表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/41

鄒氏(嫁さんの満面の笑み)


1563年のとある日。

20歳で成人式を行わず。計画倒産こと晴れの日の無いので平和なポストティーンネイジャーとなれました。


……ごめん。平和なのかな?今、戦国時代だよ……



「やはり、一度破壊せにゃいかんのです。想像的破壊ちゅう奴ですわ。聖域なき構造改革的な。


うん。ええとですな、要は源平の争乱で鎮護国家の祈祷に効き目が無かったばかりか、東大寺の仏像が焼けましたやろ?


その反省によって、坊主達は知恵を振り絞って、五山派とか日蓮宗や浄土真宗が生まれたんですわ。


で、暫く経った今、それが腐ってしもうた。なら、誰かがもう一回、東大寺の仏像を燃やして、争乱を起こさにゃいかんのです。さすれば、自ずと国を護れる仏教が出てきます。


俺はそれが出てくるまで魔王でも悪魔でもなんだってやってやりますよ。誰かが悪役をやらねば、物語は進みませんからね


……って、云う事を良い感じに纏めて書状を書いて、帝に提出して」


「はっ」


西園寺公高君は優秀だ。後は全て彼に任せて、本願寺焼き討ちの言い訳を帝に呑み込んで貰おう。


誰も馬鹿正直に、


彼奴等、仏教勢力の力を削ってやろうと無駄死にさせまくったのに、勝手に和平交渉し初めてウザかったので、ハライセでちょっと温度が高いサウナを作ってやりましたよ!ドヤ!


なんて、言わないからね。


四国内では、真言宗の坊さんと仲良くする為に、莫大な御布施をしたから、仏教勢力は何とかなるし、無駄な一揆も起こらないでしょう。


御遍路の道路整備と88つの全ての寺の復興・修築・増築事業を推奨した事でも、俺は歴史に名を残すんだろうな。空海好きの戦国大名として。



取り敢えず、土佐一条家の現状は、維持+αしており、四国と淡路の計5つの国を完全に統治下に治めている。


淡路に居る親父達は、摂津の本願寺勢力と三好勢力と敵対しており、阿波から紀伊国へ、量産した毛呂智舟で奇襲に成功した俺達は、最速で支配下に置けるよう努力している。


大和国は、3年前に北畠具教殿が攻め入っているから、下手な刺激を与えたく無いので攻めませんと、云う名目で侵略して居ない。


実情は、兵力的にそこまで手を出せないと云うものだが、売れる恩義は恩着せがましく売っておく。それが戦国時代を生き抜く為の知恵だよ。


紀伊攻めでは、まず、教興寺の戦いで弱体化している畠山氏と、従軍して討ち死にした安宅光定、湯川直光、龍神正房、貴志光宗、目良高湛や、根来衆を忍者達を使って対立させ、見事、内部分裂した直後に畠山氏を滅ぼした。


幕府からの信頼厚いし、妙に高貴振っている畠山氏は、後の統治で弊害にしかならないので、本家筋の男子は無論、分家筋の幼い子すら確実に公開処刑した。


その後、家臣団に従属を促し、高野山真言宗から分裂した根来衆が真っ先に従うと、続々と申し出てきた。



次に、史実通り、1560年に筒井順慶の本拠地である筒井城を奪い、1561年に六角義賢との合戦である、将軍地蔵山の戦いを行い、1562年に畠山高政との合戦である、久米田・教興寺の戦いを行い、伊勢貞孝・貞良親子の討伐を行った松永弾正久秀には、徹底抗戦をされましたが、散々ミサイル撃ち込んだ後に戦車で突っ込むソ連式の戦国版を行い見事捕らえた。


えっ?あんな爆薬抱えられるか!二度手間だったよ。即、斬首。


内に危険を孕ませたまま、織田に楯突くなんて危険過ぎるからな。


平蜘蛛茶釜と九十九髪茄子は俺の物です。玉椿は峰子にあげた。世界で二番目に可愛いお兄ちゃん子だからな。


紀伊攻めの最後の仕上げは、とある人を招き入れる事だった。


紀伊には、剣聖・上泉信綱の師匠の愛洲久忠の息子の愛州宗通が居る。


史実なら、1564年、佐竹義重に陰流の奥義を伝授し、これを切っ掛けに常陸久慈郡太田城にあった佐竹義重のもとへ、剣術師範として出仕している。


だが、そうはさせない。剣豪マニアである俺は、全力で忍者達に探し出させて、直接口説いた。無論、剣で語り合ったぜ。


ちょっと時代を先駆して宮本武蔵を真似した二刀流に興味が湧いたのか、一条家にそのまま仕えてくれた。やったね!



