【1】清洲会議 前編
本能寺で織田信長が横死した。謀反人の明智光秀を討った羽柴秀吉は、信長の跡を受け継いで天下を取る決意をする。その端緒となった清洲会議での、当事者の本音を完全再現する。
【1582年6月20日 長浜城にて 羽柴秀吉】
信長様が死んでしまった。それを知ったときは、思考停止したよ。でも冷静だった(黒田)官兵衛のおかげでなんとか立ち直れた。
その後は、信長様の仇の明智光秀をこの手で殺すと、ただそれだけ決めて動いた。あの約十日間は、心も体もどうしようもなく冷たく重かったのに、なぜか頭だけは、人生で一番 冴え渡っていた。あの時は、何がベストかなんて考える必要すらなかった。俺がやることがベストだと、なぜか はっきり認識していた。
だが、画竜点睛を欠くとはあのことだ。俺の詰めが甘かったせいで、戦には完勝したが明智光秀を逃がしてしまった。やつは家康に匿われて密かに生き延びた。腸が煮えたが、いつまでも光秀ごときに構っている暇はない。だから、誰だかも分からんやつの首を、明智光秀だとして晒して終わりにした。
どうせもう、光秀が表舞台に出てくることはできないから、死んだのと同じだ。あれで、信長様の仇を討ったのは俺だと、世間に強く印象づけた。光秀を匿った家康には当然ムカついたが、それはとりあえず忘れておくことにして、まずやるべきことをやった。主に情報収集と打合せだ。
本音を言えば、俺が光秀を殺そうと決めたのは、信長様のためではなかった。俺はとにかく信長様が大好きだったし、信長様のために働くのが生き甲斐でもあった。でも、信長様は死んでしまったんだ。泣いても喚いても、死んだ信長様は生き返らない。
だから俺は、俺のために信長様の仇を討った。俺が信長様の代わりに天下を取るって決めたからだ。信長様の事業を継ぐのは俺だ。家老だろうが息子だろうが関係ない。主君の仇も討てなかったやつらに、信長様の跡を継ぐ資格なんかないんだ。
今月末に清洲城で、緊急の重役会議が開かれると決まったが、俺が光秀を討っていなかったら、その会議に呼ばれもしなかったに違いない。柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益らの古株は、この会議を利用して、成り上がりの俺を政権の中枢から締め出そうとしただろうからな。
だが信長様の仇を討ったのは羽柴秀吉だと、織田領内で知らない者はいない。これで俺をこの重要な会議に呼ばないわけにはいかなくなった。やはり信長様の跡目を継ぐのはこの俺で間違いない。
たかが会議に呼ばれただけで、間抜けな妄想をするのは早いだとか言うやつもいるかも知れない。だが俺に言わせれば、会議に呼ばれただけで、もう半分以上 勝ったようなもんなんだ。各方面から聞こえてくる情報によると、柴田勝家は、この会議の本当の意味を履き違えているようだしな。そんな馬鹿に、信長様の天下統一事業を引き継げるはずがないんだ。
【6月20日 清洲城にて 柴田勝家】
本音では、秀吉なんぞ会議に出席させず、俺と(丹羽)長秀と(滝川)一益で話をまとめてしまいたい。だがあいつに、明智光秀を討ったという功績がある以上、出席させないわけにはいかないだろう。それに、織田家の新しい当主を決める大切な会議なのだから、出席者が三人では さすがに少な過ぎる。
かと言って、仲の悪い信雄様(信長の次男)と信孝様(信長の三男)が出席されれば収拾が付かなくなる。あのお二人は、互いに足を引っ張り合うだけだからな。
だから各方面にいた五人の軍団長が集まるのが、ごく自然で理想的だろう。秀吉も中国方面の軍団長だったしな。つまり光秀を討った功績ではなく、五人の軍団長の一人として出席させれば、俺たちと立場は変わらないことになる。そのほうが都合が良い。
問題はもう一人、明智光秀に代わる者を誰にするかだ。主に畿内とその付近で、遊軍のような扱いだった光秀に代わるなら、畿内に本拠を置いている者が良い。あとは、光秀との関係は深くなくて、重役に相応しい実績や名声がある者…となると、池田恒興だろうな。
あいつなら、成り上がりの秀吉より、俺や滝川一益との関係のほうが深いし、あの光秀を討った戦にも参加しているから、秀吉だけに功を主張させずに済む。五人目は、池田恒興で決まりだな。
【6月21日 清洲城にて 織田信雄】
会議なんて、タルいだけでしょ。重役さんたちで、適当に決めちゃってよ。
