに入んないでしょ、『うん』だけだったら誰でも言えるわ! 馬鹿!」



 このヘタレ、意気地なし、幼稚園児!

 下から睨みつければ、津山くんは「う、」と黙り込んでしまう。それでもまだ言わないんだ。へえ、ふーん。もういい。



「帰る!」


「えっ」



 何なの、ほんと。人を馬鹿にするのも大概にして欲しいんですけど!

 踵を返して、早足で来た道を辿っていく。



「待って! ごめん、ほんと、お願いだからちょっと待って」



 待つか、馬鹿。私は散々待った。これ以上待たせるとか、もう懲役五億年だ。

 ほんっとにヘタレ。あんなにチャラチャラしていた津山くんはどうしたんですか。あんたは一体何を学んだわけ。



「好き!」



 かなり後ろの方から、そんな叫び声が聞こえた。

 遅いよ。もう遅い。今更言ったところで、私が言わせたみたいなもんじゃん。そんな義務的な告白、全然欲しくない。



「西本さん、好き!」



 さっきより少しだけ近付いてきているのが分かる。

 何だか私も意地になって、絶対に止まってやるかと思った。歩くペースを上げる。



「ほんとに、めちゃくちゃ好きだから! ごめん、もっかいちゃんと顔見て言いたいから! お願い!」



 私の前を歩いていた人が、ぎょっとした顔で後ろを振り返った。信号を挟んで向こう側にいる人も、何事だと訝しんでいる。


 駆けてくる足音が近い。ず、と水っぽい音が聞こえて、思わず立ち止まった。

 振り返った先、顔をぐちゃぐちゃにして、息を切らして、涙なのか鼻水なのか分からないくらい頬を濡らして、津山くんが立っている。



「……泣きすぎだよ」



 こんなに子供みたいに泣き腫らした彼は、初めて見た。

 津山くんが「だって」と弁明する。



「だって、止まってくれないし……」


「誰のせい?」


「俺の、せい……」



 すん、と鼻を鳴らして、彼は肩を落とした。ぐちゃぐちゃでぼろぼろで、人目も憚らず叫んで、公開処刑に等しい。

 ちょっとだけ慈悲の芽が顔を出したけれど、いやいや、と頭を振る。



「で? 顔見て言いたいことって何?」



 しゃくりあげる彼が、私の目を捉えた。――ああ、捕まった、と。頭の片隅で思う。



「俺っ、西本さん、が、好きでっ」


「……うん」


「ほんとの、ほんとに好きで……!」


「うん」



 喋れば喋るほど、彼の目から涙が溢れてくる。

 さっきから私たちの横を、申し訳なさそうに、あるいは腹立たしげに、何人も通り過ぎていく。


 津山くんは必死に自身の頬を拭って、それから、震える声でしっかりと告げた。



「西本さんが、好きです……」



 もう、なんだ、それ。

 好きって言われてない。そう訴えたら、今度は馬鹿の一つ覚えみたいに「好き」しか言わなくて。


 走って泣いて追いかけてきて、全然カッコ良くないよ、ねえ、津山岬。

 そんなになりふり構わず、私のこと好きでいてくれる? これからも、ずっと?



「堂々巡りだね」



 心底、馬鹿な人だなあと思う。

 くすくすと笑う私に、彼は困り果てた顔で抗議してきて。



「ひどっ、俺、真剣に言ってんのに、」


「うん、ごめんごめん。よくできました」


「馬鹿にしてるじゃん……」



 そうだね。馬鹿にはしてるかなあ。だって、馬鹿だ、本当に。

 でも、それくらいの方が、信じ切るにはちょうど良かったみたいだよ。



「返事は?」



 私が問いかけると、津山くんはきょとんとした顔でこちらを見返してくる。



「返事、聞かなくていいの?」



 目を逸らした彼は、とことんヘタレのようだ。

 両手を伸ばして、津山くんの頬を挟む。ぶへ、と情けない声を上げた彼を、思い切り笑ってやった。



「あはは。イケメンが台無しだねえ」



 それでいいよ。カッコつけないで。無理に甘いセリフなんて、吐かなくていいから。私を安心させてくれるだけの気持ちがそこに、確かにあれば十分だから。



「私はね。多分なんだけど、津山くんのこと好きだよ」



 まだ私はきっと、津山くんみたいになりふり構わず走っていけるほど、好きじゃないかもしれない。

 でもこんな津山くんを放っておけるほど、理性は仕事をしてくれていないようで。



「…………え?」



 あり得ない、とでも言いたいのだろうか。

 こて、と首を傾げて三十度。呆然と私を眺める津山くんに、こっちまで呆れてしまう。



「だから、好きだって言ってる」


「……誰を?」


「馬鹿なの?」



 ああいや、聞くだけ無駄だった。そしてこの人にはどうやら、大事なことは二回言わないといけないらしい。



「私は、津山岬が好きです」



 風が涼しい。

 津山くんはじわじわと目を見開いて、耳を赤くした。でもそれからすぐに神妙な顔になって、声を低める。



「……西本さん」


「なに?」


「ちょっと俺の顔、殴ってくんない?」


「馬鹿なんだね。分かったよ」



 雰囲気って知ってるかな、こいつ。

 とにもかくにも、本人から許可が出たので、私は彼の左頬に平手打ちを一発入れさせてもらった。



「俺、耳鼻科行かなくてもいいってことか……」


「よく分かんないけど、落ち着いたみたいで良かった」



 自身の頬を押さえてうずくまりながら、津山くんが安心したように呟くので、ひとまず正気に戻ったようだ。

 本日何度目かのため息をついて、彼に手を伸ばす。



「来年からもよろしくね」



 そう伝えれば、津山くんは私の手を恐る恐る取って、へらりと目を細めた。



「そっか……俺ら、同じ大学だった……」


「今日何しに来たの?」


「いや、正直こっちの方が気が気じゃなくて」


「あ、そう……」



 立ち上がった彼が、そのまま私の手を握る。

 離してよ、と身を引いても、やだ、とこれまた津山くんはしつこかった。


 お母さん、ごめん。何食べたいか考える余裕、ありそうにもない。



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