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アルーシュの歌姫 ~洞窟世界の住人たち~  作者: ゴリエ
第二章 歌姫と守護者
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再会

 エーデルはラズリィを不満げに睨みつけると、当てつけのように今までで一番大きなため息を吐いた。


「ラズリィ。あなたの集落ではどうだったか知らないけれど、一人に向けて、一人のためだけに歌を歌うという行為は、ここでは特別な意味を持つことなのよ」


 エーデルは言葉以上に、熱心な眼差しでラズリィに訴えかけた。


「歌姫は、普段は大勢の前で祈りを捧げるために歌うことが多いの。それが歌姫の務めだから。でも、義務でも使命でもなく、たった一人に向けて歌うことがある。ただ一人のために歌うことは、ここでは愛を囁く行為なの」


 エーデルの言葉を、ラズリィは頷きながら聞いていた。


「私が何を言いたいのか、わかる?」

「わかるよ」

「……いいえ。その顔は、ちっともわかっている顔ではないわ」


 エーデルは顎を突き出し、いよいよ腰に手を当てた。


「私はここで、毎日のようにあなたに向けて歌を歌ってきたわ。あなたは、ただ私から歌を教わっているだけだと思っていたのでしょうけれど」


 エーデルがラズリィの前に勢いよく踏み込む。


「ラズリィ、私は女なのよ。そしてあなたは男」

「え? うん、そうだね……?」

「さらに、私たちは毎日かなりの時間を一緒に過ごしているわ。それも、わざわざ人払いをしてまで」

「うん……」

「加えて私たちは夫婦でもあるのよ。……あなたが望んだことでは、ないのだけれど」


 エーデルがわずかに目を伏せ、しおらしくして見せたのは、いわゆる待つ姿勢だった。

 しかし、ラズリィには微塵も伝わらない。


「ここまで言っても、まだわからないの!?」

「ご、ごめんなさいぃ……っ」


 ラズリィは困惑するしかなかった。エーデルはどうしてこんなに腹を立てているのか。自分は特に何もしていないはずだ。

 正確には、「何もしていない」ことがまさに機嫌を損ねた理由なのだが、それをすぐ察せるほどラズリィはできた男でもなかった。


 エーデルが肩を落とす。


「私、ラズリィとはちゃんと気持ちの通い合った夫婦になりたかったから、今まであなたを急かすような真似もしなかったし、あなたのペースに合わせて清らかな関係でい続けたわ。なのに、あなたときたら、さも当然のようにその環境に順応してしまうんだもの。少しはそのことに疑問を抱いたり、意外に感じたり、さらには感謝もしてみたらどうなの。

私の歌を聴いて、これっぽっちも何も感じなかった? あれだけいつも私の歌声に触れていながら、あなたには少しも伝わらなかったのね」

「いや、何も感じていなかったわけじゃない! とても綺麗な歌声だと……――え? それだけでは、だめだったの……? もし、自覚なしに君を傷つけていたのなら、それは心から謝るよ。本当にごめんなさい」


 ラズリィは頭を下げた。謝ったところで、この謝罪に意義などない。エーデルがなぜ怒るのか、理解できていないからだ。


 とはいえ、反省の姿勢だけはなんとか評価されたようだった。


「――もういいわ。ラズリィみたいな男の子には、形から入ったほうが、案外事が上手く運ぶのかも」


 またもエーデルが距離を詰めてくる。

 いつの間にか、鼻を突き合わせるくらい二人は接近しており、ラズリィは驚いてよろめきながら後ずさった。


「形から入る、って……?」

「言葉通りよ。本当は少しずつ関係性を構築するつもりでいたけれど。私たちの場合は、必ずしも順序にこだわる必要はないのかも。互いのことを知るための手段は、何も会話だけではないということよ。互いの身体を知って、初めて異性としての魅力に気づくということも、十分ありえるんじゃないかしら」