新当主の三法師(織田信忠の嫡男)の、補佐役だか後見人だか知らんけど、どうせ俺か信孝になるんだよ。ややこしいけど、二人が後見人になるなんてこともあり得る。いずれにしても俺は、織田家の当主の伯父で後見人という、安泰な立場で気楽に生きてさえいければ良いんだ。今の領地から動きたくもないしね。
でもそういえば、柴田勝家さんがズレたこと言ってるって聞いたけど、ホントに大丈夫かなあ…。
まあ、別に俺が心配することじゃないか。
【6月22日 伊丹城にて 池田恒興】
信長様だけならまだしも、信忠様まで同時に討たれちまうとはな。しかも謀反人が、選りに選って明智光秀だ。これで織田家は、重要人物を三人も続けて失ってしまった。かなりヤバい状況だ。次の当主になるはずの、信忠様の長男は、まだ三歳だ。つまりその後見人が、これから十年以上は、実質的な当主ということになる。
問題は、誰がそれを務めるのかだが、適任者が一人もいない。信雄では、何をやらかすか分からない。信孝では、何ならやれるのか分からない。今の織田家の筆頭家老は、戦しか能がない柴田勝家だ。
一番マシなのが秀吉だが、あいつと柴田勝家は、絶対に並び立たない。となると、秀吉が実権を握るためには、織田家を二つに割って勝家と激しく争うことになる。丹羽長秀や滝川一益は勝家に付くだろう。それでさらに争いが大規模になり、どちらが勝っても織田家は弱体化してしまう。
勝家は、俺を家老に昇格させておけば、秀吉を抑え込めると本気で思っているのか。だとしたら、本当に馬鹿だよなあ…。
もしかしたら、織田家はもうダメかも知れないな。
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1582年6月27日 清洲城にて
世に言う「清洲会議」
議題 三法師の後見人選定
【柴田勝家】
この会議の目的は、織田家の新しい当主を決めることではなく、三法師様の後見人を決めることだよな。ああ、ちゃんと分かっていたぞ。本当だ。
っていうか、新しい当主でも、三法師様の後見人でも、結局は同じことだ。次男の信雄様より、能力、人望ともに優れた三男の信孝様を後見人に推す。すでに信孝様とも話が付いている。信孝様が三法師様の後見人になった暁には、この俺がその相談役として、織田家を引っ張っていくのだ。
一益は、北条との戦に手こずって会議に間に合わなかったが、それでも、俺と長秀と池田恒興がいる。これで三対一だ。秀吉の思い通りにはならない。
【羽柴秀吉】
俺は、三法師様の後見人なんて、誰になろうが興味はない。本当に重要なのは、そこじゃないん だ。俺が見ているのは、もっと先のことだ。
だからその話には、なるべく口出ししないようにしておく。想定通り柴田勝家は、自らが烏帽子親になった信孝様を後見人に推すようだ。それで俺を出し抜いたつもりなのか。
だが俺も手は打ってある。後見人は信雄様と信孝様の二人ということになり、それを担ぐ者も複数になるだろう。俺もその中に入ってさえいれば良いだけだ。どうせ、最後に残るのは俺だけだからな。
ところで、この会議に池田恒興を呼んでくれた親切な人は、誰なんだ?
【池田恒興】
なんだ?秀吉が俺を見て笑ったような気がする。あいつ、雰囲気がまた かなり変わったな。
二週間前の山崎での戦で会った時は、何か異様なものを見ているように感じた。ずっと無表情で無造作で、力のない声に重そうな動きなのに、やることは、すべて恐ろしく的確だった。あの時の秀吉は、信長様が亡くなった衝撃とか光秀への憎悪とか、そんなもんでは説明できない、特別な領域に入り込んでいたのかも知れない。
今は、普段通りに戻ったようにも見えるが、どことなく、以前より自信と気力に満ちているのを感じるな。勝家が発している、威圧的な空気とはまるで違う。
これは、役者が違いすぎるな。
【柴田勝家】
秀吉、随分と呆けた顔をしているな。俺と信孝様が手を組んでいることは、もう掴んでいるのだろう。お前が今後 発言権を持つには、信雄様を後見人に立てるしかない。だが信雄様を推す者は、ここにはお前以外にいない。既に負けを悟っているのかもな。
やはり、筆頭家老の俺と、成り上がりのお前では、役者が違うのだ。
【羽柴秀吉】
「皆さん、後見人は三男の信孝様が良いと言われるのですな。ならば、それでよろしいのではないですか。別室で待っておられる信雄様と信孝様にも、そのように伝えてください」
【池田恒興】
秀吉のあの余裕…。やっぱりもう、何か手は打ってあるんだな。
どうなるのか、ちょっと楽しみだ。
【2】清洲会議 後編 に続く




