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ランタン持ちの娘と魔憑きの王子  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
三章 聖なる光の灯し方

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17/24

 リュシーはオリバーと共に丘を一気に駆け降りた。

 途中で、可愛らしいけれども窮屈で歩きにくい靴は脱ぎ捨てた。邪魔なケープも取り払った。足首にまとわりついて走るのを邪魔するドレスの裾を左手でまとめてたくしあげ、裸足で疾走する。右手には揺れるランタンをしっかり握りしめていた。

 丘を下るにつれて闇にどっぷり支配されたサンティエンヌの都が近づいてくる。今日は道ゆく人の姿も少なく、ファロティエの持つランタンの儚げな光だけが、まるで亡霊のようにゆらめいていた。


(アルが、アルが。もし、魔に憑かれたら……! 早くしないと……!!)

「オリバー、アルがいた道はわかる!?」

「うん。ここからそう離れてないよ、すぐそこの、ほら、ちょうどリュシーが水飴をご馳走してくれた店の近くの通り!」

「トゥネル通りのそばね!」


 昼間に一緒に来ていたおかげか、オリバーは道をしっかり覚えていた。大通りを一足飛びに飛び越え、トゥネル通りまで行く。裸足の指の皮が剥けようとも、足の裏を瓦礫が切り裂こうとも、リュシーが速度を落とす理由になどならなかった。ただ灯りだけをしっかりと持ち、暗がりの中をひた走る。

 パァン、と近くで銃弾の音が聞こえた。

 誰かが魔憑きの人間を処分したのだろうか。もしそれが、アルフォンスだったら……。

 リュシーは嫌な考えを振り切るかのように、首を左右に振った。


「リュシー、ここの通りだよ」


 オリバーが言った通りの前で止まる。この先は、何も見えない。インクをこぼしたかのような黒々とした光景が、細い道の先にずっと真っ直ぐに続いているだけだった。

 リュシーは手にしていたランタンをオリバーに渡した。


「オリバー。あなたは危ないから先に帰っていて」

「でも、リュシー」

「大丈夫よ。見て、私こんなに蜜蝋たくさん持っているの」


 リュシーは腰のポーチから蜜蝋を二、三本取り出すと、マッチを擦って明かりを灯した。リュシーを見上げるオリバーの顔は煤まみれの顔に涙の跡を何筋も滲ませている。きっとアルフォンスの身を案じて、ずっと泣きながら助けを求めに来たのだろう。


「おれ、アル兄ちゃんだけじゃなくて、リュシーまで死んだら申し訳も立たねえよ」


 そうして再び、その大きな瞳を潤ませる。リュシーはオリバーの肩に手を置くと、しっかりした声で言い聞かせる。


「大丈夫。私、こう見えても運はいいんだから。今までだってずっとファロティエの仕事をしてきて、危険な目にあったことなんて一度もないのよ」


 一度もないは大袈裟だし、嘘も混じっている。

 しかし運がいいのは事実だ。

 客に女だとバレたこともないし、「魔」に遭遇したこともほとんどない。


「ね、信じて、十五地区で待ってて。アルを連れて帰って、朝には元気な姿を見せるから」

「……わかったよ」


 オリバーはしばし迷ったようだったが、最後には頷く。十五地区に向かって走っていくのを確認してから、リュシーは通りに向き直る。蜜蝋は根元にランタンに固定するための薄い金属が巻いてあるが、こうして直接持つようには出来ていないから、長時間握っていたら手に溶けた蝋が垂れてくるだろう。アルフォンスの身も心配だし、急がなければ。

 リュシーは無謀にも「魔」が巣食う路地裏へと足を踏み出した。

 アルフォンスに会えるかどうかは賭けと言ってもいい。

 サンティエンヌの都の路地裏は迷路のように入り組んでいて、一度入れば同じ場所に行くことは難しい。オリバーがアルフォンスと別れてから時間も経っているし、その間にアルフォンスがどこをどう移動したのかも、わからない。

 それでもリュシーは勘を頼りに走った。

 走るうちに、この場所が、十二年前にジルベールと出会った場所に続いていることに気が付いた。

 果てもなく広がる都の中で、同じ場所に来るなんて、とリュシーは思う。

 あの時と違うのは、自らの意志でこの「魔」が蠢く場所へと来たことだ。

 ランタンを手に、一寸先に広がる闇にわずかな光を投げかけながら走る。

 近くでパン、パンと銃声が響き、その音でアルフォンスがこの先にいると確信する。

 同時に、急がなければとますます速度を早めた。

 左右に伸びる道の先に「魔」がいるが、リュシーの行く手には幸いにも邪魔立てする「魔」はいなかった。

 やがて辿り着いた先にいたのは、少し開けた場所で「魔」と対峙しているアルフォンスだった。食べ物の腐った匂いが鼻をつく。どうやらゴミ捨て場に来たようだった。

 松明を手にしたアルフォンスが向かい合っているのは、昏く巨大な「魔」の塊だ。一体どうすればこんなにも大きくなるのだろうかというほどの大きさの「魔」を見て、リュシーの心臓は激しく鼓動する。

