ゲルダ
ラズリィは言葉を失った。
少し前まで、ここの女たちには、人間としての情がないのかとすらも考えていた。それほど、彼女たちは男に対して非人道的だった。
しかし、今の話がもし本当なら、最初にとんでもない悪事を女に働いたのは、男たちということになる。
だからといって、祖先が引き起こした愚行のなれの果てを、何も知らないラズリィたちが長年尻ぬぐいし続けなければならないというのも、ひどい話だ。
二の句が継げないでいるラズリィに追い打ちをかけるように、エーデルは言った。
「私たちが長年に渡って、外界の女をあなたたちの集落に送り込まなければ、男はとっくに滅びていたわ。でも、あえてそれをやめなかったのは、男たちをみじめに生かして罰を与え続けるため。その制裁行為を積極的に推し進めてきたのは、主にここの保守派の女たちだけれど、若い世代の中には、少しずつその行いに異を唱える者も出始めて、今セノーテホールの中では意見が二分しているの。
――そんな中で、歌姫たちの力に異変が起きた。ここ数年、私たちは外界から女しか召喚することができなくなってしまった。種を得るために、外界から男を呼び寄せることは絶対必要だというのに。おそらくは混血を繰り返したせいで、古代からの歌姫の血が徐々に薄れてきているのでしょうね。女たちの中にも、もう歌姫の力を失ってしまった者も大勢いて、今ではここの総人口の半数近くは、魔力を持たない女たちなのよ」
エーデルは小さく息を吐いてから、指を組み直す。
「召喚術は、召喚対象の持つ性質によって、成功率がかなり左右される。陰の性質を持つ女よりも、陽の性質を持つ男の方が、魔力で引き寄せるのが難しくて、より召喚難易度が高いの。それでも今までは、なんとか外界から男を呼び寄せることができていた。でもそれができなくなった今、放っておけば私たち女も滅びるしかなくなる。
――そこで仕方なく、罪深く忌まわしい男の集落から、種を選ぶことにした。それがハーベルトとラズリィ……あなたよ。男たちを生かしておいた理由はどうであれ、結果的には、生かしておいて正解だったというわけ。皮肉なことにね」
本当に、皮肉だと思った。
エーデルの話を聞いて、大空洞ができた経緯や、自分たちの先祖がたどってきた歴史、そして現在の状況からして、何もかも、ことごとく悪い方向に向かっているように思えた。
感情的には、男を徹底して自分たちの都合の良いように扱う女のことは、とうてい許せるものではない。
しかし、客観的に今の話を受け止めた場合、女が男を憎まずにはいられない理由も、悲しいかな、納得できてしまう。
そして、考えを巡らせているあいだ、ラズリィは一つ気づいたことがあった。
「エーデル。君は以前、先人たちがしてきた行いは、今の僕や君には何も関係がないと言ってくれたよね。……でも本当は、君はまだ過去の出来事に捕らわれているんじゃないのか」
エーデルが、静かにこちらに目を向けた。
「どうしてそう思うの?」
「君はとても賢い女の子だ。判断力にも優れている。そんな君が、セノーテホールの内情を……意見が二分しているということを、わざわざ僕に話した。君の中で、その意見のどちらを取るか答えが出ているなら、そんな話は最初から僕にしないと思ったんだ。君の決断に沿って、このセノーテホールの女たちを導いていくだけのことだから。
でも、今あえて僕に話したのは、君自身が選択に迷っているからだろう。迷うほど、過去の出来事に捕らわれているんだ。過去が関係ないって言うなら、迷わず革新派を選ぶだろう、君なら」
ラズリィの言葉に、エーデルは小さく息を吐く。
「……参ったわね。あなたは鈍そうに見えて意外と鋭いから、少しやりにくいわ」
そして、困ったような笑みを向けられた。
「そうね、ラズリィの言う通り。結局のところ、誰よりも私が一番過去に捕らわれているのだと思う。自分が生まれてもいなかった時代の悲劇を、まるで自分が体験したかのように感じてしまっている。だから迷うの。……私はね、過去を見ることができるのよ」
「過去……?」
