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体育会系インドア派!  作者: 日なた日かげ
残念系相談解決
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7/21

過去の記憶

基本的にバスケ部は夜の8:00まで練習する。部活開始が4:00で、日によってミーティングやウエイトトレーニングがあるので、実質体育館での練習は毎日3時間弱くらいだ。

学校から出している帰り用のスクールバスは4:00に一本、6:30に一本の計二本であるために、通常の部活は8:00まで練習することなどできない。だがスポーツクラスに該当している部活には寮が与えられているために、8:00までの練習を可能にしているというわけだ。ちっ、余計なことを…。

我が部は選手31人、マネージャー2人の総勢33人で構成されている。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは人それぞれだろう。いや、少ないと捉える人はいないか。

さておき男子バスケ部は31人の選手のうち30人が寮生活をしているわけで、中には家がかなり通り奴もいたりして、結構不便なんだろうな。きっと。

というのも僕は寮には入っていないのである。理由は至極簡単で"家が近いから"だ。地元組というやつ。まぁ正直都合がいい。寮とかにぶち込まれたら、おちおちエロゲーもプレイできやしない。時間指定して親がいないうちに通販を頼むこともできないし、彼女だって簡単には連れ込めない。

おい、いやちょっと待て。わかるよ。突っ込みたいんだろ?『おまえ、連れ込む彼女いないじゃん。』とか愛のない言葉をかける気だろ?でもさ、ここはそっとしておいてやってくれないか?

まぁそんな感じで僕以外は寮に入っているのだが、自宅通学の利点は他にもある。

それは『時間の制約がないこと』だ。運動終了後30分から1時間は【ゴールデンタイム】といわれ、タンパク質が吸収されやすく筋肉になりやすい。それゆえに寮のご飯は決まって8:30から。なかなかシビアなタイムスケジュールだな、それ。

そういうわけでみんなは練習が終わり次第すぐに帰るのだが、自宅通学の僕は残って自主練ができるというわけだ。だからこそ僕は個人的に体育館の鍵を持っているというわけ。


さて今日の練習は今週末に試合があるというだけあって、試合を想定したゲーム形式の練習が序盤から組み込まれていた。

ここだけの話、バスケの練習って全く楽しくない。幾つか楽しくないわけではないものもあるけど、9割がた楽しくない。

特に【ランメニュー】【フットワーク】【3メン】。この3つは全国どのバスケ部に聞いても、嫌いなメニューランキングに食い込んでくる強者どもだ。あまりのきつさに『先生って実は僕らをいじめることで快楽を感じる変態さんなのでは?』という疑問が浮上してくるくらいである。


バスケ部所属、またはバスケ部出身の方。この気持ち、わかってくださりますよね…。


さておき、前述の通り今日はゲーム形式の練習が多い。やったね!

となるのが普通の学校。僕たち常陸高校のバスケ部はそんなに甘くはないのです。ゲーム形式の練習が多くなることが、きついメニューの削減につながるわけではなく、スキル向上系の比較的楽なメニューのみが削られる。

つまり、【走る】【走る】【走る】【ゲーム形式】という負のスパイラルの完成だ!やったね!

やっぱりさっき浮上した『先生は変態さん』説は本当だったね。いつかバチ当たるよ、あの陰険教師め。

こんなこと毎日やってれば日中の数学が呪文に聞こえもするわ。


さて今日の練習も悪魔の指示によって、非人道的に進められていく。

やっとの事できついメニューを乗り越え、残るは楽しいゲーム形式の練習のみだ!となる頃にはすでに疲労困憊。もう一度、大切なことだからもう一度言おう。


あいつ、いつか絶対バチ当たるよ。むしろ当たらなきゃおかしい!笑ってるもんあいつ!