 リュシーが何か言うより早く、アルフォンスに駆け寄るより早く、「魔」が動く。「魔」はアルフォンスに飛びかかり、アルフォンスの全身を黒い影で包み込んだ。松明が手から離れ、風もないのに炎が自然に消える。

 アルフォンスはその場にくずおれ、石畳に膝をついた。リュシーは叫んでいた。


「アル!!」

「ぐ……う……リュシー!?」


 魔に取り憑かれたアルフォンスは、苦しげに顔を歪めながら振り向いた。全身から黒い影を立ち上らせ、赤くなった瞳で見つめられ、リュシーは反射的に足を止めた。

 この場所、この光景。十二年前の、ジルベールに出会った時とそっくり同じ光景だ。

 アルフォンスはあの時のジルベールとは違い、完全に「魔」に飲み込まれたわけではない。しかし放っておけば自我はなくなり、悪魔へと成り果てるだろう。

 立ちすくむリュシーにアルフォンスは絞り出すように声をかけた。


「来るなよ! お前を殺しちまったらどうしてくれるんだ!!」

「アル……」


 こんな状況になってなお、アルフォンスは己の身ではなくリュシーを案じてくれている。震える唇が紡ぎ出したのは、助けを求める声でも、魔に飲まれる恐怖の言葉でもなかった。


「……ずっと、ガキの頃からお前だけ見てた。どうしようもなく好きだった。自分だけのものにしたくてたまらなかったんだ」


 アルフォンスは荒い息をしながら、魔に取り込まれまいと必死に抗っていた。


「俺にお前を殺させるような真似はさせてくれるな。頼む、逃げてくれ」

「いや……アル、私、いやよ」


 命が潰えようとするアルフォンスを前にして、リュシーはようやく気がついた。

 リュシーに必要なのは、甘い言葉を囁いたり、贅沢な服や食べ物を与えてくれ、溺れるほどの愛を注いでくれる王子様なんかじゃない。

 リュシーが寂しくないように気遣って、一晩中暗闇の中で話をしてくれる。口が悪いけど心は優しくて、下町の子供達が自分の身を守れるよう護身術を教えたり、パンや干し肉を何気なく渡してあげたり、誕生日だからと理由をつけて都の案内を一緒にしてくれる、そんな素敵な幼馴染だった。

 目が眩むような豪華な宮殿も、誰もが憧れる美貌の王子様も、甘い蜜蝋の香りも、何一つリュシーの心を動かさなかった理由がやっとわかった。

 血と硝煙の臭いに包まれて尚、リュシーを守ってくれようとするアルフォンスだけが、きっとずっと心のどこかで好きだったのだ。

 リュシーは苦しげなアルフォンスに、自分の心の内を曝けだした。


「ねえ、アル。聞いてよ、私やっと気がついたの。私が好きなのはアルだって」


 アルフォンスはこの告白がよほど意外だったようで、目を見開いてからハッと短く息をついた。黒い影はどんどんとアルフォンスの体を侵食している。限界が近いのは明白だ。

 どうすれば、アルを助けられる!?

 リュシーは必死だった。そうして、たったひとつのアルフォンスを助けられる方法を思いつく。

――聖なる光。

 五歳の時にリュシーが生み出した、あの聖なる光を再び生み出せれば、アルフォンスに取り憑いた魔を払えるかもしれない。

 でもどうやって?

 今まで散々試してみたけど、一度としてうまく行ったことはなかった。

 悩みまどうリュシーの前で、アルフォンスが腰のホルターから拳銃を抜く音が聞こえる。

 はっと顔を上げると、赤く濡れた瞳のアルフォンスが真っ直ぐにリュシーを見つめていた。その顔には覚悟の色が宿っており、この後の展開を予測したリュシーは唇を歪めて青ざめた。


「アル……何する気なの……」

「……好きな女を自分で殺したらシャレになんねえからな。俺は取り憑いた魔を道連れに先にあの世へ行く。リュシーは、しあわせになれよ」


 そうして笑うと、アルフォンスは己のこめかみに拳銃を突きつけ、迷うことなく引き金を絞った。

 リュシーは持っていた蝋燭を打ち捨てて、考えるより早く身体を動かした。

 やっと好きって気がついたのに。

 アルの隣にいたいって思ったのに。

 こんな結末、ひどすぎる。


「ダメ、やめて! アル!!」


 リュシーの叫びは、乾いた発砲音によって無情にもかき消された。


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