「高位の歌姫であれば、備わっている能力よ。歌には、その歌を過去に歌ってきた者たちの思念が残されているの。強い思念であるほど、歌い手の命が尽きても消えることなく歌に留まり続ける。歌を歌うたびに、私は多くの残された思念を見てしまう。それがたとえ目を背けたくなるようなものでも。だから、口では過去なんて関係ないと言ったけれど――もちろん、それは私の純粋な本心だけれど。今まで見てきた歌姫たちの思念が、その怨念とも言えるべきものが、男たちを決して許すなと叫んでいる」
エーデルは、震える声を無理に奮い立たせるように、そんな話をラズリィに打ち明けた。
ラズリィは、当初はエーデルのことを、何にも捕らわれない物の見方ができる、行動的で革新的な若き主導者なのだと思っていた。おそらく、彼女の本質はそれに近いはずだ。
しかし、そんな彼女も時には迷い、苦悩することもあるのだ。
ラズリィは、知らなかったエーデルの一面をひとつ知れた気がした。
「わかったよ、エーデル。僕の提案がひどく難しいことだっていうのはよくわかった。僕みたいな何も知らない子供が、簡単に口を挟める問題じゃないってことも。この話はとりあえず保留にしよう。……それで、別のことで一つ気になったことが出てきたんだけど、それも聞いていいだろうか」
「何?」
「さっき話してくれたことだよ。セノーテホールでも、魔力を持たずに生まれてくる女性が、もう半数近くになっているって、言ってたよね」
「ええ」
「あの、こんな言い方は良くないかもしれないけど……。その魔力を持たない女の人たちというのは、昔の男たちのように、歌姫のことを恐れたりはしないんだろうかって――」
ラズリィは言ってから、まずいことを聞いてしまったと悔やんだ。エーデルが、またも苦々しい表情を呈している。
当然だ。ラズリィが口にしたことは、いわば女たちの中にも反乱分子が潜んでいるのではと勘繰るものだったのだから。
「今日は、やけに痛いところをついてくるのね。まあ、いいわ。あなたのそういうぶしつけなところ、嫌いじゃないし。いい機会だから教えてあげる」
そう言うと、エーデルはもういつもの笑顔を取り戻していた。
「あなたの見解はおおむね間違ってないわ。魔力を持たない女たちは、私たち歌姫を畏怖の対象として崇め恐れてもいる。そして歌が歌えない者は、たとえ女であろうと、いつ男のように裏切るかわからない。それは、多くの歌姫が心ひそかに思っていること。誰も表立って、大きな声では言わないけれど」
エーデルが瞳を伏せた。
「魔力を持たない女のことを、ここでは〝守護者〟というの」
「守護者?」
「魔力のない女が増え始めてからできた言葉よ。魔力を持たない女が、他で役立つために与えられた役割。ゲルダは歌姫を守護するためにいるの。歌姫が身ごもり出産・育児をするようになれば、母体と赤子を守り助ける存在が必要になる。そのために、ゲルダは歌姫とつがいの契約を交わし、生涯歌姫とその子を守る。それがゲルダの役割。公には歌姫もゲルダも立場は平等とされているけれど、実質的には身分制度のようなものね。
ゲルダは歌姫に指名されればつがいの契約を断ることはできないし、ゲルダ自身が子供を持つことは認められていない。守護者が女でいる必要もないから、服装や振る舞いも、優美さよりも強さや雄々しさを求められる。彼女たちは、女であって女ではないの」
「そうか……だから僕は、初めてセノーテホールに来たとき、男もいると勘違いしたんだ。あの人たちは、みんなそのゲルダだったんだね」
ラズリィがずっと抱えてきた疑問が、ようやく解消されたのだった。
「そう。ここでは歌姫でない者は、ゲルダになるしか道はない。彼女たちは、幼い頃から優れたゲルダとなるための教育と訓練を受ける。歌姫が歌の教育を受け、日々修練を積むのと同じようにね。よくできた役割分担でしょう? 産む者と守る者というわけ。でもそのゲルダの制度ができてから、私たち歌姫とゲルダの溝はさらに深まってしまった。歌姫が利権を得すぎているというの。特に、子供を持つことに関しては」
「……たしかに。それではゲルダが反発するのも無理ないんじゃないか。そもそも、どうして歌姫とゲルダに溝ができるような、そんな制度が作られたんだろう?」
「そうね……。これは、セノーテホールが女の集落だからこそ起きた問題だと思うわ。人口を増やすことが比較的容易なおかげで、労働力の確保はしやすい反面、人が増えすぎることは、少なすぎるのと同じかそれ以上に困ることでもあるの」
