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ルナ・ファロティエ。
聖なる光を持つ、夜の道先案内人。
彼らは一様に特別な存在で、ほぼ全てのルナ・ファロティエが貴族お抱えとなり、夜の道で「魔」と遭遇しないように馬車の上から光を掲げている。
貴族専属ともなれば、支払われる給金も跳ね上がる上に安定した収入が見込め、都をうろうろして客を取るよりも遥かに安全で快適だ。
全てのファロティエの憧れの存在であるルナ・ファロティエたちは、平民の中でも良い待遇にありつける。
しかしそんな彼らの中でただ一人、変わったルナ・ファロティエがいた。
無骨な黒いランタンを掲げた娘が、第一地区の一角に立っている。杏色の長い髪を持つ彼女は、多分に注目を集めていた。
質素なワンピースに身を包んだ年頃の娘がファロティエをしている、というだけでも珍しいのに、彼女は聖なる光をランタンの内に輝かせるルナ・ファロティエだった。
見た目も良く、若くしてルナ・ファロティエをしているのであれば、貴族からの引く手数多だろうに、彼女はそうした誘いに頑として乗らなかった。
「ランタンを持って夜の道を歩くのが好きだ」と言えば、「変わった娘だ」と皆が首を捻る。わざわざ賃金も安い上に危険が多い方を選ぶなど、おおよそ理解し難いのだろう。
しかしリュシーは、別に誰かに理解してもらおうなどと思っていなかった。
父に連れられ歩いた夜の都の幻想的な風景が忘れられないリュシーにとって、馬車から見る都より自分の足でゆっくりと歩く方が性に合っているのだ。ジルベールのお供をしていた時に強くそう感じた。今では自分の信念に則って、都を案内する方を選んでいる。
今日も今日とていつもと同じように、街区に立つ。
とは言っても、もはや以前のように声なんてかけなくても、黙って立っていれば五分と経たずに勝手に客の方から寄ってくる有様だった。
第一地区の片隅に毎夜立っているルナ・ファロティエのリュシーといえば、界隈でも有名な存在だ。噂によると、いつもは馬車に乗るのだが、リュシーに道先案内を頼みたくてわざわざ歩いて帰る人までいるらしい。あいかわらず貴族が考えていることはよくわからないが、それほどまでに注目されているのは素直に嬉しい。
それに。
リュシーは己の横に立つ夜警官服を着た男を見上げた。見上げられた男は警官帽の隙間から、怪訝そうな眼差しをリュシーへと落としてくる。
「なんだ?」
リュシーは首を横に振り、笑顔を向ける。
「ううん、なんでも。今夜もよろしくね」
「ああ。お前に手を出そうとする不届きな輩がいたら、銃の餌食にしてやるから安心しろ」
アルフォンスは腰のホルターに収めた拳銃に手をやりつつ、力強く請け負った。最近は「魔」の出現が減ったので、あまり出番がなくなったそれは、あいも変わらずアルフォンスの腰に鎮座している。
あれから、二年が経っていた。
リュシーはルナ・ファロティエとして二年前と変わらず夜の都に繰り出しては客を取って道を先導している。
二年。その間に変わったことはいくらでもあるし、変わらないものもある。
リュシーとアルフォンスは、十五地区の隅に以前よりも少しいい家を借りて二人で住んでいるし、夕暮れには二人で仕事に出かける。
アルフォンスはリュシーに、「仕事を辞めろ」とは迫らなくなった。ルナ・ファロティエは貴重な存在であり、特にリュシーは貴族お抱えではないので珍しい。聖なる光の導き手であり、「魔」を退ける力のあるリュシーは、夜の都を歩いていても危険に遭遇する可能性は低い。
とはいえ全く危険がないわけではない。年若いリュシーを無理矢理家に引っ張り入れて、乱暴しようとする輩がいるかもしれない。貴重なルナ・ファロティエを失いたくない夜警官たちの間で話し合いがもたれ、結果、リュシーには護衛がつくことになった。そしてその護衛に名乗り出たのは、アルフォンスだった。
どういう手段を用いたのかわからないが、当然のようにリュシーの護衛の座をもぎ取ったアルフォンスは、こうして毎夜リュシーに付き添っているというわけだ。
「やあ、帰りの道先案内を頼みたいのだが」
今日も一人の客がそう言って近づいて来た。が、リュシーが何かいう前に、もう一人客が近づいてくる。
