Doomsday clock 三〇時間
「個人的にこの世界は結構好きなんだよ」
氷柱に腰掛けながらルイス・キャロルは呟く。
「寂しくて、熱くて、気持ち悪くて、綺麗で、此処まで色んなものが雑じり合ってるのは僕の世界位じゃないかな?」
眼下には氷の大地、花畑、血の海など様々な光景が広がり、それらは徐々に腐り、新たな新たな光景へと変わる。
「展開しといて何だけど――――探すの面倒臭いなぁ」
大きな溜息を吐き、ルイス・キャロルは小さくぼやいた。
「何なんだよあいつ―――っ!」
氷柱の影に隠れて荒い息を吐く浩太。彼の横には脚を負傷し、気絶しているティミデスと胸を貫かれたルーがいた。
「ルイス・キャロル。……いかれた男だよ」
ルーの身体がビクリと痙攣し、吐血する。
「馬鹿野郎!無理すんなよ!!」
「敵に、そんな気を使うなんて……甘いよ。―――ッ!…あいつにはそんなことしちゃいけないよ」
ルーは弱々しくその細い腕を動かし、浩太の額に指を向ける。
「僕の神器…使いなよ。少なくとも、君の聖剣よりも…大分強力だから…。それと、奴を倒したら、門の中に入るんだ。それが…君達が助かる鍵になるかもしれない」
地面に大きな血溜りを作りながらもルーは喋る事を止めない。浩太は、ただ黙ってそれを聞くことしかできなかった。
「彼女の脚……ごめんね」
そう言うとルーは自らの手に魔力を集中させる。その手はティミデスの脚に向けられた。すると、ティミデスの脚の怪我は徐々に塞がって行く。
「……構えて」
唐突に口を開き、ルーは氷柱の向こう側へと視線を向ける。
「来るよ」
その言葉と同時であった。浩太の傍の氷柱が破壊される。氷の残骸を撒き散らしながら、ルイス・キャロルが現れる。
「みっけー」
「我が騎士よ(フラガラッハ)」
目の前で茫然としている浩太に襲い掛かるルイス・キャロルの剛腕を、飛来したルーの魔剣が弾く。しかし、攻撃は外れようとも、その余波は三人を襲い三人はその場から吹き飛ばされる。
「脚、治しといたから後はよろしく」
ルーは空中で器用にティミデスを捕まえると浩太へと放る。
「お、おい!」
「さようなら、死にぞこない」
背筋に寒気が走る。その元凶である主は、ルーの背後で左腕を振り下ろす所であった。
「ばいばーい」
轟音と衝撃波が二人を襲う。その中心にいる二人の姿は煙に包まれ見ることができない。
「次はそっちの二人だ」
煙を払い、悪魔が笑う。
「神罰!」
主の言葉に応え、煙を裂いて現れた聖剣は眼前に迫る悪鬼を貫かんと飛翔する。しかし、
「邪魔だよ」
それは呆気なく弾かれ、その軌道を変えられる。丸裸となった浩太はティミデスを抱き締めその身を丸める。
「さようなら」
繰り出される一手は容赦なく二人に迫る。迫る拳を前にして浩太は――――静かに笑った。
「――――ぁ?」
「審判」
静かに、されど力強く、ルーが残して行った魔剣は悪鬼の身を貫き、次いで放たれた閃光がその身を焼く。閃光は悪鬼を逃さず、浩太はその隙に離脱していく。
やがて閃光が消え、悪鬼の肌は焼け焦げ、魔剣はその胸を貫いていた。
「いったぁ…」
震える声で呟きながらルイス・キャロルは魔剣を抜き、放り捨てる。
「絶対許さない…。全員、気が済むまで痛めつけてから殺してやる」
ルイス・キャロルの身体が膨れ上がる。腕はその服を破り大木の様な太さに、いや、腕だけではない。全身が膨れ上がり、その肌には鱗が生え、裂けた口には巨大な牙が生える。
