第82話 歓談
ボルン・テールを出てどれくらいたっただろうか、はるか先に聳えている山々を眺めながら、タシェルは延々と続く荒野に嫌気がさしていた。
大地が乾燥し、やたらと硬いせいなのか、足首に疲労と痛みが溜まっていく。
この辺りは地下水が豊富だと聞いたことがあるが、本当なのだろうか。
「ねぇタシェル。マリルタまであとどれくらいなんでしょうか?」
出発した時の元気はどこへ行ったのか、ミノーラがゲンナリとした口調で聞いてくる。どうやら、彼女も歩き疲れ始めているようだ。
「まだまだ先よ。正面に山が見えるでしょ?あの山の先に海があるから、まずは山を越えなくちゃ。」
そんな彼女たちの会話を聞いていたのだろう、カリオスが遠い目で山を見つめたかと思うと、メモを差し出してきた。
「『あの山を?メチャクチャ遠いじゃないか。』……そうです。分かってますよ。でもなんか、それを言われると、ドッと疲れが出てきました。」
「ねぇ、タシェル。海って何?」
「なんだ?ミノーラは海を見た事ないのか!?」
巨大なリュックを背負ったオルタが、驚きながら振り向き、会話に入ってくる。
「見たことないです!」
「そうか!俺と同じだなぁ!」
「見たことないんですか!?」
思わず突っ込んでしまったタシェルは、他の三人の注目が自身に集まっていることを感じ、恥ずかしさを覚える。
「おう、俺は見たことないな。けどな、聞いたことはある!あれだろ?世界中の川の水が集まってるんだろ?とんでもねぇ量の水があるって酒場でマーシーが言ってた。」
「世界中の川が!?すごい!見てみたいです!マリルタに行けば見れるんですよね?タシェル!シルフィに頼んでマリルタまで運んでもらえないんですか?」
「うーん、今の私じゃ少し足を速くしてもらうくらいしかできないかも。ハリス会長とかドクターファーナスみたいにまだうまくシルフィに指示を出せないから。ごめんね。でも、高いところから落ちてひき肉になるのは嫌でしょ?」
そう言いながら、タシェルは肩に座って頭をゆらゆらと揺らしているシルフィに向かって話しかける。
「シルフィ。お願い。オルタさんの荷物を軽くしながら、私たちを速く歩けるようにしてもらえる?」
タシェルのその願いに応えるように、肩から飛び出していったシルフィは皆の周囲をぐるぐると回り始めた。
「お!少し軽くなったぞ!助かる、シルフィにタシェル。」
オルタの礼に笑顔で応えながら、彼女は自身の足も軽くなったのを確認する。これだけでも充分な効果を得られていると思えるのだが、まだまだシルフィの本領は発揮されていないだろう。
精霊と人間の思考は完全に一致していない。判断基準や見え方が異なるのだ。タシェルが少しで良いと言ったとして、それをシルフィの基準で判断すると、いったいどれだけの量になるのか計り知れない。
それは程度だけの話ではない。例えば、人間の体の可動範囲など、精霊は全く知らない。つまり、指示の出し方を間違えてしまえば、手足を捥がれてしまうかもしれないのだ。考えるだけでも恐ろしい。
シルフィはハリス会長やドクターファーナスと長い間接しているので、ある程度の内容は把握してくれるのだが、経験の浅い精霊は、全く把握などしてくれないらしい。
「でも、まさか。シルフィが地の精霊だとは思ってなかったなぁ。」
タシェルの周りを優雅に踊っているシルフィに微笑みかけながら、彼女が独り言を言うと、すぐさまカリオスがメモを差し出してきた。
「『地の精霊?風の精霊じゃないのか?』……私もドクターファーナスにおんなじことを聞きました。力の精霊のうち、生まれたばかりで制御が覚束ない子のことを風の精霊、少し力の扱いに慣れてきた子のことを水の精霊、完全に力の制御ができる子を地の精霊と呼ぶらしいです。多分ですけど、力エネルギーで動かせるものがどんどん増えていくんじゃないかと勝手に思ってます。」
「へぇ、俺もてっきり風の精霊だと思ってた。シルフィは地の精霊なんだな。てことは、土を動かせるのか?」
「シルフィにその力はあるけど、私がうまく指示を出せるかが問題ですね。やってみたことは無いです。」
「やってみましょうよ!練習です!もしかしたら、上手くできるかもですし!」
無邪気な顔で、ミノーらがはやし立ててくる。先程までの気怠さは完全に消えてしまっているようだ。それはタシェルも同じで、不思議と楽しさを感じていた。
「あとでやってみますね。ただ、今はなるべく山に近づきたいので、このまま先を急ぎましょう。速くマリルタに着きたいでしょう?」
諭すようにミノーラに語り掛けると、彼女はハッと何かを思い出したような顔を見せ、照れ隠すように鼻を舐めた。
「そうでした。早く海が見てみたいです。あと、港町も。それと、あれ?何か忘れてるような……」
「亀さんですね。」
「そうです!混色の亀さんに会うんでした!」
ミノーラと話していると、まるで幼い子供の相手をしているような感覚になってしまう。陽気な彼女の様子に、思わずクスリと笑みが零れる。
ふと視線を上げると、前を歩いているオルタと目が合った。瞬間的に正面を向いたオルタが、何かを隠すように告げる。
「さ、さぁ、急ごう。」
「そうです!急ぎましょう!」
前を行くオルタとミノーラの掛け声を聞きながら、タシェルは気持ちを落ち着けようと少し先の地面を見ながら歩いた。
しばらく歩いて、ふと何気なく右に視線を向けると、カリオスがこちらを見ている。かと思えば、彼は何を思ったのか、前のを歩くオルタへと視線を動かし、すぐさまタシェルへと戻した。
「何ですか……。」
カリオスが何か言いたがっているように見えた彼女は、問いかけた。それとほぼ同時に、メモを書き始めた彼が、すぐにそれを差し出してくる。
「『もっと話した方が良いんじゃないか?このままだとミノーラに取られるぞ。』……。」
歯がゆさといら立ちを覚えた彼女は、当分の間、彼にメモを返さないと心に誓った。




