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あの世界ができるまで ~死ぬたび未来に目覚める少女と、「いつもの異世界」ができるまでの数百年~  作者: 古江 門
第九章

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第81話 同じ工房

 炉のある坂を下り、レオナは預かってきた手紙を店の主人へ渡した。


 主人は封を開き、最後まで読むと、紙を持ち直してもう一度最初へ戻った。


「父さん、生きてるんだな」


「粉挽き場にいたよ。足に毛布を掛けてもらってた」


「そうか」


「返事、頼めるか」


「うん。すぐには戻らないけど」


「構わん。こっちも生きてると、伝わればいい」


 紙を探し始めた主人が、同じ引き出しを二度開けた。レオナは店先で待ち、折り畳まれた返事を受け取ってから工房へ戻った。


***


 工房では、テッサとツクが作りかけの車輪を挟んで言い合っていた。


「それ、昨日の図でしょう。今のはこっち」


 テッサが板に留めた紙を指すと、ツクは短く切った木材を車輪へ当てた。


「テッサ、こっち見ろ、言った」


「その図は昨日でおしまい。次に切るときは、私にも聞いて」


 ツクは木材と図を見比べた。


「足りない」


「だから、新しいのを見てって言ったの。こっちなら足りるよ」


 テッサが別の材を引き寄せたところで、戸口に人影が差した。


 三人の人間が立っていた。


 先頭の男は旅装だったが、腰には剣がある。後ろの二人も荷は少なく、街へ買い物に来た者には見えなかった。


 ツクの手が止まった。


 テッサと目を合わせると、木材を置き、工房の奥へ下がっていく。積まれた板と道具棚の向こうへ、その姿はすぐに見えなくなった。


「どうしたの?」


 レオナが小声で聞くと、テッサは戸口を見たまま肩をすくめた。


「知らない人間が何人も来ると、ああなるよ。何を言われるか分からないから」


 先頭の男がレオナを見た。


「ギルドから来た方ですか」


「うん」


「ダリオといいます。ギルドへ依頼を出したのは、俺たちです」


「ドルンのこと?」


「北の門で、今も止められている荷があります。手紙だけでは分からないと思うんです。直接見てください」


 奥からマルクが出てきた。手にしていた帳面を閉じ、三人へ椅子を示す。


「依頼を出された方ですね。こちらで伺います」


 そこへ、炉を見に行っていたオルグも戻ってきた。肩の道具袋を下ろし、戸口に固まっている男たちを見る。


「話すなら中でやれ。戸口を塞ぐな」


***


 三人が卓についたあとも、テッサは仕事を続けていた。ツクはまだ奥から出てこない。


「依頼には、魔王軍が街を押さえていると書きました」


 ダリオは口を開いてから、工房の奥へ目を向けた。ツクが姿を見せないことに気づいたらしい。


「……ここで話しても、大丈夫ですか」


「私は構いません」


 マルクが答えると、ダリオはようやく紙を取り出した。


「俺たちが、どれだけ待たされるかを見てほしいんです」


 レオナが地図と依頼の紙を広げると、男は北門を指した。


「人間の荷だけ、中身を全部出させられることがあります。武器があるかもしれないと。逆らえば、人まで縛るんです」


「その荷、まだ止まってる?」


「今も。朝からです。行けば、見てもらえます」


「じゃあ、行くよ」


「見たあと、動いてもらえますか。見に来た人は、前にもいたんです」


「止めてる方にも聞く」


 男はレオナを見た。


「街の人間は、もう長いこと待っています」


 責めるような声ではなかった。


「荷を一つ運ぶにも、向こうがいいと言うまで待つんです。何をしていいかまで、俺たちには決められない」


「魔王軍がいなくなったら?」


「少なくとも、街のことは街に住む者で決めたい」


 少し離れたところで、テッサの鉋が止まった。


「その『街に住む者』って、人間だけ?」


 男がそちらを見る。


「今は、そこまで決める話では――」


「でも、前はドワーフが住む場所も決められてたよ」


 テッサはそれだけ言うと、また手を動かした。


 男はマルクの帳面を指した。


「あんたも、前の決まりでやってきたでしょう」


「ええ」


 マルクは卓の帳面へ手を置いた。


「ここで働く者には、明日も来てもらわなければ困ります。いないことにして街の話はできません」


 工房の奥では、ツクがまだ道具棚の陰にいた。


「ツクは?」


「何です?」


「ここで働いてるゴブリン。街のことを決めるとき、入れる?」


 男は少し黙った。


「……そこまで考えて、依頼したわけではありません」


 言ってから、ダリオは工房の奥を見た。ツクの姿はまだ見えない。


