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[第5話] 魔女とプリキュア②

 リビングの電灯がチカチカッと明滅する。台風で電力の供給でも不安定になっているのか?とサトルはいぶかしがりながらも、テレビを消し、ダイニングテーブルの上の皿をキッチンに片付けた。棚から、来客用のマグカップを出す。


「そこ、座れよ」


 サトルは自分がいつも座っている席を指した。次いでサトルは早の席に座り、ポットからマグカップにコーヒーを注ぐと、ゆっくりとヒスイの前に差し出した。


「……この数週間、一体誰とどこをほっつき歩いてたんだ?」


 責めるような言葉でありながら、その声には抑揚がなかった。


「なぁに? 尋問みたいな聞き方ねぇ……」


 ヒスイは余裕そうな微笑みを貼り付けたまま、コーヒーを啜った。


「……ちょっと彼と旅行に行っていただけよ。お陰でずいぶん仲も深まったわ」


「早くんを置き去りにしてか」


 食い気味にサトルが問いただす。ヒスイはマグカップをテーブルの上に置く。コーヒーの湯気が柔らかに空間を漂うのと同じように、落ち着き払って言った。


「置き去りなんて人聞きが悪いわぁ。早にも、しばらく旅行に行くって伝えていたんだけどね」


「嘘つくんじゃねぇよ!」


 サトルが突然激昂し、テーブルを拳で叩く。抑えた感情の圧が高まり、発露するのを止めらないという様子だった。


「そんなこと……早くんは言ってなかった!」


「あらそう? サトル、まだ信頼されてないのね」


 「てめ……!」とサトルが立ち上がろうとした瞬間、ヒスイがその動きを読んでいたかのようシュッとサトルの胸元に手を伸ばす。ビクッとして、サトルは中腰のままヒスイを見つめる。その手には、サトルの胸ポケットからかすめ取ったスマートフォンが握られていた。画面にはレコーディングアプリの波形が波打っている。


「早は繊細だから。こういうことする男と信頼関係を結ぶのは、難しいんでしょうね」


 画面をタップして、ヒスイはレコーディングを停止する。そのままスマートフォンを肘の下に敷いて頬杖をつき、サトルを見つめる。


「腐っても元新聞記者ってことかしら」


「……元じゃねぇ。フリーになっただけで、現役だ」


 サトルはゆっくりと椅子に座り直すと、ふーっと息を吸って吐いた。


「何でこんなことした。何で繰り返した?」


「どういう意味?」


「……男ならいい大学に入れ。いい会社に入って勤め上げろ」


 ヒスイの眉がピクリと動く。


「女は大学に行くな。高学歴で高収入の夫を捕まえて主婦になれ。道を外れるな。外れれば殴る。殴られるのはお前らが悪いからだ」


 サトルは幼い頃からさんざん聞かされてきた常套句を、吐き捨てるように言う。ヒスイはスマホから肘を下ろし、腕を組んでサトルを見つめた。サトルが続ける。


「アイツらは控え目に言ってクソだった。俺は会社を辞めた。姉ちゃんは離婚した。それで関係は終わった」


 その言葉は徐々に熱を帯びていく。


「あの街もクソだった。クソとクソがより集まって、まるで肥溜めだ。でもな、その程度の奴らに育てられた俺たちだからこそ、子どもはテメェの所有物なんかじゃないって誰よりも知ってるはずじゃなかったのか?」


