【籠り生活31日目】
カリューとリパが「大穴」の縁で待機することになった。
「私なら彼らの戸惑いも少しはわかる。時の番人は寝ているのだろう?」
カリューはリュートを気遣った。
「ああ、呪法家の村で寝かせてもらっている」
「なら、いい。昔の者たちが世話になる。私は少しだけ魔境に来るのが早かったからな。彼らに教えてやれることもあるだろう」
「それじゃ、頼むわ。リパもよろしくな」
「ああ、大丈夫です。俺の場合は植物と魔物の管理です。これ、『渡り』の魔物たちは太りますよ」
「だろうな」
大穴にいる「渡り」の魔物たちからすれば、ただただ食料が大量に用意されただけだ。カム実の棘植物に動かない巨大魔獣とどっちを食べても構わない。争う必要もないほど、満腹になるまで食べ、そして眠る。
「大きくなりそうだな」
「ええ。ここの魔物たちにはクリフガルーダの守り神になってもらいたいんですけどね。食べてばかりじゃ強くはなれません」
食べれば当然糞も出る。リパは新しい植物の種を蒔いていた。「大穴」の環境は数日で大きく変わった。魔物が糞便をまき散らして、疫病が流行る前に、いろいろと準備だけはしておこうとしているのだろう。
「がんばってくれ。とりあえず、俺は万年亀に報告してくるよ」
「ああ、私が出る時は海がざわついていた」
俺はカリューたちに「大穴」を任せ、不死者の町へと飛んだ。
チェルやシルビアたちはすでに魔境に戻っていて、もしミッドガードの住人たちが出てくる場合に備えている。時を旅してきたら、人間の身体はどうなっちゃうのかわからない。
ただ、唯一見たフィリップは瘦せ型だったため、他の住人も痩せている可能性が高い。食糧支援はしてあるが、魔境に住むとなればある程度魔物と戦えないといけない。どれくらい人数がいるのか知らないが、移動も大変だ。
シルビアは騎竜隊と共に遠出の準備を始めていた。ヘリーは時空魔法の本をイムラルダと一緒に読み込んで、実験を繰り返している。
チェルとジェニファーは移転先の場所探し。そのまま「大穴」のダンジョンに住むなら構わないが、食糧支援が必要になってくる。そうなるとミッドガードは魔境の植民地と化してしまう。
自分たちで生活していけるようにならないと困るが、魔境では生活そのものが難しい。畑も未だにできていないのだから。
俺はぼんやりと考え事をしながら、魔境の南西にある山脈を越えた。
いつの間にか大きなフクロウや烏は俺が飛んでいても襲ってくる素振りすら見せなくなった。
不死者たちが見上げて手を振りながら俺を迎えてくれた。町はどんどん家ができていて、服を着た骸骨や鬼火が住んでいる。形があるとまるで怖くない。
「本当に、身体があってよかったなぁ」
「骨だけですけどね」
「カリューさんが飛んで行ってしまいましたけど……」
「ああ、巨大魔獣が南部のクリフガルーダに飛んできたんだ。ミッドガードの時の難民もいる。まだダンジョンから出てきちゃいないがな」
「そうですか!」
「随分、長いこと旅していたなぁ」
骸骨たちはミッドガードの住人達と一緒の時代を生きていたのか。不思議な感覚だ。
「封魔一族は海か?」
「ああ、主亀が昨日移動し始めた」
万年亀はユグドラシールから逃げた封魔一族の住む島だ。封魔一族は主亀と呼んでいる。
「じゃ『封骨』かな」
西の空は暗く、町の高台から見る波も高かった。
「いってくるわ」
「お気をつけて」
不死者たちに見送られ、俺は西の海へ飛んだ。濃い霧が立ち込めて、浮遊植物が襲ってくるが、全て弾き飛ばす。波に乗って巨大なエイの魔物も飛んでくる。
ポンッ。
丸めたスライム壁で弾き飛ばせば、勢いよくエイは飛んでいった。
巨大なサメは波から飛び出してきたが、魚の群れに食べられて飛んでいる俺まで辿り着けなかった。
拳に風魔法を付与して風の通り道を作り出す。濃霧の先に青空が見えた。
風に乗って一気に霧の中を突っ切る。暗く重い雲の中にぽっかり青空がのぞいていた。
『封骨』の周りは渦が大量に発生しているが、万年亀たちは気にせずに集まっていた。
数年に一度しか『封骨』に集まらなかったはずの万年亀たちも、巨大魔獣が止まって何かを感じ取ったのか。
俺は『封骨』へ飛んだ。すでに到着している万年亀たちもいるため封魔一族も上陸している。
「こんにちはー!」
「おう! こんにちは! 領主殿!」
封魔一族が挨拶を返してくれる。
「なにか魔境でありましたか?」
「ああ、巨大魔獣が……。ミッドガードを乗せた万年亀がようやく旅を終えたんです」
「なるほど、それでかぁ。主亀たちが突然動き出して皆慌てていたところなんです」
「報告してくるので、俺のダンジョンに何か食べさせてやっておいてくれませんか」
俺は鎧の中からダンジョンを取り出して、樹木のように伸びたサンゴの上に放り投げた。