「そっか」


 レオナも、それ以上は追わなかった。


 オルグが卓の端を指で叩く。


「止まってる荷を見てこい。ここで話してても、あいつの店は開かんぞ」


 男は頷いた。


「お願いします」


 三人が先に工房を出ると、板の陰で何かが動いた。ツクが顔だけ出し、戸口を確かめる。


「帰った?」


「外で待ってる。今からレオナたちと門へ行くって」


 テッサが答えると、ようやく奥から出てきた。


「あれ、何の人?」


「ギルドに依頼した人だって」


「そう」


 ツクは少し考え、それ以上は聞かずに車輪のところへ戻った。


 レオナは工房にいたアレンとリゼルにも声を掛け、坂の下で待っていた三人と北門へ向かった。


***


 北門では、荷車から降ろされた鉄材が道の端に並んでいた。持ち主らしい男が、広げられた布の横に立っている。


 少し離れたところには、若い男が座らされていた。片方の手首が縄で柱へ繋がれている。


「どうして縛ってるの?」


 レオナが尋ねると、荷を調べていたゴブリン兵が振り返った。


「勝手に荷、戻した。止まれ、言った」


「朝から返してくれないからだろ!」


 座っていた男が声を上げた。


 兵は手元の紙を指した。


「紙の名前、違う。運ぶ場所、違う」


「倉で分けるんだ。鍬と炉の部品に使う。売り先も、朝から言ってる」


 荷の持ち主が答えた。


「倉へ聞いてる。返事がない。まだ通せない」


「いつ返事が来るの?」


 レオナが聞いても、兵は首を振るだけだった。


 ダリオの後ろで、痩せた男が呟いた。


「いつまで、こんなのを我慢するんだ」


「ここでやる話じゃない」


 ダリオが振り返ると、男は口を閉じた。


 やがて、倉の印が押された紙を持って、別の兵が戻ってきた。


「確認、取れた」


 荷を調べていた兵は二枚の紙を見比べ、鉄材を指した。


「通っていい」


 持ち主が鉄材を拾い始める。座っていた男も立とうとしたが、縄が張って手首を引いた。


「その人も、もう解いて」


 レオナが言うと、兵は紙を置き、縄を解いた。男は赤くなった手首をさすりながら荷車へ戻る。


「調べる間、ずっと縛っておく必要があったの?」


「止まらない。押さえる。そう言われた」


「誰に?」


「ガズ。北門、預かってる」


 兵は門脇の詰所を指した。


 レオナはそちらへ行ったが、ガズは出ていると言われた。


 門へ戻ると、アレンが最後の鉄材を荷車へ載せていた。持ち主は布を掛け、急いで紐を回している。


「これから売り先へ行くの?」


「ああ。まだ開いてればな」


 荷車が動き出した。座らされていた男が、手首を押さえながらその後ろを歩いていく。


***


 夕方、工房へ戻る途中で、アレンが足を止めた。


「昼の連中だ」


 倉の裏に人間が何人か集まっている。工房へ来た三人に加え、見覚えのない男も四人ほどいた。


「依頼した人たち?」


「三人はな」


 アレンは声を落とした。


「増えた方は知らない」


 男たちの間から、「昼の工房も」という声が聞こえた。やがて話が終わり、まとまって坂を上り始める。


 その先に、マルクたちの工房がある。


「行くよ」


「待て。まだ何するか――」


「ツクがいる」


 レオナが先に走り出し、アレンとリゼルも追った。


 工房の戸口では、ツクが昼に作っていた車輪を転がしていた。


 坂を上ってくる男たちに気づいた瞬間、その動きが止まる。昼に来た三人を見つけ、ツクは車輪を押して急いで工房の中へ戻ろうとした。


「おい、待て」


 声を掛けたのは、北門で「いつまで我慢するんだ」と言っていた痩せた男だった。


 ツクは振り返らない。


 テッサが戸口へ出てきた。


「何?」


「そのゴブリン、ここで働いてるのか」


「そうだけど」


 男の視線が車輪へ落ちた。


「何を直してる」


「鉱山へ行く車だよ」


「魔王軍も使うのか」


「知らないよ。頼まれたものを直してるだけ」


「だったら、確かめさせろよ」


「親方がいるときに聞いて」


「いちいち親方を呼ばなきゃ駄目なのか」


 男は戸口へ一歩近づいた。テッサはツクの前へ身体を寄せた。


 男がツクの前へ回る。


「見せろ」


「中、持っていく」


 ツクが避けようとすると、男も横へ動いた。


「待てって」


 ダリオが、後ろからその腕をつかむ。


「勝手なことをするな」


「こういうのを放っておくから、何も変わらないんだろ」


「そういう話はしてない」


 テッサがツクを見る。


「中に入ってて」


「うん」


 ツクは車輪を壁へ立て掛けようとした。


「待て」


 痩せた男が肩をつかむ。ツクが驚いて身体をひねった。


「離して」


 テッサが手を伸ばす。