皮肉をたれつつゲーム形式の練習に移行する。

常陸高校バスケ部は大きくAチームとBチームの2つに分かれている。簡単に言えば主力とサブ。Aチーム15人、Bチーム17人。15人というのはユニホームを着れる人数。ゆえに15人のうちの5人くらいは、常に入れ替わっている。この生存競争が技術向上に結びついている。シビアで現実的で冷たい世界だが、決して悪いものではないと思う。

まぁそんな理由もあって、チーム内での紅白戦は激しさが増す。一応僕はAチームの上から10人に入ってるが、余裕ではいられない。試合に出たい奴らの気迫には目を見張るものがある。こういう刺激があるのは実に充実する。痛いけど。いやほんと冗談抜きで痛いけどさ。


ここでひとつカミングアウト。何人かは『バスケットってなんか爽やか!』とか幻想を抱いているかもしれない。しかしそんなのは全くの嘘。考えてもみてほしい。あのユニホーム。肌の露出が異様に多い。つまり、人の汗がめちゃくちゃくっつく。最悪ユニホームに手が入ってきたり、入れちゃったりもする。ましてやあのコートの狭さに10人。どんだけ接触すると思ってるんだ!

そもそも僕は触れられない方々、つまりは平面世界に愛情を抱いている身。接触など本意ではない!女の子は別だけど。むしろウェルカムだけどね。その点なら立体もいいね!むふふ。

さておき接触が多いだけあってバスケットは案外怪我が多いスポーツでもある。


そして僕は今日の練習でちょっとした怪我をした。おそらく引っかかれたのだろう。右腕から少し血が出ている。痛くもないし、いつもならこんな事は気にしはしなかっただろう。

だが、この日だけは少し嫌なことを思い出した。

今日怪我したのは右手。痛々しく今も残る肘から手首につけられた手術痕。

その上に汗と混じる血を見ながら、僕はあの時の記憶を蘇らせた…。







あれは中学生に上がってすぐの時のこと。僕の進学した地元中学のバスケ部は、部員のほとんどがバスケ未経験者だった。所によっては、少しうまい後輩はいじめられたりするらしいけど、僕のいた中学はそんなことなかった。先輩たちはみんな優しかったし、上下関係もさほど厳しくなかった。むしろゆるゆるだった。上までは上がれなくても、楽しいチームだと思った。

新入生が入学して最初の大きな大会は『総体』だ。三年生が引退をかけた最後の試合。弱小だった僕の中学は、万年市内戦の一回戦落ち。

ただこの年の3年生は「一度でいいから勝ちたい!」という強い意志があり、そのためか唯一の経験者で小学1年生の時からバスケを続けている僕をスタメンとして起用した。

小学から中学へ上がるとリングの高さとボールの大きさ、その他細かなルールが変わるが、それでも経験と未経験の差は大きく、初戦はそれなりに余裕に勝つことができた。

自分で言うのもあれだが、小学校でそこそこの成績を残していたので相手にもならなかった。体格差だけが少しネックだったが技術で埋められるほどだった。相手チームも相当僕らを舐めていて、終いには相手チームの監督が


「1試合目はみんな出してやるからなー。準備しておけよー。」


とか笑いながら言い出す始末で、勝てて本当に良かったと思う。終了後の相手チームの先生の顔ときたら、目も当てられない顔をしていたことをいまだに覚えている。

それでもこの勝利は僕だけの力ではないし、3年生の力は決して小さくはなかった。一回戦なら僕なしでも勝っていただろうというのがその時の僕の率直な感想。

しかし問題はそこからだった。試合を終えた僕たちがご飯を食べていると、知らない女の人に声をかけられた。

明らかに年上で、おそらくどこか他の中学の2.3年生であろうその人は


「さっきの試合見てたよ!すごいね、きみ!一年生?」


と僕に話しかけてきた。

ぶっちゃけ僕は綺麗なお姉さんに話しかけられてテンションが最高潮に達していた。うん、しょうがないよ。今でこそディスプの中に愛を注いでるけど、その頃はまだ純真無垢なむっつり小僧だったし。