 サトルの興奮を他所に、ヒスイは静かに、呟くように返す。


「……アンタはいいよね、サトル」


「はぁ? 何が言いてぇんだ」


「たとえアイツらに強制されたとしても、学歴と職歴は残る。会社辞めても、ずいぶんといい生活してるじゃん」


「……生きるための努力をしてきただけだ」


「努力ねぇ」


 ヒスイは足を組み、自嘲するように言う。


「じゃあ私は努力してないってこと?」


 またリビングの照明が明滅した。


「……違うって言いたいのか?」


「私も努力をしてきたんだよ。アンタには想像できないだけ」


 窓の向こうで嵐はその勢いを増し、雨が窓ガラスをうちつける、パパパッという銃撃のような音が連続して響いた。


「私にはね、何もないんだよ」


 ヒスイの眼光が鋭くなる。雨は一層強くなり、外は薄暗さを増していく。


「学歴もない、貯金もない。女として生まれたのに、もともと顔だって大したことない。だからこそ、私は愛嬌を振り撒いてきたの。自分の意志よりも、相手の意志をどこまでも尊重した。相手色に染まる努力をした。そうして、抜群に頭が切れて顔も良い、高収入の夫に選ばれたの。かわいい、かわいいって」


「それが早と何の関係がある?」


 遮るようにサトルは言う。


「その努力の結晶が、早なんだよ」


 ヒスイはため息をつく。まるで分かっていない、とでも言いたげだった。


「私がこんなのでも、夫に捨てられても、その遺伝子は早に組み込まれる。お陰で早はとびきり頭もよくて、顔もいい子に育った。最近の若い子は『親ガチャ』とか言うらしいけどね、私のおかげであの子は『スーパーレア』の素材として生まれたのよ」


「環境は最悪でもか?」


 重箱の隅をつつくようなサトルの挑発に、ヒスイは一瞬眉を寄せるが、すぐに微笑みを浮かべた。


「……で、何で戻ってきた」


「あの子はモテるでしょうし、将来的には出世するでしょうね。所有物なんてとんでもない。ただ、あの子はとってもいい子だから、私が死ぬまで、自分の意志で私を支えてくれるはず。あ、私と彼が、死ぬまでかしら?」


「もういい」


 サトルは手のひらをヒスイに向けて制止すると、目をつむって、苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「姉ちゃんが自分の罪を認める気はないってことが、よく分かった。最初は、姉ちゃんが早くんに謝る気があるなら、早くんに事情を話して取りなすことも考えた。でも、もうやめだ」


 テーブルの上に乗せた拳を握りしめて、サトルは正面切って戦う覚悟を決めた。


「アンタがどう言おうと、もう関係ねぇ……! あのままなら早くんは衰弱死してもおかしくなかった。早くんに証言してもらって、アンタは警察に突き出す。裁判もする。親権は引き渡してもらう」


 1番言うべきことをやっと言ってやった、という清々しさと、一瞬走った緊張感のある空気に、サトルは一つの手応えを感じた、と思っていた。


「じゃあ、その証言は今ここでしてもらいましょう」


「……はぁ?」


 予想外の提案にサトルは素っ頓狂な声を上げる。何を言ってるんだ、この女は。


「だって、サトルの家にお世話になりながら、あなたが迫れば、あなたに有利な証言をするかもしれないでしょう。だから、私たち2人の前で証言させるのよ。レコーディングもすればいい」


 そう言うと、手元にあったサトルのスマートフォンをテーブルの上でスーッと滑らせて、サトルの手元に押し戻した。


「それを聞いたら、私もおとなしく帰るから」


「……いいだろう」


 サトルは席を立ち、先に書斎に向けて歩き出す。チカチカっと明滅したリビングの照明がいよいよ消え、リビングは日暮れ後のように薄暗くなる。後ろのヒスイが口の端を吊り上げるように笑っていることにサトルは気づかない。

 ヒスイはすでに勝利を確信していた。

 大人同士の争いは理屈の上で成り立っているから、楽だ。

 だがこちらの秘策は理屈ではない。

 一言だ。たった一言あればいい。その一言で、ヒスイは早をデク人形に変えることができる。そうして死ぬまで、早を自分と彼の足元に縛り付けて、私たちが死ぬまで鞭打ってやる。


「あぁ!? ちょ、待ちなさい! コラ!」


「ん?」


 その瞬間はスローモーションのようだった。目の前で視界を遮っていたサトルが急にしゃがみ込んだと思うと、廊下の闇の中にタックルするように飛び込んだのだ。そして、その闇の中から、謎の奇声が轟く。


