第12話
見張りと見回りを繰り返すと夜明けを迎えていた。トラブルのない夜は、いつもこうして更けて、そして明けていくのだ。
「よし、ランニングに行くぞ」
「え゛!? 今から!?」
「当たり前だ。魔法隊といえど国軍だぞ。基礎体力を養うのは義務であり、必須だ。24時間勤務だと言われただろう」
「……わかりました」
ローブとジャケットを置いて、再び寮室を出る。
頭の中で計算する。ランニング1時間弱、筋力トレーニング、魔法訓練ののち、シャワーを済ませて隊服の洗濯、それから朝食をとれば休憩時間にぴったりになるだろう。
施設内はさすがに体を鍛えるのが本分の職種であるからか、ランニングコースが設けられている。壁に沿って続くコースには砂利道だったり、坂があったりして、一周するとぴったり10キロメートルの距離で、なかなかいいトレーニングになる。モリトールは一周45分、15分をクールダウンで歩くのが日課だった。
走り始めながら、ふと思う。
訓練所がないとすると、どこで筋力トレーニングをし、魔法訓練を実施すればいいのだろうか。筋力トレーニングは外でもいいとして、魔法はどうするか。
ああ、もう。この女が余計なことをするから。
と、隣を走っていたはずのファレロがおらず振り返る。数メートルの遅れを取ってファレロが走っていた。
「おい、なにしてるんだ。早くしろ」
「は、はい」
「付いてこい。遅れるなよ」
魔法訓練が出来なくなるだけじゃなく、基礎体力作りまでレベルを落とすなんて冗談じゃない。ましてや、ファレロをひとりにしたらまた隊長からの評価が下がる。一緒にいて、なおかつレベルを落とさないためには付いてきてもらわなければ。
しかし、追い付いてもまたすぐに遅れていく。
イラッとして、モリトールは声を荒げた。
「おい! 付いてこいって!」
「す、すいませ……。田舎でも走り回ってたつもりなんですけど、こんなに速く走ったことはなくて……」
「まったく……。ほら!」
ひとりにしたらいけないから、それにレベルを落とす気にもなれないから、モリトールは仕方なしにファレロの手を握って引いてやった。
細いな。
それが第一印象だった。
細くて、小さい。
ジョアンの小ささとはまた違う華奢さがあって、モリトールは正直、戸惑った。
このまま引いていこうか。
レベルを引き下げてやろうか。
迷ったけれど、指導してる間に他者に遅れを取るのだけは嫌だ。
「このまま引いてやるから、スピードを落とさずに付いてこい」
「は、はい……」
しかし、さすが田舎育ちともいうべきか、走り方の基本は出来ていた。
どうしても運動不足の人間が走り出すと猫背気味になってしまうのだが、ファレロは胸を張り、しっかり腕を振っている。モリトールの足のリズムに合わせたほうが楽に走れるということも知っているらしく、ふたりはいつの間にか同じ歩幅、同じリズムで駆けていた。
「あそこがゴールだ。スパートを掛けるぞ」
返事をする余裕はなさそうだったが、代わりに頷いた。脇腹を押さえているのが見える。
「腕を振れ」
言うと、ファレロは脇腹から手を話した。
それから程なくして、一周を終える。ファレロは崩れ落ちそうになったが、モリトールが手を引いて制した。
「急に立ち止まるな。止まったほうが負荷が大きいんだぞ。歩け」
また、頷くだけの返事。
しばらく歩いて、ファレロの呼吸も落ち着いたらしい。
「腕立てを100回やれ」
「100回……わかりました……」
「本当なら腹筋と懸垂もやりたいところだが、訓練所がないから仕方ない」
「すみません……」
そうして、本来であれば他の隊が使うグラウンドの隅でトレーニングを始めた。ファレロが腕立て100回をやっている間に、モリトールは腹筋3種、背筋、腕立て伏せ3種、ダッシュ数十本をこなした。威力のある魔法は使えないから、腕立て伏せをしているときの指に調節した風を起こして体幹をさらに鍛えたり、微調節を訓練することにした。
そうしてすべてを終えてファレロを見ると、もうほとんど腕が曲がっていない。
「何回やったんだ」
「72回です……」
遅い。
モリトールは嘆息ついた。そもそも姿勢も崩れていて、これではトレーニングの意味がない。
傍に膝をつき、お腹に触れる。
「腹部を極端にへこませるな。腰が浮き上がって姿勢が崩れる。首から足首までが一直線になるようにするんだ。腕の力だけに頼るんじゃなくて、腹筋と、背筋のすべてを使え」
「は、はい……」
ぷるぷる震えている腕でなんとか100回を終える。そのまま自室に向かい、始めにモリトールがシャワーを浴びた。交代でファレロを入れる。
洗濯は魔法でしてしまうのだが、調節のできないファレロに教えるのは尚早だろう。手本を見せて、ふたり分の洗濯をするのが手っ取り早い。まあ、いっきにやるのもいい訓練になるか。
そうこう考えていると、のっそりとファレロが出てくる。髪もほとんど拭いていないのか、びしょ濡れだ。まったく、不甲斐ない。
「洗濯だ。カゴを持て」
ファレロは素直にふたり分の洗濯が入った籠を持った。13番館のすぐ外に魔法隊専用の洗濯スペースがあるのだ。大きな桶だけが用意された、屋根付きの場所。
