第81話 同じ工房
炉のある坂を下り、レオナは預かってきた手紙を店の主人へ渡した。
主人は封を開き、最後まで読むと、紙を持ち直してもう一度最初へ戻った。
「父さん、生きてるんだな」
「粉挽き場にいたよ。足に毛布を掛けてもらってた」
「そうか」
「返事、頼めるか」
「うん。すぐには戻らないけど」
「構わん。こっちも生きてると、伝わればいい」
紙を探し始めた主人が、同じ引き出しを二度開けた。レオナは店先で待ち、折り畳まれた返事を受け取ってから工房へ戻った。
***
工房では、テッサとツクが作りかけの車輪を挟んで言い合っていた。
「それ、昨日の図でしょう。今のはこっち」
テッサが板に留めた紙を指すと、ツクは短く切った木材を車輪へ当てた。
「テッサ、こっち見ろ、言った」
「その図は昨日でおしまい。次に切るときは、私にも聞いて」
ツクは木材と図を見比べた。
「足りない」
「だから、新しいのを見てって言ったの。こっちなら足りるよ」
テッサが別の材を引き寄せたところで、戸口に人影が差した。
三人の人間が立っていた。
先頭の男は旅装だったが、腰には剣がある。後ろの二人も荷は少なく、街へ買い物に来た者には見えなかった。
ツクの手が止まった。
テッサと目を合わせると、木材を置き、工房の奥へ下がっていく。積まれた板と道具棚の向こうへ、その姿はすぐに見えなくなった。
「どうしたの?」
レオナが小声で聞くと、テッサは戸口を見たまま肩をすくめた。
「知らない人間が何人も来ると、ああなるよ。何を言われるか分からないから」
先頭の男がレオナを見た。
「ギルドから来た方ですか」
「うん」
「ダリオといいます。ギルドへ依頼を出したのは、俺たちです」
「ドルンのこと?」
「北の門で、今も止められている荷があります。手紙だけでは分からないと思うんです。直接見てください」
奥からマルクが出てきた。手にしていた帳面を閉じ、三人へ椅子を示す。
「依頼を出された方ですね。こちらで伺います」
そこへ、炉を見に行っていたオルグも戻ってきた。肩の道具袋を下ろし、戸口に固まっている男たちを見る。
「話すなら中でやれ。戸口を塞ぐな」
***
三人が卓についたあとも、テッサは仕事を続けていた。ツクはまだ奥から出てこない。
「依頼には、魔王軍が街を押さえていると書きました」
ダリオは口を開いてから、工房の奥へ目を向けた。ツクが姿を見せないことに気づいたらしい。
「……ここで話しても、大丈夫ですか」
「私は構いません」
マルクが答えると、ダリオはようやく紙を取り出した。
「俺たちが、どれだけ待たされるかを見てほしいんです」
レオナが地図と依頼の紙を広げると、男は北門を指した。
「人間の荷だけ、中身を全部出させられることがあります。武器があるかもしれないと。逆らえば、人まで縛るんです」
「その荷、まだ止まってる?」
「今も。朝からです。行けば、見てもらえます」
「じゃあ、行くよ」
「見たあと、動いてもらえますか。見に来た人は、前にもいたんです」
「止めてる方にも聞く」
男はレオナを見た。
「街の人間は、もう長いこと待っています」
責めるような声ではなかった。
「荷を一つ運ぶにも、向こうがいいと言うまで待つんです。何をしていいかまで、俺たちには決められない」
「魔王軍がいなくなったら?」
「少なくとも、街のことは街に住む者で決めたい」
少し離れたところで、テッサの鉋が止まった。
「その『街に住む者』って、人間だけ?」
男がそちらを見る。
「今は、そこまで決める話では――」
「でも、前はドワーフが住む場所も決められてたよ」
テッサはそれだけ言うと、また手を動かした。
男はマルクの帳面を指した。
「あんたも、前の決まりでやってきたでしょう」
「ええ」
マルクは卓の帳面へ手を置いた。
「ここで働く者には、明日も来てもらわなければ困ります。いないことにして街の話はできません」
工房の奥では、ツクがまだ道具棚の陰にいた。
「ツクは?」
「何です?」
「ここで働いてるゴブリン。街のことを決めるとき、入れる?」
男は少し黙った。
「……そこまで考えて、依頼したわけではありません」
言ってから、ダリオは工房の奥を見た。ツクの姿はまだ見えない。
「そっか」
レオナも、それ以上は追わなかった。
オルグが卓の端を指で叩く。
「止まってる荷を見てこい。ここで話してても、あいつの店は開かんぞ」