いつもは透明な大蛇の形をしているダンジョンだが、色とりどりのサンゴを見て表皮の色を変えている。自分の模様として取り込めないか考えているのだろうか。
封魔一族は、ギョッとしながらダンジョンを見ていた。
「大丈夫。襲いやしません。封魔一族の文化を見せてやってください」
各主亀の塔主たちと挨拶をして中心広場のしだれ桜を見てから、『封骨』を上った。しだれ桜は四季を通じて咲いているのか。狂い咲きか。ただ、ところどころ枯れてしまっている。
「上手く咲く花もあれば、咲けない花もあるか……」
俺は『封骨』の甲羅を登り、ダンジョンの入り口に立った。見上げれば、真上の空は明るく、周囲は真っ暗な雲が立ち込めている。台風の目のようだ。遠くで雷が鳴り、霧の中にいた浮遊植物が『封骨』へ向かって飛んできていた。
俺はダンジョンキーを回してダンジョンに入った。
「おおっ! 領主!」
入ったところで7頭の主亀が待ち構えていた。その横には、主亀の半分ほどしかない新しい亀がいる。
「やあ! もしかして君は巨大魔獣かい?」
「そうだ。ようやく時の漂流から解放されたよ。ありがとう。魔境の領主がやったんだろ?」
「俺は時空魔法のポータルを置いただけだ。判断したのはミッドガードの住人たちさ」
「そうか……」
「中には何人くらい住んでいるんだ?」
「さあ。ダンジョンの中のことは感じ取れないから。時の番人たちには嫌な決断をさせてしまった。自分もどうすればいいのかわからなかった。とにかく歩き続けるという意志だけで……」
嫌な決断とは、首を斬ることか。
「歩き続けていたよ。1000年も」
「自分にとっては10年と少しさ。滅びて戦って廃れて森に変わっていく様をずっと見ていたよ」
時を越えてきた者にしかわからない感覚だろう。
「それも頭がなくなると、ほとんど何も感じなくなった。思念体になってようやく考えることもできるようになった」
脳ごとなかったんだからそりゃそうか。
「領主の種族は、原種か。ユグドラシール跡にそれほど長く住んではいなかっただろ?」
「ああ、俺は春の初めに移り住んできたんだ。だから俺にとっては4度目の巨大魔獣の出現でどうにか現代に呼び戻せたんだ」
「優秀だなぁ」
「そうでもない。今でも魔物は大発生するし、植物は襲い掛かってくる。ダンジョンはなかなか上手いこと行かないし、交通の便も悪い。集まってくるのは追放された奴らばっかりだし、畑一つできてないんだ」
自虐的に言った。思念体に向かって取り繕っても仕方がない。
「それは、古代の者たちのせいだ。だいたい1年も経っていないんだろう?」
「そうだな。成果を求めるには早いか?」
「ミッドガードの彼らも判断を早くし過ぎた。結果論ではあるけれどね」
「もし、もう少し獣魔病についての知識が広まっていれば、現代は変わっていたかい?」
「いや、無理だろ。時を漂流し始めた後の戦いは酷かった。戦いに勝った者たちだけが生き残っているわけでもない。呪いが強まった時期もあるし、毒の霧が全土を覆った時もある。砂漠が緑に覆われ、凍り付いた時期もあった」
小さな氷河期があったのか。
「集落を作った者たちもいるだろ?」
「探検隊が数人入っていたことは記録されているけれど、集落は聞いていないな」
「あったのさ。国を追放されてきた者たちなのかな。彼らもいつの間にかいなくなっていた」
「じゃ、俺たちもそのうちいなくなるのかな?」
「いや、主亀たちとここまで関わった領主はいない。きっと縁があるのだよ」
「そうだ。おそらく1000年の年月が領主を選んだのだろう」
他の主亀も俺を見ていた。
「いや、俺は土地を買っただけだ。小さな土地の権利書だと思ったら、大きかったというだけで……。強くならないと生きていけなかっただけだ」
「だから柔軟な発想ができたのだろう。だから時空魔法のポータルなどを作れる。誰かから伝え聞いたのかい?」
「いや、白亜の塔の図書館に行ってサトラの本を発掘してきたんだ」
「よくエルフから許可を得られたね」
「許可は取ってない。そもそも図書館のダンジョンマスターは死んでいたしね」
「では、本当にいろんな偶然が重なったということか?」
「そう。流れにそって動いているだけだよ」
「だとしたら……」
巨大魔獣の思念体は、周りの主亀たちを見た。主亀たちは頷いている。
「たぶん、時の神が何かをやらせようとしている」
「なにかって何?」
「わからない。流れに身を任せてみるとわかるかもしれない」
「じゃあ、そうしてみるかな」
話は終わった。
「とりあえず、おかえり。魔境へようこそ」
「ただいま。楽しみにしているよ」
俺は巨大魔獣の思念体に挨拶をしてから、ダンジョンを出た。本人がいるのだから主亀たちに報告する必要はないだろう。