桶に洗濯物をごっそり入れ、石鹸カスも一緒に投げ入れる。
「洗濯もすべて魔法で行う。水を溜め、回転させる。複雑な回転で汚れを落とすんだ」
言いながらやって見せてやる。ファレロは虚ろな目ではあったが、しっかりと見ているようだった。
「これも魔力調節が出来るようになったら自分ひとりでやるんだからな」
「わかりました」
「10分くらい洗ったら、水を抜く」
これも魔法で水を浮かせ、側溝に注いでしまう。ふよふよと浮いた水がいつもより重いので、予想通り、いい訓練になった。
「濯ぎは同じことを繰り返せばいい。脱水は水を抜いたあとで風の回転を掛ける。そして服に熱風を掛ければあっという間に終了だ。流れは覚えたな?」
「はい。覚えました」
「よし、じゃあ戻るぞ」
「はい」
そして洗濯スペースを出たときだった。
「あ、ルイス!」
ファレロの声が弾んだ。何事かと振り返ると、3人組の騎馬隊員がいる。朝の乗馬訓練にでも行くのだろう。ルイスと呼ばれた男は、緊張の面持ちだった。隊服も新品だから、ファレロと同じく昨日からの新入りだろう。
どうやら知り合いらしい。
「ルイス、これから訓練なの──」
ファレロが駆け寄ろうとすると、だが、ルイスは一歩引いた。そして右手を左胸に添えた。
敬礼したのだった。
ファレロは呆気に取られている。苦笑して、尚も近付こうとしたがルイスはさらに一歩引いた。堪らずファレロが言った。
「ルイス、なにやって──」
「おはようございます」
「なに言ってんの、ルイス。敬語なんて──」
「ファレロ。返礼しろ。上位のものが返礼しないと、下位のものは敬礼を解けないんだ」
教えてやると、ファレロの顔が歪んだ。
「じょ、上位、って……。私達、兄妹も同然で──」
「ここは軍だぞ。実家じゃないんだ。それに、魔法隊は国軍の中で最も上官に当たる。他隊の隊長であっても、魔法隊には敬礼する決まりだ。返礼しろ」
見れば、騎馬隊員3人がすべて敬礼している。ファレロは実に渋々といった具合で返礼をした。
待ちかねたとばかりに、ルイスは頭を下げた。
「では、訓練がありますので、失礼致します」
「ね、ねえ、ルイス、休憩時間はいつ? 騎馬隊がどんなところか聞いてもいい? あとで会いに行くから」
「では」
「ルイ──」
ファレロの呼び止めには応じず、騎馬隊員達は立ち去っていく。
ファレロはしばらく立ち尽くしていた。
呆然と、去っていった背中を見つめている。
モリトールはなんだか苛ついて、声を掛けた。時間の無駄だ。
「おい、行くぞ」
「る、ルイスが……」
「ファレロ!!」
呼ぶと、ファレロははっとしてモリトールの傍に駆けてきた。
付いてきたのを見計らって、歩を進める。部屋に付いて、乾いた隊服をハンガーに掛けさせようとして振り返って、ぎょっとした。
ファレロが泣いている。
ぽたぽたと垂れていた涙は、魔法でも掛けたみたいに大粒になって、顎から滴った。顔がくしゃりと皺くちゃになる。
「な──」
「る、ルイスがぁーー!」
唐突の叫びを聞き取れなかった。
「は?」
「ル゛イ゛ズが……! ル゛イ゛ズが無視じだぁ゛!」
「な、なに言ってんだ」
「昨日まで普通だったのに、いきなり、なんで無視するのぉー!!」
おんおん泣いているファレロをどうすればいいのかわからない。とりあえず、ぐっちゃぐちゃの顔をどうにかしないと、と思って洗濯物の籠からタオルを漁る。乾いたばかりのタオルでファレロの頬を拭いてやった。
「あんなの無視に入らないだろ。上官と接してるんだから、分別っていうものを相手が理解してただけで──」
「私、上官なんかじゃないーーー!!」
「国軍では魔法隊が一番上だ。君が上官で正しいんだ」
「ちあう!! 家族だったのにーー!! ぶえぇぇーーーー!!」
「とにかく泣き止め!」
「うあーーーーー‼」
これは食堂に行く余裕はなさそうだな。モリトールはすっかり困ってしまって、頭を掻いた。まだ隊服も収納していないし、空腹だが、仕方ない。
この金管楽器も驚きな大音量を止めるのが先決だろう。
「もういい! 寝るぞ!」
「ああああぁーーーー! ルイスーーーー!」
「早く来いって!」
動こうとしないファレロの手を引いて、ベッドに寝かせてやる。モリトールもそのまま横に寝そべって、さらなる大音量を覚悟していると──
既にファレロが爆睡していた。
「はあ!?」
飛び起きてしまう。
ぴたりと止んだ騒音。規則正しい寝息。モリトールは拍子抜けして、ファレロの寝顔に見入ってしまった。
「まさか、疲れてただけ……?」
少し、頑張らせ過ぎただろうか。
そういえば、ファレロは一度も泣き言を言わなかった。もう無理だの、出来ないだの、そんなことは一切、口にしなかった。
素直に付いてきてたじゃないか。
無理をさせただろうか。
新人の力量に合わせるだなんて、難しすぎる。
「あー、もう! だから指導なんてしたくなかったのに!」
けれど、ちょっぴり罪悪感もあったのは事実なので、モリトールはファレロに素早く毛布を掛けてやった。