そこから30分くらいその人と話し、僕は次の試合があるからと告げ、その人と別れた。

今思えば、話しかけられた時点でその女の人が次戦う中学の人だと気付いておけば、あんなことにはなってはいなかっただろう。

次の試合に勝てばとりあえず地区大会出場の切符が手に入る。かつてない歴史的快挙達成のために、僕達のモチベーションも上がっていた。

事実試合が始まっても、僕たちはみんなかなり調子が良かった。相手チームが僕たちを舐めていたこともあって、序盤から差を広げていき、良い感じで前半を終えた。


ハーフタイムに入り休憩を取っている時に、僕は相手応援席で相手のエースの人と話している先ほどの女の人を見た。


後半に入ってからも僕たちの調子は衰えず、最終ピリオド残り1分で点差は20点あった。相手チームがこの差をひっくり返すには12秒ごとに1本決めなければならない。非現実的な数字ではあるが、それでも諦めずに戦うことがスポーツの醍醐味であり美徳であると僕は未だに思っているし、それが間違えだとは思わない。その結果、大逆転が起こるから、スポーツは最後の最後まで何が起こるかわからないと言われるのだろう。



しかしそのチームは試合を捨てた。

いや、正式には相手チームのエースが試合を捨てた。



エースの戦意を欠いた相手チームは崩れていき、点差はむしろ開いていった。

25点差がついて残り5秒の時点でボールを貰った僕は、無駄なことはせず、ボールを抱え込みゲームが終わるのを待つ事にした。この手の手段はよくある手段で、どのチームも使う。

その時僕にマッチアップ(1:1でマークしている)していた相手チームのエースは思わぬ行動に出た。


ボールを抱え込んだ僕に対し


そいつは


膝を入れたのだ。それも明らかに故意に。


あまりにも堂々とした蹴りに審判も笛を鳴らせなかった。のだと思う。いや、思いたい。

その間に、ももの痛みに耐えられなかった僕は倒れ込む。


そしてそいつは


転がったボールを追うふりをして


僕の腕を



"踏みつけた"



そいつは明らかに侮蔑の目で僕の腕を見ていた。わざとだ。


バキッ


「がっ」


不快な音ともに漏れる言葉にならない声。ここで審判の笛ではなく試合終了のブザーが鳴り響く。

痛みに悶え、立ち上がらない僕は自分の腕を見る。『曲がっていた』。常人のそれとは明らかに違う方向に。

整列をしなくてはいけないという一心で立ち上がる。試合後のアドレナリン分泌で痛みが麻痺していたのかもしれない。腕のことを悟られぬように持ち上げるようにして立ち上がる。

明らかなラフプレーと苦しそうに立ち上がる僕に観客や選手は呆気に取られていた。

礼を終えてベンチに戻り、ことの重大さが露呈する。突き指一つでシュート率が大幅に変わるスポーツで、利き腕の骨折は選手を大きく変えてしまう要因になりうる。

いまだアドレナリンとパニックで痛みを受容できない僕の横をあいつが通り過ぎる。自分の引退が決まって悔しがる顔ではなかった。もっと冷め切った顔。スポーツマンとは思えない顔。まるで同じ人間とは思えなかった。

そして故意かどうかはわからないが手当を受ける僕のそばで、そいつと試合前の女の人はしゃべりだした。


「おつかれー!おしかったね!ま、どんまいどんまい!あ、そういえばさっき言ってた敵チームの子なんだけどさ、今見てみたらそんなにカッコよくないし、てかむしろ"〜くん"の方がかっこいいし!なんかさ"気のせいだった"みたい!"勘違い"ってやつ?わたしはやっぱり"〜くん"だけだから!」


