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待ちに待った満月祭の日が近づくと、都の中はそわそわと浮き足立った空気でいっぱいだった。街を歩けばどこもかしこも祭りの話ばかりだったし、誰も彼もが笑みを浮かべている。
市場には以前よりも人が増えている。もらう給金が増えたので、買い物に来る客の数も必然的に増えているのだ。買い物客が増えれば商いをする方も気合が入る。店先に並ぶ品物の数は種類も数も二年前より豊富になっていた。
相変わらず貴族が集う地区を離れると石畳は割れたままだが、これも国によって舗装する計画があるとかないとかいう噂がまことしやかに囁かれている。都中の石畳を舗装するとなれば、相応の予算と人出が必要になる。材料費と普請する人間に支払う賃金分のまとまった金額を国が用意できれば、その金を目当てに仕事にありつこうとする人が沢山出てくるだろう。
そうすればまた、仕事を手にした人間で都は活気付く。
「やあ、アルフォンスにリュシー。仕事明けかい」
「そうだ。オートミールを二つくれ」
「はいよ」
市場の麦粥を出す店のカウンターにつくと、店主が親しげに話しかけてきたのでアルフォンスが注文をした。
懐に余裕があるので、二人は仕事終わりに市場に寄って朝食を取るようにしていた。
「お待たせ、どうぞ」
カウンターに置かれたのは、ほかほかと湯気を立てている牛乳に浸された麦の粥だ。
以前、オリバーにご馳走した麦粥はリュシーにとっても決して安いものではなかった。あの時はジルベールに毎晩金貨一枚という、頭がおかしくなりそうな賃金をもらっていたので気にせずオリバーにご馳走できたが、二年前の収入ではおいそれと食べられはしなかった。
まさかこうして日常的に食べられるようになるとは。感動もひとしおである。しかも今年小麦が豊作だったらしく、前よりも麦の量が多くなっているのだからなお嬉しい。
リュシーは朝焼けが眩しい市場でアルフォンスと共に麦粥を食べながら、人々の話に耳を傾けた。
麦粥を出す店は満員御礼であり、リュシーたちの後にやってきた客は立ったまま粥を頬張り会話をしている。
「聞いたかい? ジルベール様の計らいで、今年の満月祭にはアタシらも参加できるらしいよ」
「知らないやつはいるまいよ」
「夜に出かけられるなんざ、ウキウキするなあ」
「川のほとりに夜市が立つらしいぜ。今から商売人たちは張り切ってる」
「ルナ・ファロティエが一堂に会するんだとよ。さぞかし綺麗な光景が見られるんだろうなぁ」
麦粥を食べながらそんな噂話を聞いていると、アルフォンスがリュシーを見た。
「期待されてるなぁ? 大丈夫か、ルナ・ファロティエ」
「んぐっ。だ、大丈夫よ」
リュシーは麦粥を飲み込み、自信を持って胸を張った。二年前にアルフォンスを助けて以来、自由に聖なる光を生み出せるようになっている。まさか土壇場で失敗するようなことはないはずだ。
アルフォンスはにやにやと笑いながらリュシーを見つめている。相変わらずこういう意地悪な部分はなおっていない。「性分なんだ、なおるわけねえだろ」と言っていたが、まあそういうことなのだろう。
「お、オリバーだ」
「え? あら、本当ね」
アルフォンスが賑わう通りに目を向けると、モップを担いだオリバーが歩いてやって来た。十二歳になったオリバーは背が伸びており、体つきもしっかりとしていた。少しは良い物を食べられている証拠だろう。以前は引きずっていたモップを肩に担ぎ、親方と一緒にいる。相変わらず服も顔も煤まみれであったが、履いている靴は破れていなかった。
「あ、リュシーにアル兄ちゃん。おはよう!」
「はよ」
「おはよう、オリバー。これから仕事?」
「うん。今日はポンドール公爵邸の煙突掃除さ」
「それは大物ね。頑張って」
「おう。大物といえばリュシー、今度の満月祭にはルナ・ファロティエとして参加するんだろ?」
オリバーは声変わりをして低くなった声でリュシーに尋ねた。リュシーがうん、と頷くとオリバーはパッと花が咲いたように笑う。
「リュシーの聖なる光、きっと綺麗なんだろうな! おれ、楽しみにしてるから!」
