魔境異譚・魔女のミラジュ8話
マキョーさんのダンジョンには魔境の各地にいたヌシが住んでいるという。魔境という場所でも生きにくくなった魔物たちが安住の地としているのだとか。
「ヌシたちは、どうやって生きながらえているんです?」
「マキョーの魔力もあるし、こういう突発的な大発生で出た有機物なんかはそのままにしておくと、厄介でさ。思いがとどまって呪いに変わったりするから、死体が動き出したりするんだよね」
「ええ? それを解消するために、ダンジョンに?」
「そう。魔境のすべてを引き受けているから、マキョーは強いんだ」
チェル先生は、そう言って大きな胸を張っていた。自分の夫を自慢しているのかもしれない。
「ところで先生、蜘蛛が強くなってませんか?」
「そうだろうね。そろそろ主力が出てくる頃だ。防御結界を張りながら進もう。毒も飛んでくるはずだから」
「はい。防御結界って……どうやるんですか?」
「自分が最もよく知る形に硬い魔力で膜を張るといいよ。あんまり盾とか壁とかにしないほうがいいかも知れない」
普通に盾を作ろうとしていた私は止まってしまった。
「ローブとかでもいいですか?」
「いいね。というか、ローブに仕込めばいい。終わったら魔法陣を刺繍しよう」
「はい」
私は魔力をローブの上に重ねた。
「こんなことで違うんですか?」
「全然違うと思うよ。例えば、そのローブを覆っている魔力に熱を加えてみてごらん」
「こうですか……」
魔力に熱を加えると、いつの間にか周囲に張り巡らされていた蜘蛛の糸が燃え始めた。
いつの間にか罠が張られていたらしい。罠が焼けたことで黒い蜘蛛が姿を現した。
チェル先生は躊躇なく、鏃型の火炎魔法で焼いていた。私も刃の形の炎の魔法を杖で操作しながら、倒していく。
「倒し方はわかったでしょ? 後は毒に気をつけること。魔境では罠がない場所のほうが少ないことをよく理解して。蜘蛛の巣が張り巡らされているけど、これも罠の一部だと思ってね。それから蜘蛛の種族差があるということは魔法が効かない蜘蛛も出てくると思うから……」
「え!?」
魔法が効かない魔物なんているのか。
「杖を使って対処ね。もしくは環境ごと使って落とし穴に落としたり、追い立てたりするだけでもいいかもしれない」
「わかりました」
返事をしたときには、液体が目の前まで迫っていた。
次の瞬間には目の前が炎で埋め尽くされた。なにがなんだかわからない。
「ほらね。毒蜘蛛に狙われてる。ちゃんと魔力のローブを使っていないと死ぬから頑張って」
「はい!」
チェル先生が守ってくれたのか。どこから狙っているのかもわからない魔物と戦っているんだ。汗で背中が濡れているのに、足を前に出さないといけない状況に私は徐々に気力を削られていった。
魔力の精度も悪くなり、ローブが毒で焼け焦げた。
「どうやって魔力を維持しているんですか?」
わからないことは聞いてみるしかない。
「別に維持している感覚はないよ。回しているだけだから、減らさないようにしているだけかな。ミラジュはパイプと呼んでいるその循環運動は思った以上に強い。んん、まだわからないか。本当になんでもいいから、周囲にある魔力が流れそうなものにどんどん流してごらん」
そうだった。自分の身を守ろうとして、その作業を忘れていた。
「すみません。忘れてました」
「普通は生活の中でやっていくものだから。ミラジュは元々の素養が高いからね。どんどん自分で魔法を勉強していくのに向いていると思ったんだけど……、たぶん、魔境の基礎をもっと大量にやる必要が出てきたんだ。普通の魔法学校じゃ、なかなか教えてくれないことだから、覚えておくといいよ」
「わかりました」
石、小枝、蜘蛛の糸、砂、草花、なんでも魔力を通していく。葉っぱは葉脈に合わせて魔力が流れるし、小枝にはそもそも魔力が流れるパイプがある。石は弾けるか無反応。蜘蛛の糸は糸が切れるまで広がっていく。もしかして、これがネットワークか。
「チェル先生!」
「わかった? 大発生している蜘蛛は、蜘蛛の糸のネットワークを持っているんだ。私たちはそれを逆に使う。糸を切った時に動いた魔力を感知していくんだ」
「魔力感知!?」
「できなくても、方向さえわかれば罠を張ることもできるでしょ?」
「あぁ、リネントラップですか」
「魔境でリネンはないから、普通に地面に描くんだけどね」
チェル先生は地面の塵を払いのけ、枝で魔法陣を描いていた。後は糸を絡め取っていくだけだ。
「毒なんて使うのは弱い魔物だと思うと魔境ではやられる。魔物も植物も毒があるのが普通だからね」
チェル先生はなんでもないことのように言っていたが、特殊な環境すぎて結局対処法は魔力防御をしながら杖でぶん殴るという原始的なものだった。
ビィイン!
