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第2話「葬式と失恋のタンゴ」 7

 一歩、また一歩と、棺に近づきながら、あたしは果たして何を望んでいるのか。

 はっきりしないまま覗き込んだ小窓には、安らかな鈴木田さんの寝顔――。


(あれ? 鈴木田さんこんな顔だったっけ……?)


 考えてみれば、あたしは鈴木田さんの全部の表情を見たことが無い。知っているのは、真顔と笑顔と、少しだけ怒った顔くらい。


(人の顔って、色んな表情があって、顔なんだ……)


 見慣れない鈴木田さんを見ながら、あたしはそんな当たり前の事を考えた。


「安らかだな――。こっちは何も知らないで、死んだんだな。俺が美弥ちゃんの中に居るなんて、知らないまま……」


 鈴木田さんはまるで他人に言うように言った。あたしは知らずのうちに、寝ている鈴木田さんの頬に指を触れる。ツーッと這わせると、今にも目を覚ましそうな、そんな顔だった。


「ありがとな、美弥ちゃん。もう、いいよ。納得した――」


 その声が聞こえてはいるけど、あたしは指を離せない。今度は両手で、頬を撫でた。


「まじでいいって。皆が変に思うぞ。ありがとな――もういい」


 それでもあたしは、離れられない。だって、鈴木田さんの体は、もうすぐ骨になる。無くなってしまう。心は此処に居るのに。

 あたしは、その気持ちを伝えようと頑張ったけれど、出た言葉は自分を疑うようなもの。


「ねえ、鈴木田さん。あたし、鈴木田さんの心が知りたい。戻りたい? それともこのまま?」


 鼓動が早まり、汗がにじむ。あたしは今、出所不明、行き先不明の感情に押し流されて、溺れてしまいそうだ。


「――そりゃあ、戻りたい。美弥ちゃんの為にも」


「違うっ! あたしの為とかじゃなくって、鈴木田さんはどうしたいの!?」


 まるで子供だ。あたしは――。こんな質問、訳も分からずあたしの中に入った鈴木田さんにはこくすぎる。あたしは一体、どうしたのだろう。何がしたいんだろう。

 やがて鈴木田さんが、絞り出すような息で答えた。


「すまん――」


(ああ――あたしって、なんてひどい……)


 その時、急に灯りが消えた。停電か何かだろうか。式場はざわめき、時間は止まったかのよう。あたしは時間の外に放り出される――。

 そして棺に覆いかぶさり、ただただ鈴木田さんに謝った。


「ごめんなさいっごめんなさいっ、ごめんなさいっ――。あたしの体を、使っていいから――。ずっと一緒だから――」


 あたしはその時、鈴木田さんにキスしたと思う。

 そして灯りが戻った頃、お母さんがあたしを、棺から引きはがそうとしているのに気付いた。


(さよなら。鈴木田さんの、からだ――)


 もうバス停で、どんなに待っても、あの笑顔には会えない。おっさんのくせに、あたしをこんな気持ちにさせて、天に昇っていく。


「居残ってしまって、申し訳ない……」


 鈴木田さんが、情けない声でつぶやく。


「いいよ。しょうがないじゃない? それより、もう一つ……はっきりしておかなくていいの? 例の、由奈さん……」


 鈴木田さんは答えなかった。はっきりさせたいのは、あたしの方かもしれなかった。



 それからお葬式が終るまで、あたしは呆けたように座っていた。式が終わり、周りの人たちが席を立っても、しばらく動けなかった。

 ご家族の方が心配して声をかけて下さって、ようやく席を立つと、出口に例の由奈さんが立っている。 待っている、の方が相応しいほどに、由奈さんはあたしだけを見ている。


「お母さん、ごめん。先、行ってて。すぐ行くから――」


 あたしが、お手洗いだろうとでも思ってくれたのか、お母さんは特に気にする風でもなく先に行ってくれた。

 エントランスに残ったあたしは、由奈さんの視線が作ったまっすぐなレールの上を、危なっかしく歩く。

 由奈さんも、あたしの作ったクニャクニャのレールを、微動だにせず歩み寄った。

 そして二人だけの会話ができる距離になると、互いの足は止まった。

 まず、由奈さんが顔を上げる。


「あなた、鈴木田さんに助けられたって――」


「はい」


「もしかして、バス停の? いつも一緒の?」


「はい」


「一度聞いたことあるの。とってもいい娘だって」


「そんな――」


 その後、少し沈黙があった。あたしは言いたい事があるのに、うまく整理がつかないでいる。だから次の言葉も、由奈さんに譲ることになった。


「あなた。初めて見た時、思ったの。この女の子は、あの人が好きなんだろうなって。さっきも、そう思った。こんな事になって、言葉もないけれど、一つ聞いてくれるかしら?」


「…………」


 あたしが了解しなくとも、この人は喋るだろう。そしてそれは、あまりいい内容ではないと思う。あたしはそう直感している。


「私、結婚するのよ。ずっと前から決まっていたんだけれど、あの人に言い出せなくって……。それは私の一つの心残りで。でも、あなたに伝えればいいような気がするの。ごめんなさい。彼の気持ちは知ってたけど、結果的に振り回したみたいになっちゃって――」


「そ……ですか」


 その後、二、三の決まり切った言葉を並べて、由奈さんは去っていった。

 あたしは正直、嫌いなタイプの由奈さんに、別れの挨拶もしなかった。

 後味の悪さだけが残る、失恋だった。


(何っ? 失恋したのはあたしじゃないのに、このやな感じ――!?)


 そんな気持ちを抱えたまま外に出ると、駐車場にお母さんが待っている。

 近くには公園があって、奇遇なことにあのタンゴが聞こえてきた。きっと誰かが、公園で演奏しているのだろう。


(確か、ラ・クンパルシータ。仮装行列?)


 お母さんがタンゴのリズムに手を振っている。ぴったりした喪服は色っぽくて、日常感のなさはまるで仮装――。


「お葬式と、失恋と、仮装行列タンゴか……」


 あたしが心でつぶやくと、鈴木田さんも一言。


「人生なんて、仮装行列さ。明日はどんな仮装をしようか……ってね」


 ずっと遠くに、小さくなった由奈さんの後ろ姿が見える。

 あたしは小走りに、それを追いかけた。

 そして、叫んだ。


「由奈さーん! お幸せにーっ!」


 驚いて振り返った由奈さんに一礼して、あたしはお母さんの待つ方へと駆けだした。


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