長年子供が増えず、人手不足に悩まされ続けてきた中で育ったラズリィには、ピンとこない話ではあった。
そんな彼に、エーデルが丁寧に説明してくれた。
「自分の子供を産み育てたいと願うことは、とても自然な欲求だと思うの。男であれ女であれ、それはいつの時代もきっと変わらない。人間だって生き物ですもの。でも、出産・育児をする間は、身体は弱りきっているし乳飲み子を抱えているしで、すぐには元のように動けない。どうしても、そばで助けてくれる身近な存在が必要なのよ。一人で子育てはできない。母子を守ってくれる、産まない役割を担う者が必要なのよ。集落の女が全員出産しては困るの。
それに、ただでさえ歌姫の血が薄れてゲルダが増える一方なのに、そのゲルダまでもが子供を産めば、その子もかなりの確率でゲルダなのよ。これ以上、むやみにゲルダの割合を増やすわけにはいかない。人口が増えればそれだけ食料も物資も必要になる。なのに、召喚術が使える歌姫は減るばかりで、このまま放っておいたら間違いなく食糧難や物資難に陥ってしまうわ。
この大空洞で調達できる食料や物資は、本来とても限られている。ラズリィならわかるでしょう? 今のセノーテホールは、何もかも外界から調達しないと成り立たないの。そういう理由があって、だから誰も彼もむやみに人を増やすわけにはいかないのよ」
「なるほどね。それにゲルダが増えすぎれば、それだけ歌姫側の立場も弱くなるし、その分反乱も起こされやすいってわけだ」
「……そういうことよ。でも、決して歌姫の利権だけを考えているわけではないってこと、少しはわかってもらえたかしら。ゲルダが増えすぎて、歌姫とゲルダの数の均衡が破られれば、セノーテホールすべての民の命に関わってくる。それだけは、絶対に避けなければならないことだから」
ラズリィはしばらく考え込んだ。そして考えたあとも、結局納得のいく結論にはたどり着けなかった。
「あのさ……。男の集落にしても、このセノーテホールにしても、大空洞は、人間が住む環境としては、もうとっくに破綻しているんじゃないか。そもそも、最初からここを住みかにするのは、無理があったように思えてならないよ」
「それがそうだとして、じゃあ、今後どうするべきだとあなたは思うの?」
「そうだね……」
ラズリィはまた考え込んだが、さほど長考することもなかった。彼の中で、もうとっくに答えははっきりしていたのだ。
「僕はなんとかして外界に出たいな。小さい頃からずっと憧れていたんだ。外界に出ることができれば、僕たちが抱えている問題は、たぶんほとんど解消されるだろう。外界は大空洞と比べれば、本当に楽園のような場所だと思うんだよ」
「そうかしら。私はそうは思わないけれど。外界にだって様々な問題はあるのよ。大空洞に比べて天敵となるような動物もいっぱいいるし、私たちが遭遇したこともないような、大きな自然災害や病気が蔓延している地域もある。もちろん、外界にいる人間だって敵よ。文化も価値観もまったく違うんですもの。そして私たち歌姫は、のこのこ出ていけば結局また迫害されることになる」
珍しく、エーデルはとても弱気な発言をした。それほどまでに、外界は恐ろしいところだというのか。
「力を隠して暮らすことはできないの? 歌わなければ、魔力を持っているということにも気づかれない」
「簡単に言わないで。隠すなんて無理よ。私たち歌姫にとって、歌うことは呼吸をすることと同じくらい生きる上で必要なの。歌姫は、歌を奪われたら死んでしまう。たとえ肉体は生き長らえても、魂が死んでしまうわ。そうなるくらいなら、私は死を選ぶ。歌えない暮らしなんて、そんなの生きているとは言えないもの。――そもそも、どうやったら外界に出られるのか、あなたは知っているの?」
「……知らない」
「何よ、ばかばかしい。何か算段でもついているのかと思ってびっくりしたじゃない。とんだ無駄話だったわ。外界で暮らしていけるか、議論する以前の問題じゃない」
エーデルは、心底呆れている様子だった。
「ラズリィと話すと、いつもこんなお堅い話題ばかりになるのよね。あなたって、本当につまらない男」
「え? それは……ごめんなさい……」
なぜか反射的に謝っていた。