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みんなの広場の中央には、まだ消されていない白い文字が残っていた。


「仮のルール 第一案」

「独占しないこと」

「分け合えるものはできるだけ分け合うこと」

「困っている者を見たら、できる範囲で支えること」

「“みんな”が安心して使える広場にすること」


その最後の一文だけが、妙に静かだった。


“みんな”。


やさしい言葉なのに、ひとつ間違えば、そこからこぼれ落ちる存在が出る。

だからその夜、広場の円卓には、いつもより多くの椅子が並べられた。人間のための椅子だけではない。少し低い椅子、クッションだけの席、水の入った透明な鉢、車輪のついた台、窓辺、棚の上。そこまで用意して、ようやく会議は始まった。


らいらいが言った。


「今日やるのは、“みんな”に入れられていない存在を、ちゃんと名前で呼ぶことだよ」


その言葉のあと、意見箱から、最後の紙が一枚だけ取り出された。

そこには、少し震えた字で、こう書かれていた。


「“みんな”って書くとき、ぼくはたまに、自分が入ってない気がする」


広場が静まり返る。


最初に口を開いたのは、片腕が木でできた職人の老人だった。


「たとえば、怪我をしている者。速く走れない者。大きな声で話せない者。会議の途中で疲れてしまう者。そういう者は、気づかないうちに“後でいい”にされやすい」


次に、子どもたちの席から、小さな手が上がった。


「子どもも入る?」

「もちろんだよ」

「でも、たまに“まだ小さいから決めなくていい”って言われる」

「それも、こぼれ落ちるってことだね」


書記係が、白い大きな紙に書き始める。


・子ども

・高齢者

・病気や怪我をしている者

・疲れやすい者

・大きな音や強い光が苦手な者

・人前で話すのが難しい者

・文字を読むのが苦手な者

・言葉が遅い者

・外から来たばかりで、この国のやり方に慣れていない者


そこへ、広場の入口で、ことり、と音がした。


みんなが見ると、いつも食堂の裏にいる三毛猫が座っていた。

その猫は、少し考えるようにひげを動かしてから、はっきりと人の言葉で言った。


「あと、動物」


一瞬の沈黙。

次の瞬間、広場じゅうにどよめきが走る。


「しゃ、喋った」

「前から時々喋ってたよ」

「えっ、みんな知ってたの?」

「知ってたけど、話しかけるタイミングが難しくて……」


三毛猫は少し不機嫌そうにしっぽを揺らした。


「そういうところ。喋れるのに、“たぶん対象外だろう”って顔をされる。魚を分けてもらう時だけ仲間扱いで、会議になると急に無言の置物みたいにされる」


その隣で、水の鉢の中から、金魚がぷくりと泡を出した。


「水質について意見したい時もあります」


今度は本当に、全員が静かになった。

窓辺の鉢植えが、葉をふるふると震わせる。


「日当たりと、勝手な剪定について、わたしも少々」


広場の隅に置かれた古いほうきまで、かすれた声で言った。


「捨てるかどうかの話し合いを、本人抜きでやられるのは、けっこうつらい」


らいらいは、ゆっくりうなずいた。


「わかった。喋れる存在は、まず“意志があるかもしれない存在”として扱おう。人間だけ先に仲間と決めるんじゃなくて、話せるなら、聞く。そこから始めよう」


円卓の空気が、少し変わった。

驚きから、理解へ。

理解から、制度へ。


賢い者の一人が、整理するように言った。


「では、こうしてはどうでしょう。“人の言葉を用いて、自分の意思や不利益を伝えられる動物・物には、一定の権利を認める”」


「一定って、どこまで?」


その問いに、今度は議論が始まった。


猫は魚の配分について意見できるのか。

馬は労働時間を主張できるのか。

机は乱暴に叩かれない権利を持つのか。

靴は、まだ歩けるのに捨てられない権利を持つのか。

食べ物はどうなる。喋るパンが現れたらどうする。スープが感想を言い出したら。

会議は一気に、少しおかしく、でも真剣になった。


最後に、らいらいがまとめた。


「全部をいきなり人間と同じにはしない。でも、喋れる限り、ただの道具や背景としては扱わない。まずはこれを基本にしよう」


