【交易生活41日目】
夕方、起き上がると、昨夜外にいた全員が、何らかの呪いに罹っていた。瞼が開かなくなったり、声が出なくなったり、耳が聞こえなくなったりしている。
全員の呪いを解くことから始めた。カヒマンは、顎が開かなくなったサッケツを担いでやってきた。
「サッケツさん、昨日の夜、音が止んですぐに外に出ちゃったんです。マキョーさん、治せる?」
「問題ない。ほら」
呪いをサッケツの体から外に弾き飛ばして焼いてやった。
「ありがとうございます!」
サッケツは顎周りの筋肉を揉みながらお礼を言っていた。
「カヒマンは、何か呪われなかったのか?」
「呪われてない。回転で弾いた。マキョーさんは?」
「俺も、呪われてないな。飛んでくるものとか、自分の身体を捻じ曲げようとするものはだいたい無意識で弾いているのかもしれない」
コンッ。
チェルが木のスプーンを投げてきたが、俺の額に当たる直前に弾き返され樹上に飛んでいた。
「本当だ!」
「チェルはやろうとしていることの意識が強いからな。さすがに気付くぞ。ヌシや呪いは思念だろう、わかりやすいよな。皆も出来るようになった方が呪いを受けなくなるかもしれないぞ」
「皮膚の外側で魔力を回転させるか……。そんなことできるか!」
ヘリーはそう言いながらも、練習していた。魔法は使えないけど、意外に魔力を回転させることは出来るらしい。
「結局、昨日はどこら辺まで根菜マンドラゴラは来たんだ?」
「地図を描いておきました。こちらです。ミッドガード跡地を越えましたね。いつ砂漠になだれ込んでもおかしくない状況ですよ」
ジェニファーが地図を見せてきた。簡単な森の地図に半分ほど木炭で黒く塗られている。
「りゅ、竜の魔法がちょっと変わった。火炎旋風と化しているから気をつけてくれ」
シルビアが報告してきた。
「昨日の後半は、ワイバーンが岩の代わりにガーゴイルを運んできていたから、魔物の戦い方が変わっているネ」
「魔物同士の連携もあるのか。魔法はどこからでも飛んでくるし、ヌシは動いてるし、魔境らしいけど、古代の呪いが一番読みにくいな。どこに何があるかわからない。ヌシを飲み込んだ呪いの沼は見たか?」
「ハーピーたちが遠くから、観察してました。ただの底なし沼にしか見えないらしいです」
ジェニファーがダンジョンの民たちをまとめてくれている。
「これはもしかしたら呪いを味方につけた者が次のヌシになるんじゃないですかね?」
リパも呪いについて考えていたらしい。
「それはありうるな。黒ムカデの死体を動かした粘菌の親玉も見つかってないだろ? 見えてないだけで地下はもっと別の戦いがあるのかもしれない。とにかく古代の呪いに気をつけよう。全員報告を怠らないように」
「あ、それから皆、魔境コインを装備に仕込んでおいて。マキョーみたいに自動で弾き返せるわけじゃないから、いざという時のために防御くらいはしておけるようにね」
シルビアが魔境コインを配っていた。報酬ではなく、装備するものとなっている。小さくて包帯で巻いておくだけで防御魔法が出る上に、魔力の消費量も少ない。
「足元の植物の粘着液だけど凍らせると固まる。かかった場合は温めると抜け出せるから覚えておいてくれ。魔力の性質変化は皆使えるよな?」
ヘリーも確認している。ここからは、いろんな対処法も共有していかないといけない。
リパが性質変化を習っていた。
「マキョーは、もっとこうした方がいいというのはなんかないのカ?」
「根菜マンドラゴラがいるから感覚器官の中で聴覚を塞がれているだろ。できるだけ、他の器官を特化させた方がいいと思うんだ。だから意識して触覚、つまり皮膚を使った方がいいような気はしている。風とかもそうだけど、魔物の視線とか魔力の流れとかも意外に感じ取れるから、やってみてくれ」
「意識するだけで違うのか?」
ヘリーは、
