第89話 疑問
ミノーラに対して声を掛けてきたその人物は、決して彼女に視線を向けることなく、頭を垂れた姿勢でひたすらに立ちすくんでいる。
そんな様子を見たカリオスは、その人物がミノーラの返事を待っているのだと結論付けた。訳はいくつかあるが、周囲の人々が時間と共に困惑しているのを見ていれば、誰もが察することが出来るだろう。
対するミノーラは、分かりやすく混乱している。状況として仕方が無いだろう。突然、首輪から影が漏れ出したかと思えば、集落の人々が自身を崇めているのである。
そういう意味では、これはカリオスの失態ともいえるかもしれない。首輪に蓄積したエネルギーを裏面のボタンで放出できることは、王都でサーナから教わったはずだったのだ。きっと、ミノーラの背中に乗っているクラリスがボタンに気づき、押したのだろう。
正直、つい先ほどまでその機能のことを忘れていた。
それにしても、先ほどの影の放出を見てミノーラを崇めるのは、いささか変な話では無いだろうか。どちらにせよ、上手く行けばこちらの優位な状況で話が出来るかもしれない。
『利用しないわけにはいかないな。』
そう考えたカリオスは、跪いている人々の間を縫うように歩くと、ミノーラへと近付いた。そんな彼の様子をじっと見つめてくるミノーラとクラリス。
「カリオスさん?これっていったい。」
『いいから、これを読んでくれ。』
そんなことを思いながら、ミノーラにメモを見せる。カリオスはミノーラの背中から必死にメモを覗き込もうとしているクラリスの邪魔をしながら、彼女の反応を待った。
読み終えたミノーラが、少し不思議そうな顔をしていることに構わず、サッとメモを隠す。そうして、じっと彼女の目を見つめていると、プレッシャーに負けたのか、彼女は少しずつ言葉を発し始めた。
「あの、皆さん顔を上げてください。私はまだ生まれたばかりなので、よく事情が呑み込めていないのです。もしよければ、その海神様について詳しく聞かせてもらっても良いでしょうか?」
「……。」
ミノーラが掛けた言葉を聞き、集落の人々は徐々に顔を上げる。そのどれもが、不安を滲ませているように、カリオスには見て取れた。
少なくとも、彼らはミノーラをただ崇めたいわけでは無い。何か目的か願いがあるのだろう。それを見抜かなければならない。場合によっては、危険に巻き込まれる可能性もある。
そんなカリオスの思惑を知ってか、先ほどミノーラに語り掛けた壮年の男が、鋭い視線をカリオスに向けながら、話し始めた。
「海神様とは、その名の通り、海に住まわれている偉大な神でございます。我々が漁をして生活出来ているのも、海神様のお恵みのお陰です。ただ、ここ二週間ほどは一日おきに嵐がやってくるため、満足に漁をすることもできず、おまけに嵐も日を追うごとに強くなってきております。」
『なるほど、となると、さっきクラリスが言っていた、島に行く、とかいうのは、その海神様への生贄とかそんな話しだろうか?生贄で本当に嵐が収まれば良いが。まぁ、無理だろうな。というか、さっきまでの変な喋り方は何だったんだ?このおっさんは普通に話してるけど。』
男の話を頭の中でかみ砕き、おおよその仮説を立てたカリオスは、妙に畏まっている壮年の男の口調に違和感を覚える。
さっきの髭面の男と気の強い女はかなり訛りのある話し方をしていたのに比べ、壮年の男は、カリオスの知りうる限り普通の話し方だ。
そんな彼の思考を余所に、ミノーラが質問を繰り出す。
「神様って何ですか?」
「……神とは、ですか?」
「はい、えっと、私ミノーラって言います。あなたの名前はなんていうんですか?」
『神の遣いとかいう話に乗っかろうと思ってたけど、これは無理だな。威厳も何もない。距離感が近すぎる。』
非常に今更なミノーラの特徴を改めて認識した彼は、取り敢えず、集落の人々に対する警戒を弱めた。実際、集落の様子を見れば嵐による被害が甚大であることは事実のようで、よく見れば、人々もかなり疲弊しているように見える。
「私はザムスと申します。」
「ザムスさん。よろしくお願いします。で、神って何ですか?」
ミノーラの純粋な疑問に、ザムスはしばらく考え込んだ後、口を開く。
「海神様は海と海に棲む全ての生物を作り出した方です。そして、我々はそんな海神様が作り出した魚を獲ることで命を繋いでいます。」
「海神様ってそんなことが出来るんですか?海って……さっき見ましたけど、ものすごく大きいですよね!?……あれ?でも海って川から流れてきた水が集まってできたんじゃないんですか?ということは、海神様は川も作ったんですか?ん?そういえば、川ってどうやって出来たんでしょうか?……なんか混乱してきました。」
次から次に繰り出されるミノーラの問いに、ザムスは応えることが出来ず、ただじっと黙り込んでしまった。きっと、彼女は純粋に疑問を抱いたのだろうが、聞く人によっては煽っているように聞こえるだろう。
そう考えたカリオスは、そっとミノーラに手を差し出すと、書き出しておいたメモをミノーラに差し出す。
『ちょっと黙ろうな。』
「むぅ、なんかカリオスさん冷たいですね。何でですか?私はただ不思議だと思っただけですよ?」
不貞腐れるミノーラを横目に、カリオスはふと思う。少しだが、ミノーラがサーナに似てきているのは気のせいだろうか?と。
一抹の不安を感じながら、これからのことを思案するカリオスだった。