男は頷いた。
「お願いします」
三人が先に工房を出ると、板の陰で何かが動いた。ツクが顔だけ出し、戸口を確かめる。
「帰った?」
「外で待ってる。今からレオナたちと門へ行くって」
テッサが答えると、ようやく奥から出てきた。
「あれ、何の人?」
「ギルドに依頼した人だって」
「そう」
ツクは少し考え、それ以上は聞かずに車輪のところへ戻った。
レオナは工房にいたアレンとリゼルにも声を掛け、坂の下で待っていた三人と北門へ向かった。
***
北門では、荷車から降ろされた鉄材が道の端に並んでいた。持ち主らしい男が、広げられた布の横に立っている。
少し離れたところには、若い男が座らされていた。片方の手首が縄で柱へ繋がれている。
「どうして縛ってるの?」
レオナが尋ねると、荷を調べていたゴブリン兵が振り返った。
「勝手に荷、戻した。止まれ、言った」
「朝から返してくれないからだろ!」
座っていた男が声を上げた。
兵は手元の紙を指した。
「紙の名前、違う。運ぶ場所、違う」
「倉で分けるんだ。鍬と炉の部品に使う。売り先も、朝から言ってる」
荷の持ち主が答えた。
「倉へ聞いてる。返事がない。まだ通せない」
「いつ返事が来るの?」
レオナが聞いても、兵は首を振るだけだった。
ダリオの後ろで、痩せた男が呟いた。
「いつまで、こんなのを我慢するんだ」
「ここでやる話じゃない」
ダリオが振り返ると、男は口を閉じた。
やがて、倉の印が押された紙を持って、別の兵が戻ってきた。
「確認、取れた」
荷を調べていた兵は二枚の紙を見比べ、鉄材を指した。
「通っていい」
持ち主が鉄材を拾い始める。座っていた男も立とうとしたが、縄が張って手首を引いた。
「その人も、もう解いて」
レオナが言うと、兵は紙を置き、縄を解いた。男は赤くなった手首をさすりながら荷車へ戻る。
「調べる間、ずっと縛っておく必要があったの?」
「止まらない。押さえる。そう言われた」
「誰に?」
「ガズ。北門、預かってる」
兵は門脇の詰所を指した。
レオナはそちらへ行ったが、ガズは出ていると言われた。
門へ戻ると、アレンが最後の鉄材を荷車へ載せていた。持ち主は布を掛け、急いで紐を回している。
「これから売り先へ行くの?」
「ああ。まだ開いてればな」
荷車が動き出した。座らされていた男が、手首を押さえながらその後ろを歩いていく。
***
夕方、工房へ戻る途中で、アレンが足を止めた。
「昼の連中だ」
倉の裏に人間が何人か集まっている。工房へ来た三人に加え、見覚えのない男も四人ほどいた。
「依頼した人たち?」
「三人はな」
アレンは声を落とした。
「増えた方は知らない」
男たちの間から、「昼の工房も」という声が聞こえた。やがて話が終わり、まとまって坂を上り始める。
その先に、マルクたちの工房がある。
「行くよ」
「待て。まだ何するか――」
「ツクがいる」
レオナが先に走り出し、アレンとリゼルも追った。
工房の戸口では、ツクが昼に作っていた車輪を転がしていた。
坂を上ってくる男たちに気づいた瞬間、その動きが止まる。昼に来た三人を見つけ、ツクは車輪を押して急いで工房の中へ戻ろうとした。
「おい、待て」
声を掛けたのは、北門で「いつまで我慢するんだ」と言っていた痩せた男だった。
ツクは振り返らない。
テッサが戸口へ出てきた。
「何?」
「そのゴブリン、ここで働いてるのか」
「そうだけど」
男の視線が車輪へ落ちた。
「何を直してる」
「鉱山へ行く車だよ」
「魔王軍も使うのか」
「知らないよ。頼まれたものを直してるだけ」
「だったら、確かめさせろよ」
「親方がいるときに聞いて」
「いちいち親方を呼ばなきゃ駄目なのか」
男は戸口へ一歩近づいた。テッサはツクの前へ身体を寄せた。
男がツクの前へ回る。
「見せろ」
「中、持っていく」
ツクが避けようとすると、男も横へ動いた。
「待てって」
ダリオが、後ろからその腕をつかむ。
「勝手なことをするな」
「こういうのを放っておくから、何も変わらないんだろ」
「そういう話はしてない」
テッサがツクを見る。
「中に入ってて」
「うん」
ツクは車輪を壁へ立て掛けようとした。
「待て」
痩せた男が肩をつかむ。ツクが驚いて身体をひねった。
「離して」
テッサが手を伸ばす。
肩を振りほどこうとした拍子に、ツクの手から車輪が外れた。傾いた車輪を支えようと、右手が伸びる。
