【籠り生活26日目】
「で、サトラの本は見つかったのか?」
飯を作っているヘリーに聞いてみる。図書館の中は外の明りもないので、昼も夜もわからない。
「いくつか見つけた……。けど、時空魔法の魔法陣はないね」
ヘリーは革表紙の本をいくつか見せてきた。いずれも表紙のどこかに小さな白い魔石が嵌めこまれている。
「この魔石は?」
「たぶん、ジビエディアの魔石さ。表紙が傷ついても修復してくれる」
サトラでは、ちゃんとした本の保存方法があったのか。
「ジビエディアの魔石は小回復だろ? 魔物由来の素材なら修復してくれるんだよ」
「なるほどね。考えられている」
古い字体だが、中身もちゃんと読める。
「ただ、これただの昼下がりの妻がどうしたとかって、官能小説なんじゃないか?」
「やっぱりそうか。これはこれとして、当時の風習を知れるからいいけど、これじゃないな」
魔境にはエンターテイメントが少ないからか、ヘリーは普通に持ち出そうとしていた。荷物にならないならいいけど。
「他には数学の本と、やっぱり建築や素材の本が多いな」
「確かに……」
「こっちには滑車の仕組みが書いてあるよ。小さな力で物を移動させる方法を考えていたみたいだね」
物理に強かったのか。シルビアも「港で使えそうだ」と言いながら、魔石灯の明りを本に近づけていた。
「時空魔法は書かれていないか?」
「ああ、建築の本にも魔法陣は書かれていないんだ」
「港の倉庫跡地には書かれていたのにな」
「やはり鹿の紋章が書かれていないと……」
「サトラの中にも、時空魔法を扱えるのは一握りの一族だったのか?」
「おそらくそうだろう。それだけで利権を牛耳れるんだから。わざわざ人に教える必要はない」
本来、家業の術利を他人に教える必要なんかない。つまり、もしも時空魔法の本があるとしたら、子孫に残すため。冊数は限られている。むしろ巨大魔獣のミッドガードに持っている可能性の方が高い。
「そもそも見つかるのか?」
「可能性は低い。下の階層に行けば行くほど、本が汚れ、壊れている」
ヘリーは背表紙ごと割れてしまっている本を見せてきた。
「ただ、時空魔法の魔法陣を扱える一族が本を壊れる状態にしておくとは思えない」
「つまり下の階層に行けば行くほど、きれいな本を見つければ、それが時空魔法を扱った本である可能性が高くなるってことだな?」
「その通り」
ヘリーは弁当の干し肉に口を付けて、続けた。
「ただ、ここはやはりダンジョンで間違いない。自分がダンジョンマスターだったら、時空魔法の貴重な本をその辺の階層に置いておくか?」
「置かない。自分の部屋の本棚に置いておく……」
「そうか。階層の最深部に行くというよりも、ダンジョンマスターの部屋に続く抜け道を探した方が早いのか」
シルビアも、この図書館のからくりに気が付いた。
「しばらく待っていれば、本の魔物が復活してくるはずだ。どこから補充されるのか。自動だったら楽だけど、ダンジョンマスターが生きていて一冊ずつ復活させていたら戦わないといけなくなるぞ」
「そうか」
「ヘリー、だから私たちに派手に討伐させたの?」
「本当に、君たちは素直でいい子たちだよ」
俺とシルビアはヘリーの腕を極めた。
「痛い、痛い! 腕が千切れるよ!」
「千切れろ! もう一回牢に入れてやるからな!」
「年老いてズルばかりして!」
俺もシルビアも骨が折れるギリギリまで、腱を伸ばしてやった。
「白状したから許してやろう」
「まったくバカ力なんだから。封魔の呪いが薄れそうだよ」
「もう一回やろうか?」
「勘弁してくれ」
ふと暗闇の中で焚火をしている自分たちを俯瞰してしまう。
「いつまでこんなことができるかな」
「なにが?」
「この先、魔境が発展すれば俺もヘリーもシルビアもこういう冒険はしていられなくなるだろ?」
「急に感傷的になるなよ」
「いや、いつか責任に追われて身動きが取れなくなるんじゃないかと思ってさ」
「マキョーでもそんなことを考えるのだな」
「らしくない。好き勝手に動き回るのがマキョーだろう。それともなにか? 魔境が発展したから領主としての務めを果たさないといけないとでも思っているのか?」
「ん~、領主としての役割を何もしていないと思っているからな」
