第90話 曇天
唐突だが、嵐はそれほど頻繁に発生するものなのだろうか。
強烈な風と雨を運んでくる嵐は、遥か遠い海からやってくると聞いたことがある。しかし、どのように出来上がっているのかと言った原理について、カリオスは知識を持ち合わせていなかった。
集落の人々曰く、神の怒りなのだと言う。
「言い伝えかぁ。」
少年の治療を終えたタシェルが、椅子に深く座り込んだ体勢で呟いた。そんな彼女の目の前では、少年がベッドに横たわっている。容体は安定しているが、あまり離れるのは得策ではないため、今晩は付きっきりになるとのことだ。
そのすぐ隣にはミノーラが腰を下ろしてタシェルを見上げている。オルタはというと、集落の人々に駆り出されて建物の修繕を手伝っている。
そしてカリオスは、少年の様子を心配げに見ているクラリスがベッドから落ちてしまわないように、ベッド脇で待機しているのだった。
「遠い昔に海神様のお遣いとして言葉を話すカメが現れて、嵐で苦しむ村人に向けて、島に人を寄こすように伝えた。そして、村の男が一人、嵐で荒れている海を渡って島に向かうと、あら不思議、嵐が収まりました……。要約するとそんな感じ?」
「そうみたいです。」
あの後、カリオスはザムスとミノーラの問答をやめさせ、ザムスから島と嵐の関係などを聞き出した。出てきた答えはお伽噺の類であり、全く根拠のない内容だったが、ザムス達は皆、その話を信じているようだった。
言葉を話すカメについては、なんとなく想像がつく。恐らくはミノーラと同じく混色だったのだろう。
しかし、海神様の存在や島に人を寄こした結果嵐が収まったという部分に関して、カリオスはどうしても懐疑的にとらえてしまう。
「海神様かぁ。私はあまり神様とか考えたことなかったけど、本当に居るのかな?」
「海神様は本当におるけん!ウチ見た事あるとよ!」
カリオスと同じく懐疑的な様子のタシェルのつぶやきに、クラリスが鼻息を荒げて声を上げている。
そんな少女に対し、ミノーラが好奇心のこもった瞳を向けた。
「え!?見た事あるんですか?どこで見たんですか?私も見れるでしょうか?」
「海におった!なんかこう、ドバーッとなって、フワーッて消えてったんばい!」
『説明になってないんだよなぁ。海でドバーッとなって、フワーッと消えていくもの。波?フワーッという表現は合わないか……。』
擬音での説明を何とか解読しようと試みた彼は、一瞬であきらめる。嵐が来たときに、シルフィに手伝って貰って、風や雨の勢いを弱めてもらうことは出来るだろう。しかし、いつまで続くか分からない状況で、ずっとそれを続けるわけにはいかない。
もし、今後も嵐が収まる目途が立たないのであれば、何かしらの対処をしなければならないだろう。その中には、移住という選択肢も大いに含まれる。
「一度島に行ってみれば、何か分かるかもしれないですね。」
そう言ったのはタシェルだった。確かに、その選択肢も考えてはいたが、彼は少しばかり嫌な予感を覚えている。
『島に行った男が戻って来たかという部分については、あやふやになっているからな。そもそも、嵐の海を島まで渡るのは非常に危険だ。言い伝えに出てくる男も、おおかた船が沈没して帰って来なかったんだろう。』
逆に島に辿り着けたと考える方が、変な話なのだ。
「行ってみましょう!もしかしたら、そのカメさんに会えるかもしれませんし。」
あっけらかんと言ってのけるミノーラをみて、カリオスは一つため息を吐いた。恐らく、嵐の危険とか、海の恐ろしさとか、何も考えていないのであろう。
「ミノーラ。嵐の中を船で渡るのは本当に危険だから、多分止めた方がいいと思うな。」
タシェルの説得に納得した様子のミノーラは、ベッドの上でじっと話を聞いているクラリスに声を掛けた。
「クラリス。私、海を見てみたいです。まだ近くで見たことが無いので。」
「え、海見た事ないと?」
驚きと嬉しさを綯い交ぜにした表情で、クラリスが聞き返す。彼女にとっては海を見たことが無い状況を理解できないようだ。まるで水を得た魚のようにベッドから飛び降りようとした彼女は、ふと彼女の兄に目を向ける。
ミノーラに海を見せるのと、兄の様子を見守ることを天秤にかけているのだろう。表情を曇らせながら必死に悩んでいる様子から、容易に想像がついてしまう。
「お兄さんのことは、私に任せて。」
クラリスのそんな様子を見兼ねたのか、タシェルが優しく声を掛けた。途端にパアァと明るい表情を浮かべた彼女は、ベッドから飛び降りると、ミノーラに向かって得意げに宣言する。
「仕方なかね!ウチが案内しちゃる!その代わり、もういっぺん乗せて!」
「ありがとうございます!もちろん良いですよ!」
二人して元気に飛び出していこうとする二人を見ていたカリオスは、そっとタシェルに視線を移した。
「はい、大丈夫です。カリオスさんは二人と一緒にいてあげて下さい。正直、危なっかしいですしね。」
『悪いな。』
心で礼を告げながら頭を軽く下げたカリオスは、小屋を飛び出していった二人を追って外へと飛び出す。小屋から出てすぐに、空模様の変化に気づく。つい先ほどまでも充分に曇っていた空が、より一層暗く、深く染まり始めている。
荒れ始めるまで、あまり時間は無さそうだ。
忙しなく働いている人々を横目に、彼は二人の後を追った。




