秕
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どうやら、激しい恋に落ちた2人の実は宿してしまったらしい。
ザイラは窓辺のソファに座って膝に本を置き、その上に真っ白な便箋を置いてペンも用意した。
だが、その筆は一向に進まない。
アイヴァンに確かめるべきだ、と思う自分と、知りたく無いという自分が居る。
なぜ知りたくないのか——
事実は変えられないのに。
尋ねたとして、一体どうするのか——
考えは堂々巡りで、白い便箋に筆が伸びない。脈が速くなり、胸の奥はなぜか鋭い痛みと鈍い痛みが繰り返す。
あらゆる障害があればある程、恋は燃え上がると聞く。あの2人には、障害しか無かった。けれど2人の間の絆は、それだけ強かったのだろう。
最近屋敷に帰ってこない理由はそれだったのか、とザイラは腑に落ちた。
盲目的な激しい恋——差し出せるものを全て差し出して、心臓を抉り出す代わりに己の体を最後に差し出すのが恋の成就かもしれない。究極の、愛情表現——
ザイラはアイヴァンに振り払われた、自らの手を眺める。
愛人や妾が子を宿すのは珍しいことでも無い。公然の秘密にするのか、本物の秘密にするかは別として、貴族達には妻や夫の他にそういったものを持つ者は多かった。アイヴァンもまさかそのタイプとはザイラは思わなかったが、ザイラとの結婚が後なので、彼の騎士道の中では一途な思いをいえるだろう……——
思い切った事をした、強行突破した、という印象は大きい。
ただ、ザイラにとってはあまりに向こう見ずで、浅はかに見えるのも事実だった。昨晩のベロニカのように。
皆が幸せになれない、と知りながら、2人は無垢な赤子に不幸になり得るかもしれない困難な道を用意した。それに無性に腹がたった。
ザイラには愛人の子など気遣う由縁は無い。フェルゲイン侯爵が何を考えているかも分からない。
だが子には安心して成長出来る環境が必要だ。親の事情は関係ない。幼い頃の自分の不遇に手を差し出すように、ザイラは余計な感情を整理していく。
愛し合っていれば、子は宿す……
クレイグとアレシア然り、アイヴァンとミア然り——虚しさと寂しさには、見ないふりをした。
傷ものの身で烏滸がましい、そう自分を諫めた。
最初から無理に決まっていた、そうやって慰める。
「もう妻の立場なんて、微塵も残ってないな……」
と衣装部屋に続く扉を見て、ザイラはポツリと溢す。いっそ、レンガで埋めてしまおうか。
地位や世間体、容姿や能力を基準にして人が評価されるなら、ザイラは一番自分が不利なのは知っている。今の自分は、伯爵家に産まれた血筋だけがその評価を後押しして侯爵夫人となった。アレシアの身代わりに。
だがアイヴァンは、優しく慈しんで、ザイラの手を握ってくれた。その涙を、拭ってくれた。
分かっている、分かっていたのに——
離婚を望んでも叶わない。
むしろ別れられれば、どれだけ楽だろうか——
けれど心を通わせたいとて、それも到底叶わない。
一番愚かなのは自分だ、というのをザイラも認める時が来た。
情けなくも、微かにあるかもしれない、という望みを捨てきれなかった。
アイヴァンの幸せを願う度、自分の存在はどんどん遠くなっていくこの矛盾を受け入れようとしたのに、出来なかった。
それは、認めなければならない。
ザイラは 妻 を生涯全うしなければならない。
で、あるならば、ザイラはアイヴァンに本当なのかを尋ねる、なんて不粋な真似は出来なかった。
真っ白な便箋に筆を走らせる。
上手く書けている。
私情を挟まず、簡潔に、字も綺麗だ。
なのに、なぜ便箋にポタ、ポタ、と水滴が垂れてしまうのだろう。
ダメだ、この便箋はもう使えない。
もう一枚だ。
書いてる途中の便箋をザイラはクシャクシャに丸めて床へ投げる。
それを、何度も繰り返した。