「プイキュアァーーーーーッ!」


 次の瞬間、真っ暗なリビングに、稲光が走るように金色の光がキラッと差し込む。


「ピィーーーースゥ サンダァーちゃーーーーーーンッ!!!」


 と同時に、白い何かがヒスイの顔面目がけて突っ込んできた。


「キャーーーッ!」


 若干の衝撃は、なぜか顔ではなく両肩に来た。虚を突かれてヒスイは後ろに尻餅をつく。視界が急に暗闇に覆われ、一瞬パニックに陥る。いや、違う。暗いのはこの空間だ。停電のせいだ。むしろ景色は少し白みがかっていた。この、まるで、ストッキングのような何かを通したような視界では。


「何よッコレ……!」


 ヒスイは顔を覆う網目の何かを取り外そうとするが、抑えつけられているようでなかなか外せない。


「サンダー!何やってんのお前!手離しなさい!」


「ぎにゃあああー!」


 サトルの声がリビングに響き渡り、白みがかった視界越しに、サトルが子どもを後ろから羽交い締めにしているのが見えた。顔にかぶさったモノを押さえつける力がなくなり、無理矢理に引っ張って取り外す。


「ぶはっ! 何これッ! 虫取り網!?」


 髪をボサボサに乱されたヒスイが、怒りに打ち震えながら網を床に叩きつける。

 それを被せてきたであろう相手をキッと睨みつけると、そこには全身を魔法少女のような黄色いフリフリの衣装で包んだ、金髪の幼女が手足をジタバタさながらこちらを睨み返していた。

 腰には、恐らく虫取り網と一緒に持ってきたのであろう、明らかに衣装と不釣り合いな虫かごがぶら下がっている。


「何なのこのふざけたガキは!アンタの娘!?」


「あ、ああ、そ……」


「いもうとだああああああぁぁぁぁーー!!!」


 サトルの説明を遮ってサンダーが叫ぶ。


「そうちゃんの、いもうとだあぁぁぁぁー!」


 その剣幕に、サトルもヒスイも一瞬あっけにとられる。


「サ、サンダーちゃん……!?」


 遅れて、サンダーに続いて部屋から出てきた早がこの状況を見て、言葉を失う。恐らくプリキュアのコスプレなのであろう衣装に身を包んだサンダーがサトルに羽交い締めされ、肩を上下させてハァハァと息を切らしている。そして、その向かいに、髪が乱れたお母さんが尻餅をついていた。


「あぁ……早ッ!」


 ヒスイがその名前を呼ぶと、早はビクッとする。大仰に涙を浮かべて、ヒスイは情感たっぷりという様子で先ほどの提案について説明しようとする。


「会いたかったわぁ〜……。あのね、ママとサトルから一つお願いがあるんだけど……」


「……あ、おかあ」


「ダメェ!!!」


 早が返事する前にサンダーが止める。ヒスイは舌打ちし、何なんだコイツは、と額に浮き上がった血管をけいれんさせる。


「そうちゃん、このひととしゃべっちゃダメ! このひとはママじゃないよ、わるいまじょだよ! しゃべったらまほうかけられちゃう!」


 ヒスイが目を丸くして、「アハハハハ」と笑いだす。これは傑作、とでも言うように、手のひらでフローリングを叩いた。


「サトルゥ、あんたの娘、フィクションと現実の区別がついてないのねぇ……あぁかわいそうに。さっきの失礼は許してあげるわ」


 そう言うと立ち上がって、押さえつけられたサンダーを見下ろして腕を組んだ。口元が歪んでいる。


「今からパパと私と早で話し合いするから、あなたは部屋の中でアニメでも見てるといいわ。ほらサトル、早く連れてってよ!」


「パパは……ッ!」


 サンダーがまた息巻いた。


「ほいくえんにおむかえにくるとき……ッ まだサンダーにきづいていなくても、やさしくて、あったかいかんじがするッ!」


 その顔が赤くなり、片側の牙を剥き出しにする。


「でも……ッ おまえはちがう! すごく、つめたいかんじがする!  そうちゃんはさっきからずっとふるえてる……こわいからでしょ!!!」


 サンダーがヒスイに必死に抵抗する後ろ姿を、サトルのさらに後ろから、早は呆然と見つめていた。サンダーの目が潤んで、唇を噛み締める。


「お……おまえはっ! そうちゃんのママなのに……そうちゃんを、わざとまいごにしてたんだ……そうちゃんは、かなしくて、つらかったんじゃないかなあ……! だって ずっとそとにでれなかったんだよ! ごはんもいつものこしてた!」