それは竜であった。全身を黒い鱗が覆い、紅い瞳はまるで地獄の火の様に紅い。
「殺してやる」
竜が吠える。それだけで周囲の氷柱は砕け散っていく。轟音は空気を振るわせ、浩太達の耳にまで届いて来る。
「浩太!」
ティミデスを抱えながら走っていた浩太の耳に、アリアの声が届く。振り返れば、sこには結界を張って周囲を警戒している三人の姿があった。浩太は二人を見つけると、急いでその場へと走る。
「良かった、三人とも無事だったんですね!」
「ええ、そっちは―――」
「あの子が、俺達を逃がす代わりに……」
「……そう」
その言葉から察した三人はそれ以上は言わず黙って二人を結界の中に入れる。
「さっきの音は?」
「あの男だと思う」
ミーナの言葉に浩太は答える。
「グローリア、貴女は奴に関して何か知っている事は?」
「…私もマスターから聞いたことしか知らないけど。ルイス・キャロルは『暴竜』と呼ばれていて、クラウンでは敵を力だけなら三番目って言われてる。後はあれの正体は竜ってこと位しか」
「竜…か」
生物としても最上位に入っている程の力を持っている魔物だ。そう易々と勝てる相手ではないのは一目見ただけでも理解できる。
「犠牲は覚悟しなくてはいけないか…」
呟くアリアに、全員が覚悟を決める。
「ルーが言っていました。あいつを倒して門の中に入ることが俺達が助かる鍵になるかもしれないって」
「鍵?」
問い掛けるアリアに、浩太は首を横に振る。
「…そうか。何にしても、ティミデスを起こしこちらも態勢を立て直さなくては」
「その必要はありません。お嬢様」
声をした方を振り返れば、そこには立ち上がり完全に脚の傷が癒えたティミデスの姿があった。
「皆様、ご迷惑をお掛けし申し訳ありません」
「傷はもう大丈夫?」
「はい、問題ありません」
その言葉に頷き、アリアは全員の顔を見渡す。
「では作戦を立てるぞ。だがその前に、全員無茶はするな。仲間を頼れ」
その言葉に全員が頷いた。
「見つけた」
視界を防ぐ氷柱を破壊し、ルイス・キャロルは浩太達を見つける。
「こい、我が騎士よ(フラガラッハ)、神罰、審判」
その言葉に応じ三つの神器が姿を現す。
「そんなゴミみたいな神器で僕を倒す気かい?」
嘲笑するルイス・キャロルに浩太は槍の矛先を向ける。
「倒してやるさ。お前をブッ倒して、この世界から出てやる!」
槍の矛先から閃光が放たれる。しかし、直進しか出来ないそれを躱すことはルイス・キャロルにとって造作もない事だ。その閃光を躱した暴竜の目の前には、主の意思に従い飛翔して来る聖剣と魔剣があった。
「無駄だよ」
「それは、やってみないと分からないよっ!」
その鱗で弾こうとするルイス・キャロルの頭上から聞える声。瞬間、ルイス・キャロルの頭部を衝撃が襲う。頭上から放たれたグローリアの一撃はルイス・キャロルを怯ませる。その隙を突き、飛翔する二つの剣がその身体を突き刺さんとする。
「やらなくても分かるさ。君達とは住む世界が違う」
しかし、二つの剣は暴竜が持つ二枚の羽から巻き起こる突風と咆哮によって弾き飛ばされる。
「蝿は蝿らしく!叩き潰されろぉ!」
膨れ上がる魔力はブレスとなって放出される。あらゆる物を塗り潰すかの様な漆黒の閃光は周囲一帯を破壊していく。
「浩太!」