「え、な、なんだよ!俺、お前に嫌われたかと思ったよ。よかった、本当に良かったよ。俺高校行ってもバスケ頑張るわ!」


「(あぁ、そういうことか。僕はその"気のせい"に巻き込まれてこんなことになってるのか。ただの"勘違い"で人をここまで変えられるのか。)」


心と体の両方が冷めていくのを感じた。それとは逆に回復していく痛覚。こみあげるこれからに対する絶望と近くで話をする2人に対する怒り。


「うわあああああああああああ。」


きっとこの叫びと涙は痛みからだけではなかったはず。



後になってわかった話、なぜ審判がひざ蹴りの時点で試合を止めなかったのか。ファールを取らなかったのか。

これは確証がない上に推論だから決めつけるのは失礼なのだろうが一応、と病院の待合室で告げられた事実はこうだった。

その審判は、一回戦目に僕たちが下したチームのあの先生だったということ。

これを聞いた時、この上なく全てがどうでもよくなった。計算されていたかのような悲劇。すぐに自分の名前が呼ばれ診察室に入り、レントゲンの結果を見る。

腕に通っているはずの骨は、途中で綺麗に砕かれていた。

きっと砕けたのは骨だけではない。


何もかも、砕かれた。


手術が必要と言われ、3日後に手術が決まった。手術後にどんな後遺症が残るのかについての話もされていたはずだけど、そんなこと聞けるわけがなかった。

全身麻酔で3時間、腕に大きな金属プレートを埋め込んだ。目覚めた時は痛みでご飯も食べられなかったが、手術は成功したと聞いてここまで誰とも口をきかなかった僕も、少し心を落ち着けることができた。

しかし、そうそう簡単にシンデレラストーリーが形成されるわけはなかった。世の中はそんなに甘くはなかった。


『全治6ヶ月。リハビリで元のように運動できるように戻るまでには1年。』


丸々1年、バスケから離れろという宣告。今までの全てをバスケにかけてきた僕にとってはあまりにも酷い通告。

苦悩の1年が始まった。

初めのうちはただただ絶望していたが、冷静に考えると中学の最後の一年はプレーできるとわかり、やれることはすべてやろうと思えた。

しかし、やれることなんてほとんどなかった。中学のうちに筋トレをするのは発育上よいものではなく、やれるものとしたら左手のみのドリブル強化くらいだった。

それでも自分を鼓舞し僕はそれだけをひたすらにやり続けた。

ただその時は13歳。子供だ。だんだん嫌にもなるし、飽きもする。


そんな時であったのが、片手でプレイできる『ギャルゲー』だったわけだ。


たしかパソコンの動画サイトで動画を見ていた際に広告を誤ってクリックしたのがきっかけだった。ちなみになんの動画かは言及しないでいただきたい。13歳、年頃の男の子、とだけ言っておこう。

それからの日々は、空いた時間はボールを触るかゲームをするか、または携帯をいじるかだった。


そうそう、この時に初めてあかりから連絡が来たんだった。うちの部員から、メールアドレスが回りに回ってあかりに行き着いたとか言ってたな。

たしか初めてのメールは軽い自己紹介と、こんな感じの文だった気がする。


『怪我は大丈夫ですか?あの選手最悪ですよね!あ、でも心配しないでくださいね!あの人もあの女も、もう近寄らせませんから!』


この時は深く考えなかったけど、今考えるとなぜあかりが女の人の方まで知っていたのか、少し疑問ではある。いやそれ以上に"近寄らせませんから"とはどういう意味だったのだろう。


まぁそんなこんなで他の部員や家族、あかりやギャルゲー(主にアヤセたん)の助力あって、地獄の1年を乗り越えた。

残念ながらギプスをとった時点で手首はうまく回らず、今までのようにバスケはできない手になってしまってはいたが、それはこれからの努力次第だと思えたし、なんとかなると思った。

実際頑張れたと思うし、なんとかなったと思う。





「(あんな経験があったからこそ、今の僕がいるのかな?まぁ感謝はしないけどな。)」


過ぎた過去を思い返した僕は、今日も自主練に取り掛かる。

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