 ラズリィは、ようやくエーデルの思惑を正しく理解した。もはや遅きに失したとも言える。

 彼女はすっかり狩人の目だ。もちろん獲物は、たじろぐことしかできないラズリィである。


「ラズリィは、私のことを知りたくないの? 私は知りたいわ、あなたのことは何もかも」


 エーデルの深い青の瞳に見つめられると、ラズリィはその場から動けなくなってしまった。彼女は魔力を行使したわけでもない。ただ彼女の魅力に圧倒された。

 間近で見るエーデルは、やはりこれ以上なく美しい。互いの吐息が感じられるほど距離は詰められ、どちらかが少しでも動けば、もう触れてしまいそうだった。

 はっきり言って、ラズリィはエーデルに見とれていた。だが、エーデルが望んでいたのは、そんな呆けた反応ではないのだ。


「ちょっと。この私にここまでさせて、本当に何もしないつもり!?」

「え、あ、……何かしなくちゃいけなかったの……?」


 ラズリィの愚鈍な反応を見て、エーデルは何か勘付いたようだった。


「ラズリィ……あなた、男の子にしては気味が悪いくらい淡白だとは思っていたけれど。もしかして、男女のまぐわいの知識があまりないのではない? 子供はどうすればできるか、知っている?」

「い、いきなり何てこと言い出すんだ……っ」


 顔を赤くして狼狽えるラズリィとは真逆に、質問を投げかけたエーデルは、いたって真剣だった。


「知っているかどうかを聞いてるの。どうなの?」

「し、知ってるよ、それくらい……」


 急に小声になったラズリィに対して、エーデルは容赦なく詰めてくる。


「本当に? あやしいわ。そもそもあなたの生育環境を考えると、正しい性教育を受けていると考えるほうが無理な話なのよ。お母様は早くに亡くなられたというし、粗野で無骨な男たちが、そこまで配慮できるとは思えない。それに彼ら自身にだって、あなたに教えられるほどの教養も誠実さも持ち合わせがないでしょう」

「ちょっと、エーデル。いくらなんでも男を馬鹿にしすぎだ。たしかに、そういう知識をちゃんと教わったことはないよ。でも、そういうことは教えてもらわなくても、成長する中で自然と知っていくもので……」

「そんな台詞は、まともな知識を身につけてから言いなさい。御託はいいから、子供の作り方をさっさと説明しなさいよ。知ってるんでしょう?」


 ラズリィは見逃してもらえず、耳まで真っ赤にしながら吐かされていた。


「は……裸で……」

「裸で?」

「だ……抱き合、う……」

「…………で?」

「で? って……。だ、だから、それがその方法……だよね? だって、抱くとか抱かれるとか言うだろう。……違うの?」


 エーデルはしばらく沈黙したあと、今度は頭を抱えた。


「やっぱりね……。悪い予感が的中しちゃうなんて」

「悪い予感?」

「もう、いいわ。ラズリィを責めても仕方ない。あなたにもちゃんとわかるように、また教えてあげるわね」


 自分が恥を忍んでまで口にした回答は、どうやら正解にかすりもしなかったらしい。正直、その場でのたうち回りたかった。しかし、実のところ正解する自信はほぼ皆無だった。

 思えば、自分はその辺りの知識が実にあやふやで、なぜ今までそこに考えが及ばなかったのかと、自分自身に呆れた。

 エーデルに問い詰められなければ、今までどおり何の疑問も持たなかっただろう。


 エーデルはもう切り替えて、苦い顔のラズリィを笑い飛ばす。


「実を言うと、少しほっとしたの。ラズリィが私に何もしてこなかったのは、そういう理由でもあったのね。あまりに何もされないから、私には魅力がまったくないのかしらって、これでも傷ついていたのよ」

「傷つく……? どうして、僕が何もしないとエーデルは傷つくの?」

「だって、私だけがラズリィを気に入っていて、それなのにあなたは私に少しも興味がないだなんて、そんなの寂しすぎるもの。それくらいのことはわかるでしょう?」

「ううん……。そもそも、僕のことを君が気に入るっていうのが、嬉しいんだけど、いまいちよくわからなくて……」


 ラズリィは困ったように首をさすった。


「初めてセノーテホールに来た日、僕の容姿についていろいろ言われたんだよ。目の色がどうとか、髪の色がどうだとか、顔が女みたいだとか。そんなことを言われたのは初めてだった。元いた集落では、気にも留めなかったことだ。僕だけじゃなくて、他の大人たちも皆そんな感じだったよ。自分の顔を見る機会なんてめったになかったし、他人の顔だって、暗いとはっきりとは見えないからね。まして目や髪の色なんて、生きていく上で特に必要のないものだった。そんなことにまで気が回らないと言うほうが正しいかな。みんな、毎日を生きるだけで精一杯だもの。