グローリアは直ぐ様浩太の前に移動し、前方に結界を張る。全力で張られた結界に漆黒の閃光がぶつかる。刹那の均衡の後結界は閃光に呑まれて行く。破壊し尽くされた三条を眺めながら、ルイス・キャロルは小さく舌打ちをする。
「逃げ足の速い…流石は蝿だ」
呟くと同時に、全方位から刃が襲い掛かる。それらを一蹴し再び浩太達へと狙いを定めるルイス・キャロルを水の鞭が襲う。
「偽・神罰!」
鞭に気を取られた瞬間を狙い飛んでくる閃光。それを躱し、鞭を吹き飛ばし、ルイス・キャロルは全身に魔力を集中させる。
「吹き飛べぇ!」
全方位に向けて放たれた閃光は周囲一帯を焦土へ変える。身を隠す物が悉く消え、隠れていたアリア達の姿が露になる。
「神罰!」
放たれた閃光がルイス・キャロルを飲み込むが、その姿には焦げ一つ付いていない。
「いい加減理解したらどうかなぁ。君たちじゃ、僕には勝てないんだよォ!!」
再び膨れ上がる魔力。この距離ではグローリアの結界でも庇う事は出来ないだろう。逃れようと全身が駆けだす瞬間。闇が全員の視界を塗りつぶした。
◆
まるで大砲でも撃ち込まれたかのように土砂が舞い上がる。火柱が昇ったかと思えば次の瞬間には氷柱が出来上がる。周囲に群がっていた蝿達は巻き込まれるのを嫌ったのか既にその姿を消し、その場には白銀の毛を持つ狼と燃え上がる豹、そして死体の様な肌を持った馬に跨った男だけがいた。
白銀の狼、ハクが一声鳴くと共に周囲一帯から氷の刃が出現する。それを豹は炎で溶かし、男は瞬間移動をして回避する。しかし、氷の刃はそれだけでは納まらず枝分かれするかのように自身から新たな氷を生みだして牢獄を創り出す。
豹は炎を放ち牢を溶かそうとするが、氷の牢獄は一向に溶ける気配を見せない。それを見た豹は自らのプライドを傷付かれたのか、低く唸り先程よりも強力な炎をハクへと向けて解き放つ。馬に跨った男もまたハクの背後に一瞬で移動し槍を突き刺さんとする。
『ッ!?』
しかし、槍は一向にハクに突き刺さらない。見れば動揺する男の腕が肩ほどまで凍てついていた。
その隙を逃さず、ハクは男の腹部に氷柱を突き刺す。男は呻く様にその身体を揺らすが、次の判断は瞬時であった。男は自らが持つ蛇の尾を動かしハクの首に牙を立てる。しかし、その蛇を一瞬で凍らせるとハクは迫り来る炎の波に向けて馬ごと男を氷柱で吹き飛ばす。炎は男を呑みこみ瞬く間に燃え上がらせる。炎が消えた時、そこに男の姿はなかった。
牢獄から内側へと徐々にその数を増やして行く氷の荊は豹の移動範囲を狭めていく。豹は最大出力で炎を解き放ち氷の荊諸共牢獄の中を炎の海へと変えていく。氷を炎が溶かし、その炎を凍てつかせていく。一進一退の攻防は終わる所を見せない。
そんな攻防を断ち切り、ハクが前へと出る。自ら氷の鎧を纏い炎の嵐の中を疾駆する。通り過ぎた場所が一瞬にして極寒の大地へと変わって行く。それを見た豹もまた自ら炎を纏ってハクへと疾走した。
両者がぶつかる度に衝撃が走り、周囲が凍りつき、燃えて行く。傷だらけになった豹は今迄以上の炎を纏うとハクへと突進する。対してハクはそれを迎え撃つように何重もの氷の壁を創り出す。
氷の壁を砕き、ハクへと迫る豹。最後の氷壁が砕かれた瞬間、ハクは前へ疾走する。
「ハアァッ!!」
ぶつかる瞬間、ハクは人間の姿へ戻ると自らの右手に氷の剣を作り前へと突き刺す。それは突進して来る豹の眉間を貫く。しかし、豹は止まらない。眉間を貫かれて尚、止まらずに、逆に力を増す。身体に纏っていた炎がハクの身体に絡みつき、その身体を燃やして行く。