じゃあと手を上げて去っていくオリバーの背中を見つめつつ、アルフォンスが再び言う。
「こりゃ失敗できねえな」
「失敗しないってば、もう」
むくれるリュシーに「悪い悪い」と笑うアルフォンス。結婚して二年経つが、幼馴染でいた期間の方が長いためか、関係性はあまり変わっていない。ただ時折、アルフォンスがやけに大胆に迫ってくるようになり、最初の頃は慣れるのにとても苦労した。実際問題今でもどきどきするのは変わっていないのだが、それを言うとアルフォンスの意地悪さに拍車がかかるので、リュシーは黙ってなんでもない風を装っていた。
けれどアルフォンスの態度や顔つきからすると、バレているのかもなぁと時々思う。
リュシーはスプーンをぴっとアルフォンスに突きつけると、宣言した。
「いいわよ、今に見てなさい。アルがびっくりするほど綺麗な聖なる光で、満月祭を盛り上げるんだから」
「おう。期待してるぜ、ルナ・ファロティエ」
朝食を終えて十五地区に戻る途中、今度はジャンヌに出会う。大きな洗濯籠を抱えたジャンヌは「あら、おはよう」と軽やかに挨拶をしてから、アルフォンスの全身を上から下まで値踏みするかのように見つめた。また道端で全身をひん剥かれてはたまらないと、アルフォンスは少し後ずさってジャンヌから距離を取り、警戒した。
「な、なんだよ」
「いや? 二年前に比べると、仕事終わりだってのに随分とこざっぱりしたじゃないの」
「あ、ああ。『魔』の出現が減ったからな。銃を使う機会が減ったんだ。そうすりゃ返り血だって浴びないで済むし、硝煙の臭いだってしねえだろ」
「そう。よかったわね」
ニンマリと唇を持ち上げてジャンヌは笑い、そして肩をすくめる。
「でもアタシにとってはちょっと残念。あんたってば上客だったのに」
「お前な……」
「ま、人の亭主を往来で裸にするのも体裁が悪いし。洗濯が必要になったらリュシーの分と一緒に広場に持っておいで。じゃね」
ひらひらと手を振ったジャンヌが去っていくのを、アルフォンスはジト目で見つめていた。角を曲がって姿が見えなくなったところで息をつく。
「やれやれ、あいつ、俺のことなんだと思ってやがるんだか」
「そりゃあ勿論、体のいいカモでしょ」
「お前までそんなこと言うのか」
じろりと今度はリュシーを見つめる。
「ひどい臭いをとってあげようっていう、ジャンヌなりの優しさの表現なんじゃないかしら?」
「あんな優しさ、要らねえ……」
がくりと肩を落とすアルフォンスと、再び家に向かって歩き出した。
十五地区は相変わらず雑多である。石畳のひび割れはそのままだし、密集する住宅が迫るように両脇に建っており、その上から吊るされた縄に洗濯物がはためいているのもそのままだ。
ただ、行き交う人々の身なりは少しばかり変わったし、表情は明らかに変化している。
「よう、おはようリュシー」
「お仕事お疲れ、リュシーちゃん」
「アルに無茶されてねえか? 何かあったら、俺んとこに逃げ込めよ!」
軽い冗談と共に投げかけられる挨拶、そして笑顔。
道の脇で遊んでいた数人の子供が、アルフォンスを見て駆け寄ってくる。
「アル兄ちゃんだ!」
「なあ、兄ちゃん。見てよ、おれ、石投げ上手くなったんだぜ!」
そう言って一人の少年が石を手に、壁に描かれている的めがけて投げた。石は見事に的に命中し、少年はよしっと拳を握って喜んだ。
おれもおれもとわらわらと石を手にした子供たちが、自分の技術を競い合ってアルフォンスに見せつける。アルフォンスは笑ってそれを見てから、おもむろに足元の小石を拾い上げ、投げる。
ひゅっと鋭く風を切る音とともに石が放たれ、寸分違わず的の真ん中にカツンと当たって弾き返された。子供たちからの歓声が上がる。
「おーっ、さすがアル兄ちゃん」
「かっけえ」
「俺も大きくなったらアル兄ちゃんみたいに夜警官になるんだ!」
「おう、頑張れ」
アルフォンスが笑顔と共に励ましの言葉をかけ、再び歩いて家へと向かう。
もう、空腹に喘ぐような子供はいなかった。
暮らしが少し豊かになっても、十五地区は変わらず支え合って生きていた。




