助け舟
『こんな状態の夫人に対して、お伝えするべき時かは分からないが、早い方が良いと思うのです』
フィデリオはニッコリと笑みを浮かべて、ザイラにそう言った。そして品の良い動作でベッドサイドにある椅子に腰掛ける。
胸騒ぎが治らないのは、なぜだろう——とザイラの毛穴から吹き出す汗は止まらない。
『……我等がこの国に来たのには、幾つか理由がありますが、最も重要な任務は2つありました。1つは、最近こちらでも話題になっている″春の楽園″の出所を探ること。もう1つは、エルメレのさる有力貴族から、どうしてもと依頼を受け……』
そう言ってフィデリオは意味ありげな視線をザイラに送る。
これは聞いて良い話なのか、どうなのか——
ザイラの頭の中で警報が鳴り始める。
『春の楽園については、無事解決しました。夫人には大変な思いをさせてしまったが、夫人が居なければ成し得なかった事です。ディオン公爵家やコリンについての処遇も時期決着の目処もつきました。それもまた追ってご報告致します』
解決した……?ディオン公爵家、という事は春の楽園をエルメレへ流し、王国にも持ち込んだのは……ディオン公爵家?いや、聞きたく無い。聞いて良い話では無い気がする。出来たらもう耳を塞ぎたい——
フィデリオの話が進むたび、ザイラの顔から血の気も失せる。アイヴァンと自分のことで手一杯のザイラに、その荷は重すぎる。だが、降ってくる大岩を、ザイラは避けることが出来ない。
『もう1つ、依頼の件ですが……これは今後のエルメレのとっても大変重要な任務でした。
夫人がエルメレの貴族についてどこまでご存知かは分かりませんが……。ダ=トロメイ公爵家という東側の海や領地を治める貴族がいます。
サングタリー族という母系一族の貴族です。東側は、非常に特殊な土地でして……とにかく、ダ=トロメイの前当主は、海の向こうに恋人と消えた姉上をずっと探していたのです。
お察しの通り、前当主も既にかなりの高齢ですので、もう先は長く無いと、我々にどうか力を貸して欲しいとその命を託されました。
……そして、幸運にも、見つけたのです』
フィデリオはザイラをじっと見つめていたと思いきや、部屋の片隅にあった本棚の間から何かを取り出す。ザイラの側へ戻るフィデリオがその手に抱いていたのは、両手に収まるほどの大きさの、古い肖像画だ。
ザイラの背中に冷や汗が滴る。
まさか……——ザイラはそれを見ると、大きく目を見開いた。
『母系一族が有する名はマルガリテス、そしてこの肖像画……。どなたかに瓜二つではありませんか?』
そこにはなんとも見慣れた人物が描かれている。
古い肖像画に変わりないのに、描かれているのはザイラそのものだった。
『……その方を探されて、どうするのですか?それに……それを言ったらアレシアの方が……』
アレシア、とザイラは言ってすぐにザイラにはクレイグが出てきてしまう。
クレイグならその事実を知っていたとしても、アレシアには決して告げずそれこそ墓まで持って行くだろう。あえて面倒になりそうな話題に、アレシアを突っ込ませる理由は無い。
『勿論アレシア殿もその血筋に間違いありません。ですが、少々厄介なお守りがいつも張り付いてますので……』
フィデリオの頭にもクレイグが浮かんでるであろう、とすぐにザイラには察しがつく。
厄介、どころでは済まされないお守りだ。
『前当主は、一目会いたいのだそうです。姉上の子孫に、その面影を求めておられます』
ザイラは肖像画を見た。本人はもう恐らくこの世に居ないのだろう。瓜二つのザイラなら、前当主の会いたい本人がもう居ないとしても、限りなく近い形で願いは実現するだろう。
だが……
『そうは、言われましても……』
ザイラとて結婚し名ばかりだがフェルゲイン侯爵家の一員。離婚するとしても、すぐには叶わない。
自由の身でも無いのに、分かりました、会いましょうとは易々と言えない。とはいえかなりの高齢ならば、長い船旅で前当主が王国にやって来るなぞ不可能だ。
帝国の公爵家、家格から言っても会いに行くのが筋……——
ザイラは頭を抱えて今ある問題を整理しようと努めた。
待てよ、会いに行く?——
ザイラがハッとした表情で、フィデリオを見る。ザイラに呼応するように、フィデリオはまたニッコリと笑みを浮かべた。まるで、待っていたと言わんばかりの、助け舟がそこにあった。
『最早、我等は秘密を共有した仲。一蓮托生と言って良い。勿論私も、いや我々も夫人の為にできる事はなんでも致します。
夫人の望みは、何ですか?』
全て知っている、お見通し、最早掌の上ですと言われている様だった。
この男は、恵まれた容姿に加えて望むもの全てを手にする環境と、願いを叶えられる力を持っている——
それは、自分以外の者の願いでも……——
『私は、このままここで死にたくありません……』
フェルゲイン侯爵から謀殺される未来も、ミア嬢の影がちらつくアイヴァンと夫婦でいる事も、あらゆる未来から自らが取り除かれる事を避けたい。
怯えるの事も恐れる事も、放棄したい。
逃げ出したい——今の自分の置かれた場所から。
ザイラが持つ究極の願いとはそれだろう。
それを聞いたフィデリオは、どこか安堵するような笑みを浮かべる。
『んー……それならばやはり早い方が良い。フェルゲイン夫人の力になれる方をお呼びしよう。向こうもあなたに会いたいとずっと面会を申し込んでいた。
この王国で最も権力を持つお方が、より円滑に夫人の願いを聞いて下さるでしょう』
ザイラは、先程逃げ出したいと願った。
それには今目の前に居る御方と、これから先に会う御方も含まれるの。
なんだか余計大物に捕まってしまった気がする……
ザイラの額の汗が顔を伝って、ぽたっと下へ滴り落ちた。