「氷獄!」
大地から巨大な氷の槍が突き出る。それは豹の腹部を貫き動きを止める。氷は直ぐ様豹を覆いその身を凍らせていく。やがて、燃え上がっていた炎さえも凍りつき、豹は氷の彫刻へと姿を変え、粉々に砕けていった。
「…はぁ…はぁ」
大きく肩を揺らし、息を整える。
「急がないと」
急いでゼクスと合流しなくては。
ハクは身体の傷を癒すと、急いでゼクスの元へと走って行った。
◆
「ふっ!」
襲い来る炎を霧散させゼクスはアモンへと走る。魔力によって実体を得ているアモンにとっては一撃が致命傷足りえる。アモンの炎によって蝿達が焼き払われたことによって出来た隙間を潜り抜け前へ進む。前へ進む程炎の波はその厚さを増し行く手を阻む。身を焦がす炎に耐えながらもゼクスは炎の波を切り裂いて行く。眼前に迫るゼクスに対しアモンはその身を退く。アモンが退いたことによって今迄下がっていた蝿達が前へと出る。それによって蝿達との消耗戦が始まる。
何度消そうとも蝿達の数は減る様子を見せず、ゼクスは肉体的にも精神的にも次第に老いこまれていく。蝿達の群れに穴を開けようともそれは瞬時に塞がれてしまう。だが広範囲の蝿を消そうものならその隙を突かれてアモンの炎に焼かれるだけだろう。
徐々に狭まる蝿の包囲網。僅かに逡巡し、ゼクスはその一角を切り崩すと蝿の群れへと飛び込む。自らの懐に入った獲物を逃す筈もなく、蝿達は我先にとゼクスに群がろうとする。
「消えろ!」
しかし、ゼクスに群がろうとしていた蝿達は閃光に呑まれ消滅する。広範囲の消滅によって出来た隙。それはアモンがゼクスを焼き殺すのには十分な隙であった。ゼクスの魔法が発動するまでのインターバルを狙って放たれた炎は一瞬でゼクスを焼き尽くす―――筈であった。
『ぬッ―――!!』
ゼクスに迫っていた炎が凍りつく。いや、炎だけでなく周辺にいた蝿達も凍りついていた。アモンはそれを視認すると共に素早く後退する。次の瞬間、地面から巨大な氷槍が突き出た。
「助かった」
「どういたしまして」
凍りついた炎と蝿を砕いて現れたハクはゼクスにそう答えアモンを睨む。
『小娘如きにやられたのか……?』
アモンは信じられないとその身を揺らす。
「貴女も直ぐに、あいつらと同じ場所に送ってあげる」
『ほざけ小娘ッ!』
周囲にいる蝿達を凍らせ跳躍する。目の前に居る蝿をゼクスが、周囲から襲い掛かって来る蝿をハクが凍らして行く。
『我が炎で塵も残らず燃えていけ!!』
迫って来る二人を前に、アモンは二人の上空へ跳び炎を浴びせる。その炎をゼクスが打ち消す。しかし、打ち消した炎に隠れ後続から無数の火球が迫っていた。
「ゼクス!」
「ああ!」
二人はその立ち位置を交換する。周囲から群がって来る蝿をゼクスが消し、襲い掛かる火球をハクが凍らせる。
『無駄なことよ!!』
それに対抗するようにアモンが更に強力な炎を吹き出そうとした時だった。
『やれ、バアル』
『お呼びとあらば』
上空から聞えた声と同時に視界が暗くなる。
『ソロモン―――ッ!』
目の前の光景を疑うかのように、吠え叫ぶアモン。しかし、彼の姿は次の瞬間には消えていく。消えていったアモンの上空、そこには巨大な魔方陣が出現していた。
次の瞬間、視界の全てが闇に閉ざされた。