 その目から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。


「なんで……そんなことッするの!? サンダーには、ぜんぜんわかんない! かえって! かえれ! これいじょう、サンダーのおにいちゃんをきずつけないで!」


 そこまで言い切ると、「うええええん……」と泣きながらぐったりと脱力した。サトルが腕の力を緩めると、そのまま地面に崩れ落ち、突っ伏したまま泣き続けた。

 傍に佇む早は、首の筋肉が強烈にひきつるのを感じて手を伸ばすと、熱い液体でびしょびしょに濡れていた。それは言うまでもなく、目から頬、顎を伝ってこぼれ落ちた自分の涙だった。


「……サンダーちゃん」


 早はしゃがみ込んで、サンダーに覆いかぶさるように抱きしめた。

 胸に空いた穴の中で、強烈に渦巻いていた感情が、そのままギュルギュルと逆向きに渦巻いてほどけ、小さな宇宙が崩壊していくのを感じていた。早は自分を、自分の感情を、やっと見つけることができた。


 そうだ、僕はずっと、寂しくて、辛かった。お母さんが怖かった。だから、お母さんの願いを叶えようとした。お父さんがいなくなる前みたいに、振り向いて、僕の名前を呼んで、もう一度頭を撫ででほしかった。僕の体温と体重を、まるごと抱きしめてほしかったんだ。


「そうちゃん……?」


 サンダーが起き上がる。真っ赤になった顔は、涙と鼻水とよだれでぐちゃぐちゃになっていた。そんなサンダーの顔を見つめ、早はもう一度抱きしめた。


「ありがとう、ありがとう……」


 こんな時なのに、自分の表情が和らいで、頬が緩んでいくのを感じた。もう震えも止まり、寒くない。体が軽い。手足に力が戻ってくる。胸の奥が暖かくて、満ち足りた感じがする。


 あぁ、僕はもう、大丈夫だ。


「早、早ッ!」


 ヒスイが悲鳴のような声をあげて、どしどしと歩いてくる。警戒したサトルがその間にサッと入って両手を広げて通すまいとするが、立ち上がった早が「おじさん、ありがとうございます。でも、大丈夫です」と告げた。


 今初めて、早はこんなにも澄み渡った気持ちで母親と向かい合っていた。不思議だった。あんなに大きくて、怖く思えたお母さんが、今はただ、自分より少し背の低い、髪を乱した中年の女性にしか見えなかった。怖かった母は過去の思い出による亡霊であり、自らの恐怖による思い出補正のようなものだったと気づく。

 ヒスイは落ち着き払った早に違和感を覚えながら、この時を待っていたとばかりに両手を広げた。


「さぁ、あなたは自分の意志で、私の元にくるのよ!」


 後ろに暗雲と嵐を引き連れて、ヒスイはその言葉を口にした。


「早、『呪文』を言いなさい」


 これで勝負は決まった、とヒスイは内心ほくそ笑む。

 だが、早は答えない。一歩を踏み出すこともせず、ただ静かに、母の顔を見つめていた。早は今では、「呪文」が孕む代償について理解していた。

 どうしたの、何かできることはある?

