後編
結論として、私の祈りは神様には届かなかった、と、思われる。
やっぱり神様だって自分を信じない人の祈りなんて聞いてらんないよね。
というわけでといったらおかしいけど……前世の偏った記憶を思い出してからほぼ二年で、私は家を追い出される羽目になった。
それは、私が十二歳になった記念すべき誕生日の日のことだった。
「お前はどうも神官としての才能がないようだ。そんなものは我が家には必要がないから今日を限りに出ていくがよい」
そんな簡素な言葉だけで孫娘を突然追い出す気になった祖父は神官らしからぬ鬼畜だと思う。毎日毎日修行に明け暮れても、いつまでたっても神官としての芽が出ないからって、まだ十二だよ? まだまだ将来性はあると思ってもいいんじゃない?
いや、信心深くはないから将来的にも無理だと思うけど!
思うけどそれでもさあ!
とは思ったんだけど、私は文句も言わずおとなしく家を出ることにした。
何故抵抗もせずおとなしく追い出されたかというと、祖父の言葉に呆然とした私が何か反応を見せる前に両親が味方になってくれたからだ。
「じゃあ、私も保護者として一緒について行きますね」
イイ笑顔で母はきっぱりと言い切った。
それに対する祖父の反論は、とてもじゃないけれど成人にも満たない孫に本来ならば聞かせてはいけないような内容だった。
それを当たり障りなく要約すると、だ。
保護者が必要なら父が一緒に出て行けばいいというのがまず一点めだった。その上で母は残り、今度は出自の確かな婿を新たにとって、きちんとした跡継ぎをつくるべき、なのだそうだ。
結婚する気もなかったお前がするといったからと、どこの馬の骨ともしれない男と婿にとるべきじゃなかったとか、さあ……。
仮にも神に仕える神官の口にするような内容じゃないし、ましてこどもに聞かせる内容でもないよね。
それって神の名の下に愛を誓い合った夫婦を引き裂くような発言じゃないの? 前世の日本よりももうちょっと神への誓いは厳かなものだと思ってたのに違うの?
そう私でも感じたんだから、当然のように両親もそれを感じたようだった。
一家の当主についぞ表立って逆らうことがなかった母が凄みのある笑顔を浮かべた。
「今日という今日は、本気で私も愛想が尽きました」
「なんだと」
はっきりとした宣言に、祖父は目を剥いた。
お前にはファークレィを盛り立てる跡継ぎを設ける義務があると主張する祖父の言葉に対するお母さんの反応は冷ややかだ。
「あら、我が家を盛り立てたかったのでしたら、私より勤勉であったお兄さまに継いでいただけばよろしかったのに。ちょっと妹の私の方が力が強いからとお兄さまを追い出しただけでは飽きたらず、まだ海のものとも山のものともしれない私の娘まで追い出そうとするなんて、ちっとも反省が足りませんのね」
お母さんはいつもならもっとざっくばらんな人だ。それがやけに他人行儀なだけで、なんだか怖い。
「貴方に分不相応な期待を抱かせてしまった責任をとるためにもこれまで残ってましたけど、それよりも自分が血を分けた娘を育て上げることの方が私には重要です。世に神官は山ほどいても、テレサの母親は私だけですから」
その間にお父さんが何をしていたかというと、黙って奥の部屋に引っ込んだかと思いきや荷物をまとめていた。
「さあ、行きますよ」
前準備でもしていたような早業で荷物をまとめ上げたらしきお父さんは人数分のカバンを手にけろりと言い放つ。
祖父が私に出て行けと言ってから、両親は一言も交わしていない。なのに二人の間ではとっくに意志疎通が出来ていたかのようだった。
お父さんは有無をいわさず私の肩に手を置いて、そうっと押してきた。
「待て、ビアンカ!」
祖父がお母さんに伸ばした手は途中で止まる。
「何をした、ウァル!」
「足止めですが、何か? ちょっと貴方の足下を氷で固めただけですので、溶ければ大丈夫ですよ」
つんのめってから祖父の上げた険の籠もった声に応じるお父さんの声は涼やかだ。
「こんなことをして許されると思うのか!」
「この程度のうちで収まっているうちに、お口を閉じた方がいいと思うけどねー」
テーブルを回り込むように私に近づいてきたお母さんは軽い口振りだ。
「嫌ですねぇ、ビー。さすがの俺も、可愛い娘の前でそう無体なことはしませんよ」
お父さんもさらっと言いながら、二人で私を挟むようにして部屋を出る。扉が閉まった途端にガチガチガチンッと扉が氷で閉ざされたのが、印象的だった。
言うまでもなく、お父さんの仕業だ――そのはずなのに、お父さんには魔法を使ったような気配が全くないのが怖い。私の知る限り、魔法を使うにはそれなりの手順が必要だったと思うのだけど……。
ふと沸いた違和感を口にする前に、私は流されるように両親とともに生まれ育った家を出ることになったのだった。
それから私は、その時まで伏せられていたことをいろいろ知ることになった。
その最たるものはたぶん、いずれ私が家から出されることを二人が予測していたということだろうか。動揺のかけらもなく素早く準備をして出立できたのはそれが理由だ。
なぜそんなことが予測できたのか、不思議でしょ?
