居てもいい場所
結婚式の招待状が届いた。
慶んで出席する旨を返送した。
私は結婚式が好きだ。
みんながにこにこしていて、幸せな気持ちになる。親族がみな似たような顔の造りをしているのをみると、血の繋がりを感じて愉快である。
そして何より、祝う気持ちさえ持っていれば、ここに居てもいいのだと心から思えるのが一番の理由だ。
居てもいいと言う場所というものは、存外少ないものである。自室(家賃を払い続ける限り)、実家(数日間のみ、家族と良好な関係を保っている限り)、会社(勤務時間中、労働をしている限り、居心地が良いかは別として)くらいのものではないだろうか。
昔、地方に住んでいた頃、夜行バスでひとり東京に来た。寒さの残る春のことだった。
昼頃にあるイベントのために遥々やってきたのであるが、当時はお金もなく、ぎりぎりの旅費を握りしめて上京した記憶がある。
早朝にバスを降ろされ、イベントまでの7時間ほどがぽっかりと空いた。最初は24時間やっているファストフード店でコーヒーを飲んだりして時間を潰したが、背もたれもない椅子に座り続けるのが苦痛で1時間ほどで退店した。
外に出ると、人通りはまだまだ少なかった。先のことを考えると、カフェに入り直すほどのお金はなかったから、適当に座れる場所を求めて歩き始めた。
だが、しばらく歩いてから気がついた。そのへんの普通に座れる場所がないのだ。
ーーただ座るだけにもお金がかかるのだな。
東京に、私が居てもいい場所はなかった。
仕方なく、高いビル群に圧倒されながらも、辺りを練り歩く。路地裏に入ったりもしたが、迷子になるといけないから、できるだけ線路に沿うようにして、進んだ。
道が途切れそうになったから、線路の高架下を潜り、反対側へ出ようとすると、ホームレスの男が段ボールを掛け布団のようにして横たわっていた。白髪混じりの髭を蓄えた男は、こちらを見向きもせず、じっとしていた。辺りは異臭に包まれていた。
そのとき、言いようもない不安に襲われた。行き場を失った私の未来の姿を暗示しているように思えたのだ。とにかくこの場を離れたかった。少し歩くスピードを速めて、最寄りの駅まで向かった。
駅に着くと、行く当てもなく、ICカードで改札を通り、緑色のラインが入った電車に飛び乗った。山手環状線である。
休日の早朝だったこともあり、人もまばらで、端の席が空いていた。私はそこを陣取り、腰掛けた。足下からはヒーターがじんわりと身体を温めてくれて、私はそのまま眠りに落ちた。東京で初めて心落ち着く場所を得たと思った。
結局山の手線を一周する手前で目が覚めて、乗車した駅の一つ前で降りた。イベント会場のちょうど近くだった。




