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エターナリア王国の会議塔、その日の天井には、まだ降っていない雨の気配だけがうっすらと浮かんでいた。
丸い議場の中央には、空そのものを映す水盤があり、そこへ王国中の雲たちの意見が集められている。
椅子に座った者たちの頭上には、それぞれ違う天気が小さく漂っていた。
ある者の上には霧。
ある者の上には夕立。
ある者の上には、なぜか虹色のくしゃみみたいな雲。
らいらいが議場へ入ると、水盤の表面に文字が浮かんだ。
「本日の議題」
「エターナリア王国の雨は、少しだけ甘い匂いを持つべきか」
「追加提案:雨が色んなジュースになる案について」
その文字を見た瞬間、議場の空気がちょっとだけざわついた。
最初に立ち上がったのは、気象詩官アメノミカ。
髪の先から雫を落としながら、彼女は静かに言った。
「わたしは賛成です。
ただの水の匂いも美しい。けれど、エターナリアの雨がほんの少しだけ甘い匂いを持てば、悲しい日に空を見上げる理由が一つ増える。
泣きたい人が、泣きながらでも『あ、いい匂いだ』って思えたら、その日は少しだけ救われる」
議場の一角で、雲職人たちが「おお」とうなずく。
だがすぐに、実務大臣カラッ・トイレールが机を叩いた。
「待ってくれ。問題はそこじゃない。
“少しだけ甘い匂い”はいい。だが、“色んなジュースになる雨”は管理が難しすぎる。
たとえば今日の午後三時、東区画にオレンジ雨、西区画にぶどう雨、中央通りだけカルピス雨が降ったら、排水路はどうする?
アリはどうする?
服はどうする?
ベタベタ問題を甘く見るな」
その瞬間、議場の後ろで誰かが小さく言った。
「ベタベタ問題を甘く見るな、ちょっと好き」
笑いが起きた。
だがカラッ・トイレールは真顔のままだった。
次に手を挙げたのは、子ども代表のシュワン。
椅子に座ったまま足をぶらぶらさせながら、元気よく叫ぶ。
「ぼくはジュース雨、めっちゃいいと思う!
上向いて口あけたら、たまにメロンソーダ!
たまにりんご!
ごくまれに当たりで白ぶどう!
そういうの、空が楽しくていいじゃん!」
「虫歯はどうするんだ」
すかさず医療官が言う。
「毎日じゃなければいい!」
「服がべたつく」
「レインコート着ればいい!」
「犬が興奮する」
「それはそれでかわいい!」
議場のあちこちから、賛成と反対が飛び交う。
水盤の上には、さまざまな雨の試作映像が次々に映された。
ひとつめ。
春の朝にだけ降る、ほんのり綿あめの匂いを持つ透明な雨。
見た目は普通の雨なのに、通りすぎたあとだけ空気がやさしくなる。
ふたつめ。
祝祭日に限定して、数分だけ降る微炭酸のレモン雨。
地面に落ちると小さく「しゅわ」と鳴る。
子どもたちは歓喜。
洗濯担当官は頭を抱える。
みっつめ。
区域ごとに味が違う、完全ジュース型降雨。
ぶどう街区、もも街区、マンゴー街区。
映像の中では楽しそうだったが、排水路に流れ込んだ瞬間、巨大なミックスジュースになっていた。
「だめだろ、それは」
誰かが真顔でつぶやいた。
らいらいは黙って、水盤を見つめていた。
甘い匂いの雨。
ジュースになる雨。
どちらも夢がある。
どちらも少し危険だ。
エターナリア王国は自由の国だが、自由はいつだって、あとで床を拭く人のことまで考えたときに本物になる。
そのとき、議場の奥にいた老いた庭師が、そっと立ち上がった。
誰も気づかないほど静かだったのに、不思議と声は遠くまで届いた。
「雨は、飲み物にならなくてもいいのです」
場が静まる。
「雨は雨のままでいい。
ただ、降る前の風に、ほんの少しだけ“思い出したくなる匂い”が混じればいい。
人によって、それは桃かもしれない。
りんごかもしれない。
ラムネかもしれない。
つまり、雨そのものをジュースにするのではなく、雨の気配が、その人の好きだった甘さを少しだけ連れてくる。
そうすれば、世界はベタつかず、心だけが少し濡れる」
しん、とした。
その言葉に、水盤が自ら反応した。
透明だった表面に、王国中の人々の記憶が小さな光となって浮かび上がる。
夏祭りのラムネ。
冷蔵庫のオレンジジュース。
風邪の日にもらったりんごすりおろし。
はじめて好きになった人の近くで嗅いだ、わけもなく甘い雨の匂い。
アメノミカがゆっくり息をのんだ。
「……それなら、雨は水のまま美しい。
でも、降る直前の空気だけが、それぞれの心に合う甘さをひとしずくだけ運んでくる」
医療官もうなずいた。
実務大臣も腕を組んだまま、ようやく認めるように言う。
「それなら排水路は守られる。
床も救われる。
いいだろう。床が救われるなら、私はかなり寛大だ」
子ども代表シュワンは少し考えてから、手を挙げた。
「じゃあ、年に一回だけ、本当にジュース雨の日を作るのは?」
議場がまたざわつく。
「年一なら祝祭管理でいけるか……?」
「でも地面は洗うんだぞ」
「ぶどうだけは服に残る」
「レモン系ならまだ……」
「炭酸どうする」
「空に泡の免許はあるのか」
とうとう議場の天井の雲まで笑い出し、小さな雨粒がぱらぱら落ちた。
まだ味はない。
でも、ほんのわずかに、誰かの懐かしいジュースみたいな匂いがした。
らいらいが水盤に手を触れると、最終案が浮かび上がる。
「通常の雨」
「水のまま降る」
「ただし、降る直前の風にだけ、その人にとって優しい甘さの記憶を少し混ぜる」
「例外として、王国の大祝祭日に限り、短時間だけ“選べるジュース雨”を検討可能とする」
議場のあちこちで拍手が起こった。
誰かが「選べるジュース雨って言葉、もう好き」と言い、
別の誰かが「でもマンゴーは粘るから審査厳しめで」と言った。
その日の会議が終わるころ、外では新しい雨が降り始めていた。
透明な雨だった。
けれど、その前触れの風だけが、不思議なくらい人それぞれに違う甘さを運んでくる。
ある人には、桃。
ある人には、白ぶどう。
ある人には、子どものころ、風呂あがりに飲んだ安いりんごジュース。
そして、らいらいのところへ来た風は、名前のつけにくい匂いをしていた。
ジュースというより、
笑ったあとに少しだけ胸に残る、
生きててよかったと思う匂いだった。
雨は静かに降り、王国の石畳を濡らした。
誰もベタベタにはならなかった。
それなのに、心のどこかだけが、ほんの少し甘くなっていた。
1 祝祭限定の「選べるジュース雨」を本格的に設計する
2 雨の匂いに混ざる「思い出の甘さ」を、もっと細かく研究する
3 その雨の中を歩きながら、らいらい自身の懐かしい記憶をたどる




