【交易生活40日目】
「今日は甘辛くしてみたわ」
カタンは固い熊肉を柔らかく煮込んで、野草とパンで包んだ弁当を持たせてくれた。
ここのところ昼に寝て夕方起き出すという夜型の生活を送っている。シルビアとヘリーは慣れているらしいが、ジェニファーとリパは未だ慣れずに眠そうだ。
「このスイミン花の薬を使うといい。かなり薄くしてあるから、睡眠導入剤にはちょうどいいはずだ」
シルビアとヘリーは、睡眠薬をちゃんと使っているらしい。
「自分たちも貰っていいですか?」
サバイバル演習をしていた訓練兵は、今、遺伝子学研究所のダンジョンに仮住まいをしている。昼の間は、カタンの作業を手伝って、魔物の解体作業を率先してやってくれた。
魔物を解体すると可動域がわかるという教えを守っている。
「いいよ」
「ありがとうございます」
魔物の解体現場を見に行くと、皮も部位もかなりきれいに分けられていた。下処理はカタンとカヒマンがやって、血抜きも完璧。訓練兵たちが使っているナイフには強化魔法の魔法陣が施されているので、何度も研ぐ必要がないという。
「魔力を吸い取られてしまって、魔力切れを起こす者たちはいます」
魔力切れを起こしている訓練兵たちは根菜マンドラゴラの煮物を美味そうに食べていた。身体に足りないものが染みているのか。
「魔境では、魔力切れを起こすから根菜マンドラゴラは保存食にできるといいんだけどな」
「今、漬物にしているよ」
カタンが崖の方を指さした。
根菜マンドラゴラを切った身体が、洞窟周りの崖に干されている。飽食の時期なので、わざわざ崖を上ろうとする魔物はいない。
マンドラゴラの漬物として、弁当にも入っているらしいので、後で頂くことにした。
今日は海からの風も気にして、北東部へと向かう。ついでに訓練兵たちをダンジョンに送り届ける。ダンジョンからハーピーたちが出てきて、昼の間にヌシが移動を開始したと報告してきた。
「3日目にして参戦してくるか」
山から吹き下ろす風と、海からの風が吹くと、森に埋まっている根菜マンドラゴラが広範囲にわたって発生することが予想できた。
「今日が大発生のピークかナ?」
「そうであってほしいよ」
潮の香りが強くなる。海岸線から沖を見ると、海面から跳び上がったサメの魔物に海鳥が食べられていた。海獣を追って浜の近くまで来るサメまでいる。
近海の魔物たちにも影響があるのかもしれない。
ワイバーンやデスコンドルも森の樹上を飛び始めた。風に乗って発生地を探っているのだろう。
「空も海も魔物だらけだな。地下も注意しておくか」
直後、ジェニファーが、地下へと続く洞窟に防御魔法を重ねがけをしておいたと報告してきた。皆、いつの間にか不確定要素は起こらないうちに潰しておくという魔境仕様の思考に変わっている。
大きな波はチェルが凍らせていた。魔物に壊されても温度を低下させて動きを遅らせるという。
「意外に皆、考えて動いてるんだな」
『風が来る』
ヘリーから音光機で連絡が来た。北部で山脈からの風が吹いてきて、周辺の根菜マンドラゴラが震え始めている頃だ。
俺がいる北東部も沖から風が吹いてきている。森の木々も草も風に揺れていた。
暗いので、目に魔道具の包帯を巻くと、風に乗ってワイバーンが岩石地帯から飛んできているのが見えた。
ジビエディアやフィールドボアが藪の中から起き上がっている。数日の間にどの個体も身体が膨らんでいた。
実は俺たちも体に魔力が漲っていることに気づいている。根菜マンドラゴラの料理を食べているからだ。
無性に牛乳や小魚の骨が食べたいと思っていたら、弁当の中身は魚の丸揚げサンドだった。甘辛いソースがかかっている。
口に入れて噛むと、サクサクと音を立てて魚の骨が砕けていく。美味いし、ソースがぴったり合う。根菜マンドラゴラを細切りにして油で揚げたものも入っている。
「カタンはよくわかってるネ」
チェルがいつの間にか、俺が熾した焚火まで来ていた。
「美味いよな」
「うん、カルシウムが欲しいと思ってたんだヨ」
「骨を作る栄養か」
「そう。最近、骨から魔力がはみ出している感覚ないカ?」
「別に俺はないぞ。チェルは?」
俺がそう言うと、右手のすべての指から光の玉を出していた。詠唱も何もないただ周囲を照らすだけの光魔法だ。
「常に魔法を使ってないと、魔力過多になりそうでネ」