「ツク!」
車輪を支えきれず、ツクは膝をついた。右手が石畳と車輪の縁の間に挟まった。
レオナは考えるより先に手を向けた。車輪が石畳を擦り、途中で止まる。装具が腕を締めたが、痛みはない。
「リゼル!」
「はい!」
レオナが車輪を止めている間に、リゼルがツクの横へ滑り込む。
「肩を離して」
男がまだツクをつかんでいる。レオナはもう片方の手で、その手首をつかんだ。
「離して」
「ゴブリンだぞ。どっちの側か分かるだろ」
「肩を離して。怪我してる」
男の手が緩む。
別の男が、戸口へ回り込もうとした。
「中も見せろ。ほかにも軍の物があるだろ」
アレンがその前へ入った。
「今はそこを空けろ」
男が肩を押しても、アレンは動かなかった。
レオナは車輪を少し持ち上げ、開いた隙間からリゼルがツクの手を引き抜いた。指から血が滲み、ツクは歯を食いしばっている。
「ここ以外は?」
「ここだけ」
「動かさないでください」
リゼルの手に光が集まった。
レオナも力を緩め、車輪をゆっくり石畳へ戻す。男の手首から手を離した。
物音を聞いたマルクが奥から出てきた。
「工房で引き受けた仕事です。職人に手を出すのはやめてください」
その横をオルグが通り、ツクの血のついた手の前で足を止めた。
「そいつは、うちの職人だ」
低い声だった。
「何かあるなら、俺に言え」
痩せた男が何か言いかけた。だが、後ろにいた一人はツクの手を見て、戸口から離れた。
ダリオが仲間の前へ出る。
「やめろ。こんなことをするために集まったんじゃない」
「ここで直した車も、軍が使うんだぞ」
「ツクに怪我をさせたんだぞ。街の話をしたいなら、まず戻れ」
ダリオはそれ以上言わせなかった。
何人かは不満そうだったが、一人が坂を下りると、残った者も後に続いた。
ダリオだけが残った。レオナを見て、それからツクへ目を向ける。リゼルが傷を診ている横で、テッサが包帯を広げている。
「俺は、工房に手を出すつもりじゃなかった」
ダリオはツクの手を見た。それから、仲間の腕をつかんでいた自分の手へ目を落とした。
「でも、俺と一緒に来た連中を止められなかった」
「明日、あの人と来て。ツクと、マルクにも会ってほしい」
ダリオは包帯を広げるテッサの手元を見た。
「……伝えます」
それから、仲間を追った。
***
アレンが戸口を空けると、オルグは倒れた車輪を起こし、軸の入る穴を確かめた。テッサも隣へしゃがみ、石へ当たった場所を指でなぞる。
「ここ、割れてる」
「明日、組み直す」
「届け先には、私から話しておきます」
マルクは預かり品の帳面を開き、日付を一つ直した。
ツクが立とうとしたところで、リゼルが包帯を巻いた手を押さえる。
「今日は物を持たないでください。図を押さえるのも、反対の手で」
「明日、使える?」
「朝、もう一度診ます」
オルグが頷いた。
「明日は俺とテッサでやる。お前は図を見てろ」
「運ぶ仕事は外します。図を見てもらう仕事はありますし、給金はそのままです」
マルクが言うと、ツクは小さく頷いた。
しばらくして、包帯の巻かれた手を見ながら口を開く。
「昼、隠れた」
「うん」
レオナが答える。
「あの人、同じ人だった」
「うん」
「隠れてた方、よかった?」
レオナは答えに詰まった。車輪を止めることはできたのに、その前に男を止められなかった。包帯の下の手を見て、何か言おうとしたが、うまく言葉にならなかった。
代わりに、テッサが壊れた車輪を起こしながら言う。
「怖かったら、隠れていいよ。出てくるときは、私か親方を呼んで」
ツクは少し考えた。
「一緒に?」
「うん」
レオナは自分の腕へ目を落とした。装具にずれはなかった。
アレンが戸口から坂を確かめて戻ってきた。
「追わなくていいのか」
「今はいい。明日はガズに会う。荷を調べてる間、人まで縛らないで済むようにしたい」
「あの連中も、放っておくなよ」
「ダリオに、ここへ来てって言った」
レオナは包帯を巻かれた手を見た。
「来なかったら、迎えに行く」
アレンはそれ以上言わず、戸口の外へ戻った。レオナも反対側に立った。
工房の奥では、オルグとテッサが壊れた車輪を持ち上げ、マルクが帳面を開き直していた。ツクは左手だけで図を広げ、リゼルはその隣へ椅子を寄せて包帯の具合をもう一度確かめる。
いつもの仕事が終わる刻を過ぎても、工房の灯りは消えなかった。




