9. 聖女
「お嬢様、少し休憩なさいませんか?」
メイドのメルが、茶器をテーブルにセットしながら声をかけてきた。ワゴンにあるお皿の上には、見た目が可愛い小さいケーキがいくつかと、美味しそうな焼き菓子が並んでいた。
「そうね、ありがとう。お茶をいただくわ」
本を閉じてサイドテーブルに置き、目の前に置かれたティーカップを口に運び一息つく。フルーティな爽やかな香がほんのり広がり、ケーキにとても合いそうだ。
イチゴがのったタルトを美味しくいただいていると、メルが遠慮がちに聞いてきた。
「クレアお嬢様、やはり医師科にお進みになるのですか?お嬢様なら、宮廷の魔術師や魔法使いになっても、その中でもトップに立てると思うのですが…」
10歳にしてすでに高等学院の生徒達以上のレベルにあるため、伸びしろを考えるとありえない話ではない。
メルが言うのも無理はない。トップの魔術師や魔法使いは花形だ。王国の代表として国民や他国の人に認知される。だが、その地位には興味がない。
「私はノルド先生のようなお医者様になりたいの。
高位貴族だけじゃなく、できる範囲で多くの人達をこの手で治癒したいの」
前世は看護師として多くの患者さんの手助けをしたかった。
今世のクレアも、医師として、可能な限り多くの命を助けることができれば、と思っている。
メルは目を少し潤ませて、感激したように呟いた。
「クレアお嬢様は、聖女様なのですね…っ」
いや、決して聖女ではない…
そもそもこの世界には聖女はいない。
百年以上前にはいたらしいが。
まだ人々のマナがさほど大きくないころ、マナが大きい女の人達が教会で人々に治癒を施していた。
次第に医療が発達し、医師が治癒、治療が出来るようになると、裕福な人達は、順番を待たなければならない教会へは行かず、医師に治療を求め、見返りを医師に直接渡した。
聖女の治療の返礼は、教会への寄付だった。聖女自身は無償で治療を提供していたため、マナを持ち治癒出来る女性達は、次第に医師を目指すようになった。
教会は、庶民や低位貴族からマナの大きな子を見つけては、聖女として育てようとしたが、医療の知識を与えることが出来なかったため、大きな怪我や病気を治せる聖女は誕生しなかった。
裕福な人々は医師の元へ向かうようになり、教会は、寄付金による見返りが期待出来ない聖女の育成はやめた。
そして聖女はいなくなった。
大きなマナを持つ心優しい聖女がいた、という史実があるのみだ。
医師の中にも女性はいるが、若い女性はいない。若い子が医師を目指しても、結婚して貴族家の夫人となれば仕事を辞めなくてはならないし、そもそも貴族令嬢は仕事に就かない。貴族家を取り仕切るのが仕事となる。
子達が成長して夫人の地位を譲る頃に、そのマナを活かして医師として活躍しようと高等学院に入学する女性も稀にいるが、女性の妊娠出産というデリケートな分野でその力を発揮したいと、産科医のような立場で貴族女性の出産をサポートしていた。
低位貴族や平民は、医師のもと医療を学んだ者が研修医となり、看護師のような人とともに診療所を開いているため、そこで診療を受けたり出産したりしている。
高等学院を出ていないため医師ではないが、数年間医師に師事して知識を確立しているため、信頼が出来る。医師からお墨付きをもらい、診療所を開いた研修医は先生と呼ばれていた。
しかし、大きな怪我や病気を治せるマナを持つ先生は診療所にはいないため、平民と高位貴族の寿命や死亡率は桁違いだ。
王国もとい、この世界の国々は資源豊富で多くの魔道具が溢れており、便利で豊かな暮らしが出来ている。争いはなく平和だ。平民の死亡率が高くても子供はたくさん産まれるため、労働力も豊富で経済も活性化している。
貴族制度があるため国民の格差はとても大きいが、国政がきちんと整備されて、平民まで教育が行き渡っている。
経済に寄与する商会や各業界の経営者以外の、一般労働者の貧富の差はほぼなく、働けない者達への支援や保護施設も確立されているため、貧民が集まるスラム街的なものもなく、治安もいい。
騎士達は、豊かな森林から大きな獣が時に人を襲うことがあるため、それに対しての討伐や、王都や都市の治安維持のための警備が主な仕事だ。貴族家の護衛騎士になるものも多くいた。
世界の国の殆どは資源豊富だ。その中でも、マグノリア王国には宝石を有する鉱山が多くあり、他国より豊かだ。そのため隣国が攻めてくる可能性が少なからずある。よって、隣国に接する辺境の都市には魔法騎士が多く配置されていた。
しかし、ここ百年余り他国との戦争は起きていない。
10歳までの家庭教師達による教えでは、多くの国民がみんな穏やかに笑顔で暮らせていると教わった。
実態はわからないけど。




