第81話 出立
妙に機嫌のいい様子で駆けていくミノーラの後ろ姿を追いかけながら、タシェルは先に見える南門へと視線を飛ばした。どうやらオルタ、ハリス会長、マーカスの三人は既に門で待っているようだ。
並んで立っている三つの人影の内、二つがウルハ族のオルタと金髪のマーカスなのだから、やたらと目立つのは当然だろう。
そんな三人の姿を確認したタシェルは、ミノーラを追いかけるのをあきらめて、ドクターファーナスとカリオスに歩調を合わせることにする。
「追いかけなくて良かったのかしら?」
「はい、門で三人が待っているのが見えました。流石のミノーラでも、どこかに行ったりはしないと思いますので。」
ドクターファーナスに返事をしながら、相変わらず無口なカリオスに目配せをすると、彼は深くゆっくりと頷いた。間違っていないようで、安心する。
そのまま黙々と歩き続けた三人は、気が付けば門へと辿り着いていた。
「おはよう諸君!今朝はとてもいい天気だな。旅立ちにはもってこいだ。ところでカリオス君。私を見て露骨にゲンナリするのはやめたまえ。」
思わずカリオスの表情に目をやったタシェルは、確かにゲンナリとしているなぁと感想を抱き、クスリと笑ってしまう。その様子をマーカスが見逃すはずも無く、咎めるように視線を飛ばしてきた。
「すみません、なんだかおもしろくて。」
「元気があるのは良い事よ。皆さんがこうして元気に集まれたのは、本当にうれしい事だわ。」
やんわりと仲裁に入るドクターファーナスのお陰で、マーカスの追及は逃れることが出来たようだ。タシェルが感謝の視線を向けると、それに応えるように、ドクターファーナスが笑みを浮かべる。
「タシェルちゃん。あなたにはこの本を渡しておくわね。旅先でも、しっかりと勉強なさい。あなたならきっと活用できるわ。」
「ありがとうございます。先生。」
震える手で分厚い本を手渡してきたドクターファーナス。タシェルは重たそうにしている彼女の腕をとっさに支えながら、本を受け取る。
「オルタ!君にはミノーラとカリオスとタシェルの護衛をお願いする。」
「おう!じゃねぇや、はい!任せてくれ。」
チグハグな言葉遣いで勇ましく敬礼をしているオルタは、いつも着ていたボロボロな作業着ではなく、マーカスと同じ制服を身に着けていた。彼の筋骨隆々な身体にはどこか不似合いな感じはするが、作業着よりはだいぶマシだとタシェルは思う。
そんな風にオルタのことを見ていると、視線に割って入るように、ハリス会長がタシェルに向かって声を掛けてくる。
「タシェル、これを持って行け。」
言われるがままにハリス会長から包みを受け取ったタシェルは、中身を確認する。どうやらローブのようだ。
「シルフィが使い方を知っている。詳しくは彼女に聞いてくれ。」
ここに来て妙によそよそしさを感じるのは気のせいではないだろう。特段仲が良かったわけでもないし、仲良くなるような関係でもないが、ハリス会長はもっとズケズケと言ってくる印象がある。
タシェルのそんな疑問を嗅ぎ取ったのか、ミノーラが、何かを言おうとした。
「ハリス会長はね!タシェルに……」
ミノーラの顔を両の手でガッシリと掴んだハリス会長が、ゆっくりと顔を横に振りながら、なにやらぼそぼそと呟いている。流石のミノーラもハリス会長のプレッシャーに負けたのか、続きの言葉は聞けなかった。
「……どういう関係なんですか?」
二人を見比べながら、問う。
「気にするな。飼い主とペットの関係だ。」
「むぅ。私はペットじゃないです。」
煮え切らない様子で文句を言うミノーラだが、反抗をするつもりは無いらしい。完全に飼いならされている。
「さぁ、皆準備は出来ているだろうか?」
「はい。すぐにでも出発できますよ!」
気を取り直したのか、マーカスの言葉にミノーラが元気よく答える。それにつられるように、タシェルもドクターファーナスとハリス会長に向き合った。
「先生。色々とありがとうございました。必ず帰ってきますので、それまでお元気で。ハリス会長。今まですみませんでした。ローブありがとうございます。帰って来るまでには、ハリス会長の期待に応えられるように、頑張ってきます。」
そう告げたタシェルは、ドクターファーナスに軽くハグをした後、ハリス会長と握手を交わす。
「それじゃあ、行きましょう!ドクターファーナスとハリスさんとマーカスさん。本当にありがとうございました!また今度遊びに来ますね!」
ミノーラの掛け声でオルタが大きなリュックを背負う。カリオスも既に出発する準備は整っているようだ。
ゆっくりと左右に開き始めた門を目にしたタシェルは、ふと、自身の手元にある分厚い本とローブを見つめる。
本当に大丈夫だろうか。
ここに来て、唐突に感じる不安。どう考えても準備は不足しているように思えて仕方がない。もう少し、ここで準備をしても良いんじゃないか。そう、提案しようとタシェルが振り返ろうとした時、ドクターファーナスの声が響いた。
「シルフィ、お願いね。」
優しく、強い風が、背中を押す。思わずつんのめりそうになりながらも、一歩を踏み出したタシェルは、風の勢いに押され、結局振り向くことは出来なかった。否、振り向かせてくれなかった。
先を進んでいる三人がこちらを振り返り、オルタがタシェルに向かって手を振っている。いや、恐らくは街に手を振っているのだろう。
「シルフィ!もう良いから。大丈夫。歩けるから。」
タシェルのその声は、シルフィに届いたようで、いつものように踊りながら彼女の前に姿を現したシルフィは、そっと頬を撫でて行く。その気遣いに感謝しつつも、タシェルはオルタと同じように街を振り返り、大きく手を振った。
「ありがとうございました!絶対に帰ってきますから!お元気で!」
ドクターファーナスに、お世話になった。それは、この数日だけで十分なくらいに。様々な事を教えてくれたのは彼女だ。
マーカスに、お世話になった。日頃から街の治安を守ってくれていたのは彼らだ。感謝するのに申し分は無いだろう。
ハリス会長に、お世話になった。恐らく、少し前の彼女ならそんな事思わなかったに違いない。だが、この街で最もお世話になったのは、恐らく彼だろう。
シルフィはいつ、タシェルと契約をしていたのか。正直、シルフィと出会ったのは偶然だと思っていたし、今回の件が無ければずっとそう思っていただろう。
何も上手く行かず、ただ一人、ベランダで夕日を見ながら泣いていた彼女に、そっと話しかけてきたシルフィ。なぜ話しかけてきたのか?当時はそんなことも考えずに、ただ、思っていることや考えていることを全てシルフィに吐き出していた。
偶然でもなんでもなく、見守られていたのだ。
シルフィがハリス会長と契約していたと知った時から、彼女は確信している。彼は詳しい事について何も言ってくれないが、きっとそうなのだと。
タシェルの頬を、シルフィが何度も撫でている。きっと、三人はもう気づいているだろう。それでも気遣ってくれるシルフィや皆の優しさに、彼女は言葉を飲み込み、前を向いた。
もう、不安は無い。歩こう。言葉にするとかき消えてしまいそうな思いを、いつか言葉にできるほど強くなれるように。




