Vol.12 物語の結末
目を閉じてぐったりと横たわる姿を、信じたくなかった。
いつだって穏やかに見守ってくれた碧い瞳が、完全に閉じられている。
傷口を布で抑えても血は止まらず、必死になってスカートの裾全体を使って抑えたけれど、あっという間に赤く染まってしまうだけ。
涙で視界がぼやける。
拭うこともできずに、ただ彼を抱きしめる。
お願い目を開けて。
まだ私、約束を守れてないの。
あなたを元に戻すって約束したでしょう?
それに返事をさせて。
愛していると言ってくれたあなたに、返事をさせてよ。
「お願い…死なないで…。一人にしないで」
私だって伝えたい。
「あなたを、愛してる…」
こぼれ落ちる涙と、最後の薔薇の花びらが、同時に舞う。
彼の胸にすがりつけば、もう何の音も聞こえなかった。
遅かった…。
こんな結末、どんなおとぎ話にもない。
呪いは解けるのよ。
そして王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らすの。
おとぎ話はいつだってハッピーエンドなのに、それなのに…こんなのって、ない…。
「ラピスさん…」
そっと彼の頬に触れる。
柔らかい毛並みが心地よく手に馴染む。
二度と動くことのない唇に、口付けた。
途端、熱を失ったはずの彼の体温を感じる。
「え…?」
予想外のことに体を離すと、ふわり、彼の体が浮き上がる。
え?
急激に辺に光が満ち溢れ、目を覆うほど眩しく輝いたかと思うと、その光にラピスさんの体が飲み込まれていく。
どういうこと?
神様が迎えに来たの?
突然の出来事に呆然としてしまう。
その間にも彼の体は眩い光の中でゆっくりと回転し、次第にその形を変えていた。
一体何が起こってるの?
光は次第に城全体を包み込む。
あっという間に薄暗かった城壁は白く輝き、おぞましい魔物の姿をした像たちは天使や女神の姿に変わる。
絡むように這っていた茨は美しい薔薇を咲かせた蔦になり、不気味な森は萌えるような緑を取り戻し静かに揺れた。
真っ暗だったはずの宵闇は消え、金色の朝日が私たちを照らす。
そして。
光の中から現れた「彼」は、目の前にゆっくりと降り立つ。
音もなく床に降ろされると「ん…」と小さく呻いた。
何が、どうなったの?
私はただ彼を見つめる。
すると黄金色の髪を揺らして彼は起き上がった。
「これは…まさか、戻ったのか…?」
手足をしげしげと見つめ、それから自分の頬や体を確かめるように触る。
それからそっと、こちらを向いた。
「リリー」
聞き慣れた声がした。
「リリー、私だよ。分かるかい?」
ひときわ輝きを増した碧い瞳が私を見つめる。
柔らかで毛並みのいい黄金色の髪。
優しく緩む唇。
いつでも温かく包み込んでくれた、たくましい腕。
嘘…これは夢?
あの肖像画の王子様が、目の前にいる。
呆気にとられた私を戸惑いながら見つめて、躊躇いがちに腕を伸ばしている。
次の瞬間には彼の腕の中にいた。
そこから彼を見上げる。
夢じゃない。
これは、夢なんかじゃない。
「ラピスさん…ラピスさん!!」
「リリー!」
力いっぱい抱きついた私を、抱きしめ返してくれる。
ああ、戻ってきたんだ。
私、この腕の中に戻って来られたんだ。
心の中が幸福感で満ち溢れていく。
そう、これは現実。
「呪いが解けたのね?」
「ああ。君のおかげだよ」
「でもどうして?あなたの心臓、一度止まったわ」
その上深い傷がいくつもあったのに、今はすっかり治ってる。
「あの呪いは、心から愛する人に愛されることで解けるんだ。だから言っただろう?君が鍵だ、って」
「そうだったの…。もっと早く伝えればよかった」
「いいんだ、こうして今があるんだから。見てごらん、君のおかげで城中が元に戻ってる。ヴィスコンティたちも」
「え?」
促された先を見ると、そこには光り輝くお城と、優しく私たちを見守っているフロックコートをびしっと着こなした若い執事さんと穏やかに微笑むメイドさんの姿、それにコックさんやエプロンをかけた掃除係さんにたくさんの執事さんやメイドさんがいた。
そして、彼らに勧められて姿を現したのは、車椅子姿のお父さんだった。
「よく頑張ったな、二人とも」
「お父さん!」
駆け寄って抱きつくと、骨ばった手が髪を撫でてくれる。
良かった、お父さんも無事だったんだ。
「あなたのおかげで助かりました。本当にありがとうございます」
ラピスさんは深々とお父さんに頭を下げる。
「いや、こちらこそ、娘を守ってくれてありがとう。こんなに幸せそうなリリーを見られる日がくるとは、心から感謝しているよ」
「どうかこれからはあたもこの城で暮らしてください。私たちと一緒に」
「ああ、ありがとう」
そうして二人は堅い握手を交わす。
「さてリリー、改めてやり直したいことがあるんだが、いいかな?」
ラピスさんは楽しげに言って、私を立ち上がらせた。
やり直したいこと?
視線で問いかけて彼を見ると、にっこりとした笑みが返ってくる。
なんだろう、と思っている間に左手をとられ、ラピスさんは跪いていた。
これは、知ってる。
おとぎ話の挿絵にあったもの。
ピンときた瞬間、私の目は熱くなった。
ダメよ、泣いちゃダメ。
せっかくの誓いが見えなくなっちゃうわ。
一生懸命堪えようとするけど、涙は言うことを聞いてくれそうにない。
ラピスさんの碧い瞳がこっちを見上げた。
それは真実の愛を誓う合図。
「心から貴女を愛しています。どうか、私の妻になってください」
「…はい…!!」
手の甲への口付けはとても神聖で、次に降りてきた唇への口付けは、とても温かかった。
おとぎ話はこうして終りを迎える。
王子様とお姫様は、やっぱり幸せに暮らせるみたい。
そして二人の物語はまだまだ続く。
だってまだ始まったばかりだもの。
いつまでも、仲睦まじく、幸せに過ごさなくちゃね。
さあ、愛する王子様。
ハッピーエンドのその先へ、二人一緒に物語を紡ぎましょう?
ずっとずっと、遠い未来まで…
終わり?
ようやく本編終わりました!ここまで読んでいただきありがとうございます。今後は番外編として、その後のお話や魔法が解ける前の小話などを更新していく予定です。