 その言葉はとても便利だ。誰だって、自分の気持ちに寄り添ってくれる人のことを特別に思う。

 だけど、そうやって寄り添い続けるその人の気持ちはどこへ行くのか。自分の感情を、自分の意志を後回しにし続けた先にあるもの。その答えを、自分は身を持って知った。それは間違いなく、自己の喪失だった。

 サンダーちゃんがお母さんを「魔女」と表現したのも、あながち間違っていない。呪文とは、まさしく「呪い」そのものだ。それを使う人間が使い方を誤れば、自らが呪われていく。どんなにネガティブな想いと言葉が自分の中にどんどん溜まっても、いつしかその存在自体を忘れ、気づけば自分の中に空洞が広がっていく。そうやって空っぽになっていく人形に、母は自分の命令を埋め込み、支配したのだ。


「嫌です」


 そして早は言い放った。


「あなたは僕に何も事情を説明せずに、1カ月も失踪していた。事実上、僕を捨てた。だから今度は、僕があなたを捨てる番です。僕はこの人たちと家族になりたい。あなたとではありません」


 そばに控えたサトルがしっかりと手元のスマートフォンでその瞬間を録音し、ガッツポーズを決めた。

 サンダーも復活して立ち上がり、「なに!? パパなにしてるの!?」と騒ぎ出す。

 だが、ヒスイは腹の中がかき乱されるような怒りに打ち震えていた。髪の毛が逆立ち、その目は充血していた。


「早……ッ! 違うよねぇ!」


 ヒスイが右手を振りかぶった。張り手のように早の顔めがけて叩きつけるつもりらしい。だが、早は避けるつもりはなかった。その手を見た瞬間に、むしろ好都合だと思ったほどだ。これを受ければ、駄目の一押しになる。


「クロガネーーー!!!」


 だが、張り手が振り下ろされる直前、サンダーが何やら刀のような物騒な名前を叫んだ直後、ヒスイは「ギャアアアアアー!」と絶叫して後ずさった。

 何事かとサンダーを見ると、その手には記憶の彼方で見たトラウマが顕現していた。腰の虫かごから取り出されたであろうソイツは、間違いなく、早とヒスイの木造アパートに現れた、あの大きめのGだった。

 「「ひ、ひいっ……」」と早とサトルも小さな悲鳴を上げて、リビングの隅に飛び退く。


「この腐れガキィ! こっち来ないでよ!」


  叫ぶヒスイに、サンダーはクロガネを水戸黄門の紋所のように掲げながら、ジリジリとにじり寄っていく。


「じゃあかえれェ!」


「……クッ! うううう」


 唸りながら、ヒスイは壁を伝い、サンダーとクロガネから距離を取ると、そのまま玄関に向けて走り出す。


「いっけえぇぇぇ!」


 その背中に向けて、サンダーがクロガネを投げつけ、最後の雄叫びをあげる。

 クロガネはヒスイの背中目がけて飛翔し、ヒスイは「アァァァァ!!」という悲鳴を上げて裸足のまま玄関ドアから飛び出した。ガチャンと扉が閉まる音がし、クロガネは玄関前に穏やかに着陸した。

 サンダーがヒスイに放り投げられた虫取り網でサッとクロガネを捕まえると、虫かごに戻す。その様子を男二人は確認し、サトルがすぐに指示を出した。


「サンダー!手洗ってこい!」


「はい!」


 ビシッとサンダーが敬礼する。


「早ッ!塩もってきて!」


「あ、はい!」


 早はキッチンに向けて走り出す。


「そんでオレは……」


 と言うと、サトルは玄関に置かれたヒスイのパンプスを手に取り、ドアを開けた。そこにはヒスイが膝から崩れるようにしゃがみ込んでいた。サトルが靴をヒスイの足元に置く。それが兄妹としての、最後の優しさだった。

ヒスイがサトルを睨みつけると、サトルはたった一言告げた。


「次は法廷で」


 ヒスイはパンプスを履くと、「行くわけないでしょ!」と言い残して足早に去って行った。サトルが鼻を鳴らすと、「サトルさん!」と早が塩の入ったプラスチック容器を持ってきた。


「おう、撒いとけ!撒いとけ!」


 早は容器に拳を突っ込み、もうそこにはいない母の面影目がけて、思いっきり塩を投げつけた。

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