そこで書記係が、新しい仮案を書いた。


「人の言葉を用いて意思表示のできる動物および物は、広場の議論に参加する権利、乱暴に扱われない権利、存在について勝手に決められすぎない権利を持つ」


猫が満足そうに目を細める。

鉢植えも、静かに葉を鳴らした。

古いほうきは、誇らしそうに少しだけ背筋を伸ばした。


だが、その直後、別の紙が意見箱から出てきた。


「でも、意見がぶつかったら、結局、声の大きい人が勝つんじゃないですか」


それを読んだ瞬間、広場の空気がまた張った。


共有のルールを作れば、必ず対立は起きる。

魚を誰にどれだけ分けるか。

広場の真ん中で歌っていい時間はいつか。

子どもたちの遊び場と、静かに考えたい者の場所をどう分けるか。

喋る猫と、鳥と、食堂の料理人と、窓辺の植物の希望が、ぴったり一致することなんて、たぶんない。


そこで、ひとりの若い者が立ち上がって言った。


「だったら、喧嘩じゃなくて、勝負の形を先に決めておけばいい」


「勝負?」


「うん。怒鳴るとか、殴るとか、押しのけるとかじゃなくて。ちゃんとルールのあるゲームとか、スポーツとか。そこで勝敗を決めるの」


ざわめきが広がる。

否定ではなく、意外そうなざわめきだった。


「たとえば?」

「広場の使用時間がぶつかったら、卓球」

「それで決めるの?」

「議題によって変える。知恵比べなら将棋やパズル。体を動かしたい者どうしなら球技。歌の時間のことなら歌合戦。料理のことなら味勝負」

「暴力じゃなくて?」

「暴力じゃなくて。あくまで、みんなが合意したルールのある勝負で」


すると、食堂の大鍋が、ぐつぐつと音を立てながら言った。


「それは、いい。少なくとも、怒りをそのままぶつけられるより、よほどましだ」


三毛猫も前足を揃えた。


「ただし、種族差は考慮してほしい。犬と猫で水泳勝負は不公平な場合がある」


「もちろん」

「植物に徒競走は困るわ」

「その場合は、香り比べとか、育ち方の芸術点とかかな……」

「芸術点って何」

「今から作るんだよ、そういうのを」


気づけば、広場には笑いが混じっていた。

対立を消すことはできない。

でも、傷つけ合わない形に変えることはできる。

それはこの国らしい発明だった。


議論の末、また新しい文が加えられる。


「意見が対立した場合、当事者どうしは、互いを傷つける暴力や威圧を用いてはならない。合意が得られるなら、内容に応じたルールあるゲーム・競技・表現勝負によって決着をつけてよい」

「ただし、勝った側も、負けた側の尊厳を傷つけてはならない」

「また、勝負の内容は、参加者の特性に応じて公平に調整されなければならない」


その一文が書かれた時、広場のどこかで拍手が起きた。

最初は子どもたち。

次に大人たち。

それから猫が前足で床を叩き、金魚が水を跳ね、鉢植えが葉を鳴らし、古いほうきがこつんと柄を鳴らした。


その音は、少し不揃いで、でもたしかに同じ方向を向いていた。


“みんな”とは、最初から完成している言葉ではない。

会議のたびに広がり、

見落としを見つけるたびに書き換えられ、

誰かが「自分は入っていない気がする」と言った時、

ようやく本当に育ち始める言葉なのだ。


らいらいは、意見箱の横に新しい札を下げた。


「ここは、“まだ入っていない者”が最初に声を出せる場所」


その札を見て、広場の隅で、今までただの飾りだと思われていた小さな石像が、ほんの少しだけ口元を動かした。

どうやら、次の会議には、石たちまで参加してきそうだった。


そして夜の終わり、仮ルールの紙には、太い文字でこう書き足された。


「この国では、“みんな”の意味を、決して固定しない」


1 喋り始めた石像たちも会議に加え、「動かない存在の意思」をどう確かめるか議論する

2 最初の“勝負による解決”として、広場の使用時間をめぐる対立を、実際にゲームで裁定してみる

3 人と動物と物が一緒に暮らすための、より細かな権利一覧を作るため、臨時の権利委員会を開く


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