九州に関しては、俺の母上のお陰で大友宗麟を筆頭とする大友家と長期間の停戦協定を結び続けており、一切触れていない。



中国地方に関しても、大友家のお陰でかなり負担が減っている。


俺が、逆賊陶晴賢討伐連合軍時代に、吉川元春は陶晴賢と義兄弟の契りを結んでいると、云う理由により処刑し、小早川隆景と毛利隆元の間を忍者衆を駆使して仲違いさせたので毛利は大きく弱体化。


大友・毛利間で取りかわされていた大内氏滅亡後の領土の取り分けに関しての密約は無くなり、中国地方に進出しない筈の大友家が、長門国・周防国・石見国・安芸国を平定している。


三村氏を毛利の統治下から外れる様にと、大友家と共に毛利に圧力を掛け、その三村氏には尼子氏をぶつけさせている。


尼子経久は天下取りに失敗するだろうから、自ずと潰れるだろう。備前の宇喜多直家が怖いけど。あの謀略家が尼子を丸々吸収して毛利も滅ぼし、大友と中国地方を二分しそうで怖いな。


赤松氏と一色氏を出来れば従属、無理ならば同盟関係に置きたいな。


ただ、この様に大友家に頼り過ぎている所があるので、宗麟から伴天連追放令をとやかく言われる時は物凄く気を遣う。早く島津家台頭してくれないかな。


畠山氏は本願寺を焼いても同盟関係は崩れず、俺の妹の阿喜多の夫であり、具教殿の息子である具房が家督を継いでいる。


史実通り、1563年に具教殿の父、晴具が亡くなった為、具教殿は息子に家督を譲ったのだ。具房は16歳。だが、既にデブ。俺は、妹を嫁がせた日の夜、


「具教殿の様な立派な武士になって頂かない限り、妹と共に寝る事を許しませんからね?良いですね?筋トレするんですよ?」


と、散々圧力をかけておいた。


史実の様に、織田軍から大腹御所の餅食らいと、からかわれない様にせねば。


妾取る?赦さんぞ!具教殿が居なくなったら攻めるぞ、おら!


精々、一条家の対織田防衛線としての壁になってくれ。


因みに、ちょっと拗ねてる嫁さんも、今、北畠家にお世話になっている。


全く興味が無い様な顔をして、


「紀伊平定おめでとうございます」


と、筒井城の復興作業に励む俺に一言コメントした後、


「毛呂智舟借りますね」


と、下から目線のお願いをして、とっとと阿喜多の元へ行ったのだ。多分、俺の愚痴大会開いてるんだろう。別にええけどな。


西園寺公高君に、


「チョロいっすね」


と、言われたので、剣の訓練と称してフルボッコにしてやったぜ。


旦那は嫁の尻にひかれるくらいでええの。亭主関白とか平成の時代から外れてるの。


それに、此の前呟いた、"鄒氏"と云う言葉の意味についての誤解は解けたから良いの。



曹操がむっちゃ可愛い鄒氏を妾に取り立てたら、それに怒った旦那の張済が反乱を起こす。鄒氏の色気に酔っていた曹操は察知が遅れ、命を落とす寸前までおいつめられたと、云う事実がある。


嫁さんは、鄒氏が曹操の妾である事から、俺が嫁さんに飽きて、妾を取ろうとしていると、解釈。


一方、俺は、俺が戦場で飛んで来た鉄砲の弾を斬った事を、丸目さんが聞いたので、俺を諌める為に剣術指導を行ってくれた事は理解していたが、一体誰がそれを告げ口したのか知らなかった。


そして俺は、嫁さんの護衛に付けていた忍者に裏切られた事を、嫁さんに見蕩れてたから全く気付けなかった。(嫁さんは悪くない)


肉体的・精神的に痛過ぎて死ぬと思う様な剣術指導を焚き付けた嫁さんを止められなかった忍者達が悪いのだ。


俺が曹操。嫁さんが鄒氏。張済がお付の忍者と、云う構造で考えれば、思わず嫁さんに鄒氏だなと、呟くのも分からなくはないだろう。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