「俺もルナ・ファロティエに道案内を頼もうと思っていたところだ」
「何、俺もだぞ」
「私もだ」
我も我もと硬貨を片手に集まる上流階級の人々も、もはや見慣れた光景である。リュシーはにこりと笑い、集まった面々に告げる。
「本日最初の行き先は、サントルド通り。その後はヴァロア通りに行く予定です」
これを聞いた面々は、ある者は喜び、ある者は落胆した面持ちでうめきながらその場を離れ、またある者は真剣に悩み始める。
リュシーを、というよりは物珍しいルナ・ファロティエをめぐっての諍いが頻発するようになったので、リュシーは一計を講じた。すなわち、行き先を先に決めてしまい、そのルートに合う人物を一同に集めて送り届けるのだ。まるで辻馬車のようである。
そんなわけで本日一発目の行き先は、サントルド通りだ。
行き先が一致しているお客五、六人から硬貨を受け取ると、引き連れてゾロゾロと歩く。これだけ人が固まって歩いていると、それだけで安心感がある。客同士は家が近いせいか知り合いだったり、あるいは初めまして同士であれば挨拶を交わしていたりする。なんにせよ楽しそうである。
今夜は月が明るい。星も沢山瞬いているので、あまり「魔」は出てこないだろう。
男装をやめたリュシーがランタンを掲げながら道の先に立って歩くと、後方を歩くステッキを持ちシルクハットを被った背の低い男がリュシーの横に並び、わざとらしくため息をついた。
「最近では夜会の数が減り、寂しいものだよ。ジルベール殿下の夜遊びが減ったらしく、招待状を送っても断りの返事をもらうことの方が多いそうだ。よほど重要な会でなければ顔を出してもらえないのだと、嘆いている貴族の話をよく聞く」
「夜遊びが減って、殿下は何をしていらっしゃるんですか?」
「政務に積極的だと伺っているよ。陛下はたいそうお喜びになっているそうだ。まあ、我々のような馬車すら持たない貧乏貴族からすると、夜会で顔を合わせるのが唯一の殿下との繋がりを持てる機会だった故、少々困るのだがねぇ」
話を聞きながら、リュシーはこっそりと笑みを作る。男はなおも話を続けた。
「そうそう、困るといえば、ジルベール殿下はどうも平民救済策に力を入れているらしい。なんでも王族の暮らしにかかる予算を減らし、国庫の予算を縮小して、その分取り立てる税を減らすのだとか。王族がそのようなことをするのであれば、他の貴族も倣わねばなるまい。王族が質素ななりをしているのに、華美に着飾っては体裁が悪いからね。皆、いかに地味な装いができるかで競い合っているとまで聞く。ま、こっちの件に関しては貧乏貴族の私にはあまり関係がないのだがね。むしろ着飾る必要がなくなるのはいいことだ。何せ夜会ごとに違う服を着ていくなど、到底無理な話だったから」
「へえ、殿下は色々と考えていらっしゃるのですね」
「二年前までとはまるで別人だと、皆が言っているよ。ついに王位を継ぐ自覚と覚悟が出来たのだろうと言う者もいる。陛下とてお年だし、ジルベール殿下が執務の補佐をしながら政を覚えてくれるのであれば、心強いだろう。あぁ、着いたようだね」
後方のついてきた人の姿に視線をやると、確かに少し前までに比べて皆、服装が地味になっているようだ。とはいえまだ平民とは比べるべくもなく豪奢なのだが。
話をしながら歩いていると、丁度サントルド通りへとたどり着いた。
屋敷の細かな場所を聞き、歩いて送る。一人、また一人と自宅へ入って行き、残ったのはずっと会話をし続けていたステッキを持つ男のみだった。リュシーは男の家の玄関まで行くと、家の前でさよならをする。
「ありがとう、助かったよ。いやいや、ルナ・ファロティエに送ってもらえるなんて幸運だった。おかげさまで帰り道は怯えることなく済んだからね。じゃ」
男は片手を上げてリュシーに挨拶をすると、屋敷の中へと入っていく。それを見届けてからリュシーとアルフォンスは踵を返した。
「もう二年か」
「そうね」
「変わったよな」
「ええ」
そんな短いやり取りをアルフォンスと共に交わしながら、二人ともブラウデル川にかかる橋の下を見た。
二年。その間に、都は少し変わった。
少し前までは毎晩見られた、そこに身を寄せ合う人々の姿は今はない。
ジルベールに別れを告げたあの日から、彼の馬車を都で見かけることはほとんどなくなった。