私は混乱しながら、二人のどちらかが私のように前世の記憶でも持っているのかと疑った。「この世界」のことが全くわからない私と違って、この世界と物語を知っているのじゃないかって。
設定的には中途半端だけど、才能がないからって家を追い出されてからの、秘めたる才が発現してのチートなりざまぁなりって話、どこかで目にしたような気がするじゃない?
神官家系であることを誇る祖父の意向で私は父の才能であるところの氷魔法の修行なんてしたことがなかったから、そっちなら何とかなるんじゃないかと思ったのよ!
走馬燈のように一瞬で期待に満ちた未来まで――恥ずかしいので内容は省略するね?――想像した私だったけど、それは一瞬で潰えた。
お母さんは「私には未来を予知することが出来るの」なんて電波めいたことは言わなかったし、お父さんも以下同文。
「かつては将来を嘱望された兄というのが、私にはいたのね」
ただ、現実でも衝撃的なことを言われたわ。
母の兄――つまるところ、私にとっては伯父は、母より一回りほど年上らしい。それまで祖父を満足させるくらいに有能だったその伯父が、ある日突然私のように追い出されることになったと、お母さんは努めて冷静に言った。
「どうしてそんなことになったと思う?」
「さあ……?」
生まれる前の、前知識もない過去について聞かれても困るよね。首を傾げる私にさもありなんとお母さんはうなずいた。
「私がうっかり、兄よりも神力が高いところを見せつけちゃったからよ」
「え?」
「今のあなたと同じ、十二になった日のことよ。こりゃ私の方がものになると考えたあの人は、それまでお前は跡継ぎだと言い聞かせて頭を押さえつけていた兄さんを放り出したって訳よ。見事な手のひらの返しっぷりだったわね」
誕生日の日に孫娘に冷たく出て行けと言った祖父の姿を思い出せば、実際の様子がどのようだったか想像は難しくない。
さらりとした語り口ながら、母の声はどこか鬼気迫っていた。
伯父さんは、本当は商人になる夢を持っていたのだという。それをかたくなに拒否していた祖父は、お前はよりよき神官になるのだと言い聞かせていたのだと。
なのに、娘――つまり、私にとっての母が才能を見せた途端に用済みとされた伯父はむしろ晴れ晴れとしていたという。祖父と伯父の間を何とか取り持とうとしていた祖母も「もうあなたにはついていけません」と言うや、伯父について出て行ったのだと。
「お、お母さん……それって、お母さんは、寂しくなかったの?」
十二歳は日本で言えば中学生になるかならないかくらいだ。自分ではとても大人になったつもりでも、実際のところまだ親の庇護が必要な年。
高校生の記憶がおぼろげにある私でも、やっぱりまだ両親は必要だ。
簡単に兄を追い出すような父親のところに残されるのは不安だったんじゃないだろうか。お母さんの口振りでは、突然力が目覚めたようだし、私だったら不安になると思う。
「んー、寂しくなかったって言えば嘘になるわね」
「ついていけなかったの?」
口にした後で家庭崩壊の一因となった母ではそうはいかなかったのかもしれないと気付いたけど、お母さんはあっさりと「行っても良かったけどね」と言う。
「お母さんも兄さんも、家に残っても親父に使い倒されるのは目に見えるからおいでって言ってはくれたんだけど」
お母さんはそこで言葉を溜めた。
「そんなことしたら、面倒くさいことになりそうだったからね」
「強い力を発現した娘が出奔したとあっては、あのジジイは必死になって追いかけてきそうですもんねー」