「また魔人化するか?」
「しないと思うんだけど、魔人化したら頼むヨ」
「まぁ、魔人になったらしばらく放っておくのもアリだけどな」
「嫌だヨ。あれ気持ち悪いし、寝れなくなるから」
「そういうもんか」
「なんか魔物も成長してさ、自分も成長している実感が持てるから面白いんだけど、魔力を取り込み過ぎた姿を知っているからちょっと立ち止まっちゃうんだよネ」
フィッシュサンドを口に詰め込んで、チェルは笑っていた。
「あ、これ、成長しているって言うのか」
「え? 違うのカ?」
「多少魔力量が上がってる時期なだけで、別に成長しているわけではないんじゃないか」
「いや、成長だろう。出来なかったことができるようになっているんだからネ」
俺とチェルの間で意識の差異がある。もしかしたら魔物も自分たちが成長していると思っているとしたら、イメージしたことを試し始めるんじゃないか。つまり魔法を使い始める可能性がある。
ヌシは体の中で魔力が渦巻いている。もしかして新しい魔法で種族を率いることができれば、ヌシになれるんじゃないか。
「チェル、この数日間でどれくらい魔法を試している?」
「思いついたのは片っ端から試しているけど、どうも学んだことが頭から抜けなくて、ありきたりな魔法ばかり試しているよ。ところで、なんで魔法を試してるってわかったの?」
「自分が成長している実感があるんだろう? だとしたら、魔物も気持ちは同じだ。魔物だって新しい魔法を使い始めるぞ。見ろよ。魔境は俺たち人間よりも魔物の数の方が多いんだ。直接にしろ間接にしろ、皆、根菜マンドラゴラを食ってる」
俺は持っていた魔道具の包帯を渡した。
「皆、魔物の魔法に気をつけろ。新しい魔法を試してくるかもしれない。それから、ダンジョン同士の抗争や根菜マンドラゴラに囚われていたが、ヌシの抗争が先かもしれないから注意するように」
音光機で皆に連絡した。
『了解』
ヘリーからの返事しかなかったが、数秒後に地面には光る文字で溢れることになる。
『こちら中央。アイスウィーズルたちが抗争を始めてます。寒いので気をつけてください』
リパから連絡があった。
『こちら西。竜が起きた。空からの火炎放射に注意してくれ』
シルビアからだ。
『こちら南東、遺伝子学研究所ダンジョン付近。地面が盛り上がりながら移動しています。おそらく地下にいた蛇が動き出しているのだと思います。あ! 違う! 棘です! 地面から固い岩の棘が突き出してます! 理由は不明です!』
ジェニファーからも報告があった。
「空も地下も騒がしいネ」
「これこそ魔境か……。おい、チェル、笑ってるぞ」
「マキョーこそ」
なぜか危機的状況なのに、俺もチェルも笑っていた。
笑いながら俺たちは耳栓を嵌めた。
ビョウッ!
沖から突風が吹いて、東海岸の木々が倒れそうになっている。
いつの間にか、月は中天を通っていた。
直後、地面が爆発したように土煙が舞う。
ボフッ!
根菜マンドラゴラが発生し、北部で見た根菜マンドラゴラと同じように走り出した。
俺は森の中を、チェルは空から追いかける。
地面が盛り上がったかと思うと、無数の岩が地面からつきあがってくる。フィールドボアの亜種が魔法を使ったのだろう。ふんだんに蓄えた魔力を使っている。
横からジビエディアの群れが突っ込んでくる途中で、粘着液が降ってきて足を止められていた。植物も戦術を変えたらしい。
固い種子も飛んでくる。回転する魔力で弾き返しているが、習得していないと気配もないのでヤバかったかもしれない。
静かにたたずむガーディアンスパイダーが擬態する岩に飛び乗り、周囲を見回すと、遠くで氷の竜巻が起こっているのが見えた。
フィールドボアの中には体をとにかく巨体にした個体が出てきて、大鰐のヌシに止められている。
森の中央付近まで来ると木がバラバラに倒されていた。
魔石灯を点けたジェニファーが駆け寄ってきて、大きなワイルドベアがやったとジェスチャーで教えてくれた。音光機が壊れてしまったのか。
「ジェニファーの音光機が壊れたらしい。ヘリー、スペアはあるか?」
音光機で連絡を取っていたら、ジェニファーに腕を掴まれた。
「え? 違うのか?」
ジェニファーはしきりに自分の喉を見せてきた。触診をしてみると、魔力の渦のようなものが喉にへばりついている。