「違うと思う。風で魔力が流されるし、ちょっとした揺らぎで気配も探れる。チェルが作った魔力が見える包帯あるだろ? あれの感度をマックスまで上げるんだ。どのくらい自分の皮膚が感じ取れているか見てみるといいんじゃないか」
「や、やってみるか」
シルビアも試していた。
正直なところ初めてのことだらけなので、試して失敗してを繰り返すしかない。その中で自分に合う魔境での生き抜き方を作り上げていけばいい。
「やっていることはずっと変わらないな」
「魔境に振り回されながら、出来ることが増えていくカ?」
「そうだな」
カタンは甘いパンを弁当として渡してくれた。
「疲れた時は甘いものが一番よー。がんばってー」
もしかしたら、長丁場になるかもしれないから、カタンは俺たちのコンディションを見ながら料理を作ってくれているのか。疲労感はまるでない。料理を作ってくれている人と、睡眠をとれる環境づくりはどんな場所でも重要だ。
俺とチェルは東海岸へと飛んだ。
東海岸はすでに暴風域で、冷たい嵐がやってきていた。岩場付近には海獣の魔物が、ジッと潜んでいる。閃光虫を沖の方に投げると、波の中で魔物が泳いでいるのが見えた。
「皮膚の外側で魔力を回転させるって変だけど、寒くはならないネ」
「ああ、自然と外気との隙間ができるからかもな。やり続けると触覚の感度がなくなるからほどほどに」
「ああ、そういうことカ!」
チェルは魔力の使いどころを練習していた。
日頃、魔力を使いながら生活していると、たいていのことはコツを掴んでしまえば出来るが、使うタイミングは本人次第だ。
「難しいのはそれだよな」
魔物や植物は意思や動きがあるからいいけど、呪いはいつの間にか迫っている。気づいたときには、声が出なくなったりしているから怖い。
古代の呪いなんか、タイミングがない。ただ地中に引きずり込むだけだ。
「マキョー、この潮風、なんかヤバい……!」
「え!?」
俺は急いで、魔力を探知する包帯を目に巻いた。
沖から来る風に、煙のような魔力が乗っている。
岩場にいたはずの海獣の群れが、興奮したように雄たけびを上げて、海岸へと迫ってきていた。
精神魔法の一種か、呪いだ。興奮した海獣くらいなら問題はない。
「魔力の煙を吸うな! 興奮して手当たり次第に攻撃するぞ!」
「でも、なんで!?」
「今は呪いの理由は考えるな。月が出るぞ」
雲間から月が見えた。
すでに月は天高く昇っている。
俺たちは耳栓を着けて、マフラーを口元まで巻いた。
ドッ!
音の波が、腹に響く。
根菜マンドラゴラが地中から一斉に飛び出した。
チェルも空高く飛んだ。
俺は魔力の煙を避けながら、海獣たちと共に森へと進む。
海獣たちが立ち止まる崖を上り、大きくなったフィールドボアを踏み台にして樹上まで跳んだ。
周囲を見渡せば、大熊のヌシが飲み込まれた呪いの沼から、大きな何かが出てきているのがわかる。
熱気が立ち上っているのか、晩秋の冷たい風に乗っていた魔力の煙が空へと向かっていく。マフラー越しにも腐敗したような臭いが鼻を突いた。
俺は目の包帯を取り、直にそれを見た。
ヌシだった大熊が沼の中で膨らみ、大きな口を開けて威嚇している。叫んでいるのだろう。振動が枯れ葉を散らしている。
南部の方から地鳴りが響き、腐敗の玉が飛んでいた。大鰐のヌシだろう。呪われた大熊と戦うつもりか。
周囲はおそらく混乱しているだろう。ただ、根菜マンドラゴラのうねりは止まらず、海から来た海獣たちも崖を上り始めている。
北部からの竜が起こした火炎旋風が、木々を炭に変えて空へと巻き上げていた。アイスウィーズル達が氷で固めた森も焼かれていく。
根菜マンドラゴラの行方はジェニファーとリパが追っているのが見えた。頭上を飛ぶワイバーンが大きな岩を落としていた。
俺は岩を弾き返して、大きくなったワイバーンを打ち落とす。
うぅうう……。