「ウァル、ジジイなんて失礼よ」
「おや失礼」
うふふはははと両親は一見穏やかに笑いあう。
「そういうわけで、あのヒトが後継者に据えたいのは力ある神官だと目に見えてましたからね。いつかこんな日が来るのではと想定していたわけですよ」
「一応娘としては、そうでないといいなあとは考えてたんだけど、前科が前科だから。あらかじめ手はずを整えておいてよかったわぁ」
それから私たちは連れだって、お母さんの職場であるところの神殿に向かった。
私とお父さんに待っているように伝えると、お母さんは「仕事の始末をしてくるわね」とにっこり立ち去った。
きょとん顔の私に、お父さんは言った。
「ビーは、神殿の実権を握ってましたからね」
超イイ笑顔だった。
「いつまでもまったく見込みがないからと幼い孫を家から追い出すような無体をする神官長なぞ存在してはならないでしょう。下手に権力を持ったままで、追っ手を差し向けられても困りますし」
私は思わず息を飲んだ。それは……なんだ、どういうことだ。
「小さい町の神官長ごときに出来ることなんてたかがしれてますけど、念には念を入れるべきでしょう。ま、追っ手なんて一度完膚なきまでに叩き潰しておけばもう追う気も起きないと思いますが」
常々腹黒そうだと思っていたお父さんの満面の笑み、超怖かった。美形なだけで迫力がある気がするの、気のせい?
「愚かな上司に命じられただけの人間を叩き潰すのは、多少は心痛むような気がしないわけでもないですし?」
どんだけ自分に自信があるんだろうこの父は……だけど、お父さんなら実際やりそうだ。どんな手を使うんだろうか。やっぱり精神的にクる手だろうか。
私が怖くて何も聞けない間に、お母さんが跳ねるような足取りで帰ってきて「これで心おきなく旅立てるわ」って言ったのが、更に恐怖をあおったのは言うまでもない。
一時間もしなかったうちに一体何やったんだろうか。お父さんの入れ知恵なんだろうか。虎視眈々と狙っていた感が怖い。
怖いけど、とりあえず私は両親に庇護される娘だったので、愛故のことだろうと疑問にはフタをすることにした。
そして私たちは、母が祖父の目に隠れて連絡を取り合っていた伯父さんのところにとりあえず向かうことになった。
とりあえず今の時点で私にはわかるのは、この現実がテレサ・ファークレィが主人公の物語だとすれば、両親と一緒に家を出た時点ですべてのフラグが折れているだろうということだ。
ただ、私が主人公である可能性は限りなく低い気はしている。
たぶん、これは若い頃にお母さんが主人公の物語だったんじゃないかな?
自分のせいで家庭が崩壊してしまった不幸な少女であったところのお母さんが、いろんな攻略対象者に出会って結ばれる物語。
私が巻き込まれたのは、ハッピーエンドのその後。家庭崩壊の原因の一端である祖父がざまあされるアフターエピソード。
腹黒系お父さんエンドならではのお話じゃないのかな、なんて――ね。結婚して生まれた子供が十二歳になった後ってのが、なんというか長期スパンすぎるけど。
祖父にとって、これはものすごいバッドエンドなんだろう。
なんだか後味が悪い気がしないでもないけど、家を追い出すなんて言われた私が同情する余地はない。
これから先の私の人生が幸せに満ちていますようにと、私はとりあえず神様に祈ってみる。
――信心深くない私の祈りが神様に届きそうにないことはもう知ってるけど、信じるものは救われるって言うしね!