 肩を振りほどこうとした拍子に、ツクの手から車輪が外れた。傾いた車輪を支えようと、右手が伸びる。


「ツク!」


 車輪を支えきれず、ツクは膝をついた。右手が石畳と車輪の縁の間に挟まった。


 レオナは考えるより先に手を向けた。車輪が石畳を擦り、途中で止まる。装具が腕を締めたが、痛みはない。


「リゼル!」


「はい!」


 レオナが車輪を止めている間に、リゼルがツクの横へ滑り込む。


「肩を離して」


 男がまだツクをつかんでいる。レオナはもう片方の手で、その手首をつかんだ。


「離して」


「ゴブリンだぞ。どっちの側か分かるだろ」


「肩を離して。怪我してる」


 男の手が緩む。


 別の男が、戸口へ回り込もうとした。


「中も見せろ。ほかにも軍の物があるだろ」


 アレンがその前へ入った。


「今はそこを空けろ」


 男が肩を押しても、アレンは動かなかった。


 レオナは車輪を少し持ち上げ、開いた隙間からリゼルがツクの手を引き抜いた。指から血が滲み、ツクは歯を食いしばっている。


「ここ以外は?」


「ここだけ」


「動かさないでください」


 リゼルの手に光が集まった。


 レオナも力を緩め、車輪をゆっくり石畳へ戻す。男の手首から手を離した。


 物音を聞いたマルクが奥から出てきた。


「工房で引き受けた仕事です。職人に手を出すのはやめてください」


 その横をオルグが通り、ツクの血のついた手の前で足を止めた。


「そいつは、うちの職人だ」


 低い声だった。


「何かあるなら、俺に言え」


 痩せた男が何か言いかけた。だが、後ろにいた一人はツクの手を見て、戸口から離れた。


 ダリオが仲間の前へ出る。


「やめろ。こんなことをするために集まったんじゃない」


「ここで直した車も、軍が使うんだぞ」


「ツクに怪我をさせたんだぞ。街の話をしたいなら、まず戻れ」


 ダリオはそれ以上言わせなかった。


 何人かは不満そうだったが、一人が坂を下りると、残った者も後に続いた。


 ダリオだけが残った。レオナを見て、それからツクへ目を向ける。リゼルが傷を診ている横で、テッサが包帯を広げている。


「俺は、工房に手を出すつもりじゃなかった」


 ダリオはツクの手を見た。それから、仲間の腕をつかんでいた自分の手へ目を落とした。


「でも、俺と一緒に来た連中を止められなかった」


「明日、あの人と来て。ツクと、マルクにも会ってほしい」


 ダリオは包帯を広げるテッサの手元を見た。


「……伝えます」


 それから、仲間を追った。


***


 アレンが戸口を空けると、オルグは倒れた車輪を起こし、軸の入る穴を確かめた。テッサも隣へしゃがみ、石へ当たった場所を指でなぞる。


「ここ、割れてる」


「明日、組み直す」


「届け先には、私から話しておきます」


 マルクは預かり品の帳面を開き、日付を一つ直した。


 ツクが立とうとしたところで、リゼルが包帯を巻いた手を押さえる。


「今日は物を持たないでください。図を押さえるのも、反対の手で」


「明日、使える?」


「朝、もう一度診ます」


 オルグが頷いた。


「明日は俺とテッサでやる。お前は図を見てろ」


「運ぶ仕事は外します。図を見てもらう仕事はありますし、給金はそのままです」


 マルクが言うと、ツクは小さく頷いた。


 しばらくして、包帯の巻かれた手を見ながら口を開く。


「昼、隠れた」


「うん」


 レオナが答える。


「あの人、同じ人だった」


「うん」


「隠れてた方、よかった?」


 レオナは答えに詰まった。車輪を止めることはできたのに、その前に男を止められなかった。包帯の下の手を見て、何か言おうとしたが、うまく言葉にならなかった。


 代わりに、テッサが壊れた車輪を起こしながら言う。


「怖かったら、隠れていいよ。出てくるときは、私か親方を呼んで」


 ツクは少し考えた。


「一緒に?」


「うん」


 レオナは自分の腕へ目を落とした。装具にずれはなかった。


 アレンが戸口から坂を確かめて戻ってきた。


「追わなくていいのか」


「今はいい。明日はガズに会う。荷を調べてる間、人まで縛らないで済むようにしたい」


「あの連中も、放っておくなよ」


「ダリオに、ここへ来てって言った」


 レオナは包帯を巻かれた手を見た。


「来なかったら、迎えに行く」


 アレンはそれ以上言わず、戸口の外へ戻った。レオナも反対側に立った。


 工房の奥では、オルグとテッサが壊れた車輪を持ち上げ、マルクが帳面を開き直していた。ツクは左手だけで図を広げ、リゼルはその隣へ椅子を寄せて包帯の具合をもう一度確かめる。


 いつもの仕事が終わる刻を過ぎても、工房の灯りは消えなかった。


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