再び何度目かの腹に響く音がしたかと思うと、呪われた大熊が前足を振り上げていた。
鋭い爪が足元で蠢く根菜マンドラゴラを粉砕し、地面がえぐれている。近くで発生していた竜の火炎旋風も霧散した。
大鰐のヌシが、呪われた大熊を射程範囲に入れた。背後には鰐の群れが並んでいる。同胞を従えてきたらしい。
直後、腐敗の魔法が一斉に放たれる。
呪われた大熊はすべて魔法を受けきり、分厚い毛皮の下にある筋肉を盛り上がらせていた。
チェルの放つ炎の槍も、水球も取り込まれている。
「魔法の変換って、そんなことできるのか……」
自分に当たる魔法を書き換えて、魔力を吸収し自分の筋力を上げている。
でも、そんなことをすれば、筋肉が保てなくなるのではないか。
呪われた大熊は振り上げた前足の爪で、崖を切り裂いていた。固いはずの地中の岩まで、分断されている。
分断された割れ目から黒ムカデがわらわらと湧いて出てきて、大熊に飛びついた。
ただ飛びついた黒ムカデの身体は弾け飛んでいる。これでは死体を操ることもできない。
触れてはいけない呪いというのがある。
呪われた大熊は西へと向かっていた。いずれ俺たちのホームや遺伝子学研究所のダンジョンを通るだろう。
遠くから見守るか、積極的に崩壊を促すしか、今のところ対処法はない。
せめて足止めができれば。
ガクンッ。
呪われた大熊の身体が大きく傾いた。脚が凍っている。呪われた大熊の熱気に勝てるとすれば大蛇のヌシくらいだろう。
パッと閃光が周囲に広がる。ヘリーとシルビアの仕業だ。
大蛇のヌシが直接、呪われた大熊のヌシの脚に絡みついていた。
「この間に誰か仕留めろってことか……」
飛んでくる腐敗の玉を弾き返しながら、俺は混乱の中に飛び込んだ。
粘着液を出している植物を魔力で覆い、回転させながら呪われた大熊に投げつけていく。魔法は取りこめても、粘着液までは取り込めていない。
あとはただ、これを繰り返していくだけだ。魔境には粘着液を出す植物は大量にいるし、ミツアリの蜜だってある。
粘着液が大熊から噴き出る熱を覆っていく。徐々に熱が内側に溜まっていくと、肉が爛れ始める。
ズルリ。
呪われた大熊の上腕から焼けた肉が零れ落ちた。
爪の先から、魔力が放たれ、木々や地面が切り裂かれているが、前足が振られなければ予測はできる。
一歩、西へ向かおうとする大熊の身体から、再び腹の肉が零れ落ちた。内臓は焼かれ、腐り、黒い血が泥水のように地面に広がっていく。
一歩ずつ肉が剥がれ、零れ落ちていき、骨だけになると胸にあった大きな魔石も地面に落下してしまった。
魔力を取り込み過ぎた身体の末路だった。
呪われた大熊が骨になる前に、ヌシたちは姿を消していた。
海から押し寄せてきた海獣たちは、根菜マンドラゴラを腹に収めて丸くなっていた。
川で流され、海に帰っていくだろう。魔法の煙で興奮させていた大型の魔物はこれを狙っているのかもしれない。
俺たちは根菜マンドラゴラを追いかけ、砂漠へ向かう流れを見守った。
ヌシたちの戦いを他所に、根菜マンドラゴラの大発生は、砂漠の一歩手前まで移動をしている。
雲が消え、朝日が昇る。
「見たか!?」
「すごい臭いだった!」
ヘリーもシルビアも興奮を隠しきれないでいる。
自分の攻撃が全く通用しなかったチェルは落ち込みながら、空から下りてきた。
「魔法を分解して、魔力を再利用するなんてある!? しかもあの速度で……」
「あの大熊は何でも切り分けちまったんだろうな」
ジェニファーとリパも黒く変色した肌や、白く巻き毛になった髪を確認しながら近づいてきた。いつの間にかまた呪いを踏んだのだろう。
「本日もお疲れさまでした」
「今日みたいな日が、魔境初日だったら、絶対に住めないですね」
とりあえず、全員の呪いを解いてから、ホームの洞窟へと戻った。
水を浴びて汚れを落とした後食べた弁当の甘いパンが、身体に染みた。