かわりに平民の暮らしの待遇が、ほんの少しだけ良くなった。
例えば、仕事で渡される給金の額が銅貨一枚から二枚に変わったり、逆に銅貨五枚でパンが二個買えていたのが三個買えるようになったりと、そのくらいの違いだった。
しかしこの違いは小さくとも以前とは決定的に異なっていた。
暮らしに絶望し、生きる希望を見出せなかった人々を少しだけ上向かせるような、僅かな違い。
小さくとも長く続けば、それだけ暮らしぶりが楽になる。
橋の下に集ってまんじりともせずに死を待つだけだった人々は今、自分の住処を持ち、人としての生活を送ることが出来ている。雨風を凌げる家屋の中で眠り、朝がくれば仕事に出かける。パンを食べられる。靴を履ける。
それは人々の心に希望の光を灯すのに十分なものだった。
サンティエンヌの都では、ジルベールに期待する声が多い。もう放蕩王子などと揶揄する声は聞こえない。それどころか、彼が国王になればきっと暮らしはより良くなるだろうと考えている人が沢山いた。
そして人の気持ちが明るくなると、現れる「魔」の数が減る。人々の負の感情がなくなるほどに「魔」もその数を減らしていくのだ。
まだまだ安全とまではいかないが、夜道を歩く危険がだいぶ減ったのも事実だった。
「魔」も強盗も殺人も、結局のところ平民が暮らしに困窮しているのが原因である。暮らしが豊かになればなるほどに「魔」は数を減らし、強盗も殺人も発生しなくなる。
いいこと尽くめだわ、とリュシーは笑みを漏らした。
「そういえば、今年の満月祭は平民も参加できるらしいわよ」
ふとアルフォンスにそんな話を切り出した。
満月祭というのは、文字通り満月の日に行われる祭りのことだ。
満月の夜は「魔」の数が最も減る。特に年に一度、月が最も明るく輝く日に行われるのが満月祭であり、この日、貴族はブラウデル川の上流から願いを書いた紙と共に蝋燭を流すのが慣例となっている。
願いを書いた紙は蝋燭の炎によって徐々に燃えて行き、月明かりを浴びながら天へと昇っていく。その美しく幻想的な風景は、サンティエンヌの都の風物詩となっていた。
毎年恒例になっているこの祭りに、今年は平民の参加が許されたのだ。
アルフォンスは話を聞いて、鼻で笑った。
「参加も何も、毎年平民だって参加しているようなもんだろ」
アルフォンスの言い分は、半分正しい。平民はブラウデル川の下流、ちょうどジャンヌたちがいつも洗濯をしている広場でじっと待ち構えており、流れてきた蝋燭を捕まえて自分たちのものにしているのだ。何せ、貴族が使う蜜蝋である。その希少性はいまさら語る必要はないだろう。それが川のそばで待っていればどんぶらこと流れてくるのであれば、夜の危険を押してでも手に入れようとする連中が現れるのは、想像に難くない。
なので貴族の願いを書いた紙の大半は燃え尽きることなく川を流れていくので、月に願いが届くことはなかった。その事実に貴族たちは気がついていない。平民というのは貴族が考えている以上に逞しく、図太いのである。
「まあ、そうだけど、そうじゃなくて。正式な参加が認められたのよ。これって結構凄いことだと思わない?」
「確かにな。だが、平民全員分の蜜蝋なんて用意できるものなのか? くだらねえ催しで国庫が空っぽになって、また税金が上がったらたまったもんじゃねえが」
「それがね、今年は方法を変えるんですって。蜜蝋を流すんじゃなくって、ルナ・ファロティエの灯す聖なる光で川を照らし、願いを届けるんだって」
「ほー、詳しいな」
「実は、アルが寝ている間に使者の方が見えたのよ」
今日、リュシーがアルフォンスより一足先に目を覚まして夕飯の支度をしている時、家の扉が叩かれた。誰かと思って出てみると、そこには身なりの良い人物が立っており、宮殿からの使いだと名乗った。
そして今年の満月祭の話をし、リュシーにもルナ・ファロティエとして参加してほしいという旨を伝えたのだ。
「アルにも近いうちに話がいくと思うわ。都を上げての大規模な祭りになるから警備の人出が必要だろうし、そうなった時に夜警官たちは絶対に召集がかかるもの」
リュシーの話を聞いたアルフォンスは、至極真面目な顔をして言った。
「なるほど。そりゃ大変だ。満月祭の時のお前の護衛を担当できるよう、根回ししておかないと」
どんな根回しをするのよ、とは聞かなかった。