でもセノーテホールは、照明の設備が行き届いていてどこでも明るいから、人の顔や服装がよく見えるってことに気づいた。それが人々の心や暮らしに余裕をもたらすんだろうね。僕たちのいたところでは、主に腕力や体力、運動神経、知力が優れた者ほど生き延びる確率が高い優秀な男だと認められやすくて、その点僕なんかは出来損ないもいいとこだった。でもセノーテホールではそんなことよりも、髪や目の色や顔の作りのほうが重要視されるのかなと思って。そういう要素で男を選びたがることが、僕にはひどく不思議だったから」

「まあ、ラズリィの言わんとしていることはわかったわ。たしかに、私たちの価値観も極端なのかもしれないわね。でも、人の見た目というものは、あなたが思っているよりもはるかに重要よ。特に、文明が発達していればいるほど、その傾向にあるんじゃないかしら。狩りばかりしていたあなたたちにはピンとこないでしょうけれど、腕力や武器でのやりとりだけが戦いではないの。ここでは優れた容姿や自身の富を示す高価な衣服、装飾品なども立派な武器よ。そういう社会なの。それなら、少しでも美しい子を産みたいと思うのが自然じゃないかしら」


 エーデルは、およそラズリィには理解しがたい理論を展開した。


「私に限っては、ラズリィの歌姫としての能力が欲しいというのもあるけれど。でも、今はそれだけでもないのよ。あなたって、普段はぼんやりしているのに、たまにこちらがびっくりするような鋭い話を振ってくるじゃない。私は、あなたのそういうところがとても好きなのよ。ラズリィなら、きっと魅力的で可愛い女の子を授けてくれると思うのよね」


 エーデルのその言葉に、ラズリィは一瞬眉をひそめた。


「セノーテホールでは、本当に絶対女しか生まれないの? もし、仮に男が生まれたらどうするの?」

「……そんなこと、ありえないわよ」

「わからないじゃないか。魔力は経年的に、どんどん衰えているんだろう? 今までできていたことが、できなくなってきたと話していたじゃないか」

「万が一……もし万が一にもそうなってしまったら、女の子を授かるまで、あなたと子作りするだけのこと。あなたでだめならハーベルトか、それともまた別の男を見繕ってくるか」

「子供は? 男の子の子供はどうなるんだ?」

「そんなこと聞いてどうするの」


 今度はエーデルが怪訝な顔をする番だった。彼女の瞳は、驚くほど冷徹な色をしていた。

 ラズリィは一瞬怯んだが、しかしそれと同時に、無性に怒りがこみ上げてもきていた。


 二人のあいだに、急に沈黙が訪れた。無言の中でも、張り詰めた空気を肌に感じる。

 ラズリィが感情に任せて口を開きかけたとき。長い沈黙を破ったのは、ラズリィでもエーデルでもなかった。


「失礼いたします」


 少年のような凛とした声だ。ラズリィはその声には聞き覚えがあった。


「定刻になりましたので、ラズリィ様をお迎えにあがりました」


 以前と違い頭に巻き布をかぶってはいなかったので、短く切りそろえられた亜麻色の髪を、ラズリィは初めて目にしていた。が、その意思の強そうな目を見間違えることはなかった。


「あら、フィン。今日の迎えはあなたなのね」

「お話し中に割り入ってしまったご無礼をお許しください。また、時をあらためて参りましょうか?」

「いいえ、ちょうど良い折に来てくれたわ。――ラズリィ、今日はもう戻りなさい」


 エーデルにそう言われて少々気まずい思いをしながらも、小さく頷き、フィンに連れられ奥地をあとにした。

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