「魔物の呪いか?」
ジェニファーは大きく頷いた。
「大きく息を吸って……」
言われた通りにジェニファーは思い切り肺に空気を溜めた。
俺はジェニファーの身体に魔力を送り込み、魔力の渦を吐き出させ、スライムの口を模した魔力で喰らった。あとは火を纏わせて捨てるだけだ。
「声は出るか?」
『カハッ、出ます』
二人とも耳栓をしているため、音光機越しに声が出ていることを確認する。
「なんの呪いだ?」
『わかりませんが、足から伝わってきました。魔物か植物かわかりませんが、踏むと呪われます』
「厄介だな。皆、地面にも気をつけてくれ」
『『『了解』』』
ズドッ。
空から岩が落ちてきて、目の前の地面に突き刺さった。見上げればワイルドベアがワイバーンに掴みかかり、首を噛みちぎって墜落してくるところだった。
ジェニファーは地面にスライム壁を展開し、跳びのって大きく前方に飛び出した。俺も使わせてもらう。
跳びながら振り返ると、墜落してくるワイルドベアとワイバーンは、凍らされて竜巻に巻き上げられていた。今自分がいた場所が凍っている。周囲は魔物の気配だらけなので、どこから攻撃が飛んでくるかわからない。
北の空は明るく見えるが、竜が森にいる魔物を焼いているのだろう。
川岸に移動すると、焼かれたり潰されたりしている根菜マンドラゴラの死体だらけだった。
森は燃え広がったかと思うと、一瞬で凍らされたりもしている。
『こちらシルビア。西側には行くな! 霧が発生しているがヤシの樹液が混ざったように粘着性が高い!』
西側にはホームがある。
「カタンは!?」
『ダンジョンに避難済みです』
リパから連絡があった。
『ホーム近くの川で鉄砲水が発生! 大魚の群れが南下してるヨー!』
空から見ていたチェルから連絡があった。
その直後、地面が揺れた。
跳び上がって見回すと、近くで大熊のヌシが大蛇のヌシに巻き付かれているのが見えた。
閃光虫が空に打ちあがり、周囲を照らしている。ヘリーが放り投げたのだろう。
ヌシ同士の争いから、魔物たちが逃げ出した。
大蛇のヌシが周囲を凍らせて、森を樹氷に変えている。
「ちょっと移動してもらおうか」
俺はこぶしを握り締めて風魔法を付与し、思いきり回転させた。
パッ……。
空気を押しているような感触があった。そのまま、思い切り東に向けて拳を振りぬく。
ヌシたちの巨体が浮き上がり、少しだけ東にズレた。暴風が吹き荒れるなか、ヌシたちは必死で地面にしがみついている。
東海岸付近に突き立っていた岩が、すっ飛んでいった。
これで争いを止め、離れてくれればいい。
そう思って近づいていると、大蛇のヌシが地面を凍らせながら北方へ逃げ出していった。
大熊のヌシは、口を大きく開けながら地面の中に引きずり込まれている。
そこで俺はようやく気付いた。
ヌシたちが移動した先には、先日俺が通り道を作った淀みが溜まりそうな社跡があった場所だ。
固い地面だったはずだが、今は黒いぬるぬるとした液体で満たされた沼と化している。
大熊のヌシはその底が見えない沼に引きずり込まれてしまった。
通ってはいけない呪われた場所だったのか。
根菜マンドラゴラの大発生で、過去の遺物が掘り起こされてしまっているらしい。
いつの間にか東の空に日が出ていて、周囲から根菜マンドラゴラが消えた。叫び声が消えたので耳栓を外す。
とぷんっ。
大熊のヌシが完全に沼の中に消えた。
霧が終わるまでホームではなく、ダンジョンへと向かう。
日の光が差し込み、凍った森の木々の葉からぽたぽたと雫が落ちている。空にも森の中にも動いている魔物の姿が見えなかった。鳥の鳴き声も魔物の足音も聞こえない。
多少、地形が変わってしまっているが、静かな朝を迎えていた。
俺とジェニファーは、見たものを反芻するように思い出しながらダンジョンへと辿り着いた。
俺はダンジョン近くの岩に背を預けて、そのまま座った。予想はしていたのに、なんだかわけのわからぬまま魔境に振り回された気分だ。
「やられたナ」
チェルは笑って俺に水袋を渡してきた。
「ああ、やられた」
なぜか俺もチェルも笑っている。笑っていないと現実を受け止めきれないのかもしれない。
「これは、魔物と植物による魔法大戦だ」
ダンジョンの前に流れる川で汚れを落としているヘリーのつぶやきが耳に残った。