急に蜘蛛の糸が震えだした。
「始まったね」
「なにがです?」
「蜘蛛の糸に2種類あったでしょ? 罠に嵌めて獲物を絡め取るものと、遠くの蜘蛛と連絡を取るもの」
「え? ああ、はい」
私は気づいていなかった。
「そのうちの連絡する糸にマキョーが罠を仕掛けた。蜘蛛語の解析が終わったんだ。あと蜘蛛をダンジョンに呼び寄せるだけ」
ガサガサゴソ……。
そこら中から蜘蛛の移動が始まる音が聞こえてきた。足元にいる小さな蜘蛛すら移動している。大小さまざまな種類の蜘蛛という蜘蛛が大きな穴に向かっている。
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫。必要な量は返すと思う。アラクネたちが移動していたら、止めてあげて。野生のアラクネはしばらく見ていないから、Tシャツを着ているかどうかで判断してもいい」
「了解です。いや……」
ちょっと待って。蜘蛛語を解析したってどういうことだろう。糸の微弱な振動が言語だったということだろうか。
「どうかしたか?」
「マキョーさんは魔物の言語がわかるんですか?」
「いや、わからないと思うよ。でも、なんでも見てるからね。今習得したんじゃないかな。あいつは、よく『やったらできた』って言うから」
私は、蜘蛛の言語があるかどうかすらわからないのに、あるかもしれないという可能性だけで、どこまでも追求していく人がいるのか。
「それって戦闘についても、そうなんですか?」
私がそう言うとチェル先生は笑っていた。
「そう思いたいんだけどね。マキョーが言うには戦闘についてほとんど追求したことはないそうだ。暇だから、観察していただけだって言うと思うよ。今回も、ほら、作戦だけは考えていたでしょ? それでもいいんだけど、こういうチャンスはないからクロードに穴掘りは任せて、自分は罠を張り巡らせることにしたんだと思う」
ピチュピチュピチュ……。
小さな鳥が鳴いている。高台に出て東の空を見れば夜明けだ。
白い蜘蛛の糸が蜘蛛の移動によって引きちぎられ、森が元の深い緑へと変わっていく。
黒い穴は蜘蛛を飲み込みながら収束していった。
いつの間にか私の睡魔は限界を迎え、そのままマキョーさんのダンジョンを見ながら、寝落ちした。
次に起きたのは昼前だった。場所は冒険者ギルドの床だ。
「終わった……?」
「ああ、終わったよ」
チェル先生が晴れやかに言っていた。
「カウンターに朝食がある。外でも焼いているから、どんどん食べて。水浴びしたかったら、沼に飛び込むといい」
私はそう言われて、お腹が空いていることに気がついた。カウンターにある肉野菜サンドイッチは人生で一番美味しい食べ物だったかも知れない。それを5つほど食べてもまだお腹が減っていた。
外に出て、グリーンディアのもも肉と香草が焼けたいい匂いがする。それもほとんど私が食べてしまい、他の魔境の住人たちは笑っていた。正直、周りの声が気にならないほど食べたのは人生でも初めてのことだった。
重い腹を揺らして、沼に飛び込み、空を見上げると、「ギョエエエエ!」というインプの鳴き声が聞こえてくる。怪鳥が空を飛び、大きな蜘蛛を持ち去っていた。
私は魔境に来て、レベルが上がったらしい。実感はまだない。