「心配するな。マキョーは開拓者として十分役割を果たしている。領主だから上手く回そうとしなくていい。それは後世の者に任せろ。我々は、その前の基盤作りをしているんだ。少なくとも私が目の黒いうちは開発が終わることはなさそうだよ」
長寿のエルフが生きている間と言うくらいだ。俺はその間にとっくに死んでいるだろう。
「マキョーは知らないだろうけど、私たちは誰がマキョーの妻になるのか賭けをしていた時期があるんだ」
「シルビア、それは正直すぎるんじゃないか」
ヘリーが窘めた。
「いいじゃない。もうそんな賭けはやめたんだから」
「どうしてやめたんだ?」
別に誰かと結婚したいとは思っていなかったが、気にはなる。
「私たちは誰もマキョーの足かせにはなりたくないのだよ」
「強き者は弱き者を助ける責任がある。つまり、権力を持つ貴族には領民の生存に責任が伴う。これはどこの国の貴族でも同じだ。その意味で、マキョーは十分に役割を果たしている。死にかけたことは何度もあるけれどね」
「意外にマキョーは自由にやっているようで、領民の生存に関してはちゃんとやってるんだ。時の難民たちに対しても同じだ。どうにか生きていて欲しいと思っているだろ?」
「思ってるな」
「その上、夫としての役割まで課すというのは、なんだか悪い気がしてね」
「少なくとも、私たちはマキョーがやることの邪魔をしないようにしようと決めたんだ」
いつの間にか女性陣は取り決めをしていたらしい。
「でも、俺がもしかしたら突然シルビアを好きになるかもしれないじゃないか」
「その場合は皆サポートするよ。それも決まっている」
「へぇ~、なんだか気を遣わせてしまって悪いな。こんなんじゃ娼館通いもできないよ」
「そういえば、どうなんだ? 交易村の姐さんたちとは?」
「どうって言われてもなぁ……」
俺が上手くやれているよ、と言う前に、どこかからキーという蝶番が開く音が聞こえてきた。
ガラガラガラガラ……。
小さな車輪の音が鳴り、木製のブックトラックが誰に押されているわけでもないのにひとりでにやってきて本棚の空いたスペースに本が飛び込んでいく。やっぱり、ただの魔物だったのか。
「楽な方だ。あのブックトラックを追おう」
俺たちは気配を殺して、ブックトラックを追跡した。フロアを回り終え、ブックトラックに本がなくなると、元来た道を戻っていく。
壁には本棚があったが、ブックトラックが近づくと、観音扉のように左右に分かれて、暗い通路が見えた。
俺たちは迷わず、ブックトラックに飛び乗る。少なくとも身体をバラバラにはされないはずだ。
魔石灯の明りを点けると、幾何学模様の壁が見えた。
「これ、空間魔法の魔法陣だ。古いまじないにも似ている」
ヘリーには壁の模様が読めるらしい。
「もうすぐ部屋に出るよ」
壁には行き先が書かれているのか。
暗い通路の先に、体育館ほどの大きな部屋があり、幾つもの製本機が並んでいる。製本機の横には魔物の列ができていて、本に挟まれて各フロアに出荷されていくようだ。
「なんだ、この面白いシステムは……」
「魔物が自ら本に封じ込められていくよ」
チンッ。
ドアベルのような音が鳴る。
「見ろ。壁際から魔物が出てくる。やはり実体がないんだ」
ヘリーが指さした方を見ると、オーブンレンジのように開く扉があり、出来立てほやほやの魔物が出てきていた。経験もなくスキルもない。弱いはずだ。
俺たちが載っているブックトラックは、製本機の間をガラガラと音を立てて、奥へと進む。他のブックトラックは製本機の前で停まっているので、違う動きをしている。
「どこに向かってるんだ?」
「魔物を送り出したはずなのに何かが乗っているんだから、やることは一つしかないだろう」
ブックスタンドのスピードが一気に速くなった。
壁には『トラッシュ・廃棄物・ゴミ』と書かれた看板が見える。看板の下には丸い穴が開いている。
「行くか?」
「うん」
俺たちはゴミの通路に飛び込んだ。
長い長い滑り台を下りて、俺たちは白く広い空間に出た。
目の前には大きなダンジョンコアが浮かんでいる。
床は破れたり、背表紙が壊れた本で埋まっていて、本をかき分けないと移動もままならない。
「とりあえず、ダンジョンマスターはいないようだな」
「干からびた魔王がいるよ」
遺伝子学研究所の魔王に似た、山羊頭の魔物が骨の状態で見つかった。椅子に座っているが下半身は本に埋まっている。
「死体さえあれば、話は聞ける」
ヘリーがニヤリと笑っていた。