第79話 温泉
会議が終わった後、カリオスとミノーラはマーカスの好意でボルンテールの宿に部屋を借りることが出来ていた。サーナからある程度の路銀は貰ってはいたが、それにはあまり手を付けていない。サーナの助けを借りるのが癪に障るのもある。
しかし、それ以上に今回はマーカスの意向でもあったのだ。半ばカリオス達を騙すようなやり口だったことを自覚しているのか、「君たちに協力を頼んでいるのはこちらだからね、少しくらいは我々も協力させてもらうよ。」と、恩着せがましく最高級の宿を予約してしまった。
「カリオスさん!すごいです!フワッフワですよ!足がどんどん埋もれていくんです!なんなんですかこれは!?」
フカフカに整えられていたベッドに飛び乗ったかと思うと、すぐさまグチャグチャにしてしまったミノーラが、寝床を作る犬のように、くるくると回りながらはしゃいでいる。
そんな彼女のことを微笑ましく見つめながらも、布団に噛り付こうとするミノーラを止めるカリオスは、心の中で宿の従業員に謝罪した。
『悪いのは全部マーカスと言う事にしておこう。それくらいは良いだろう。こっちは命を懸けるんだ。シーツや布団の一枚、大したことないだろ?でも流石に悪いか……。せめてミノーラを洗ってから部屋に来るべきだったな。』
「カリオスさん、どうしてこの街で三日も準備が必要なんですか?私、早く港町に行きたいです!」
ようやく落ち着いた様子のミノーラが、窓際の椅子に座って外を眺めているカリオスに近寄りながら言い出した。会議が終わってまだ一時間ほどしか経っていないが、既に日が落ち始めている。
少し長い時間この街にいたような気がしてしまうが、よくよく考えれば、この街のことを全く知らない。雑多とした街並みや、街の中心部で煙を吐き出している煙突。そんな街並みを囲んでいる城壁と、街の下に走る巨大な亀裂。そのどれもが、この町に住む人たちには、馴染みのあるものなのだろう。もちろん、タシェルやオルタにとっても。
それは、ミスルトゥのコロニーでも同じことが言えるわけで、それを、自身が踏みにじっていたのだと考えると、忘れたい罪悪感がよみがえってくる。
そして、そんなカリオスと同じように、この街を踏みにじろうとしていた男が、クロムだ。むしろ、踏みにじることが目的だったようにも思えてしまう。胸糞悪いと彼が感じてしまうのは、一種の自己嫌悪か?と自嘲した彼は、メモに言葉を書き、ミノーラへと見せる。
『タシェルやオルタは、ここを出発するのに準備がいるだろう。』
「あ、確かにそうですね。じゃあ、何か私たちに手伝えることが無いか聞きに行きませんか?」
どうだろうか、少なくとも、今のカリオスは自身が彼らの手助けをできるとは到底思えなかった。それに、知人に挨拶をしたりする場合、かえって邪魔になりそうだ。
『やめておこう。』
短いメモを見たミノーラは、短く了承すると、話題を変えてきた。
「ところでカリオスさん。どうかしたんですか?なんだか、いつもと様子が違うというか、ちょっと疲れてるようなニオイがしますよ。」
『臭うのか?ちょうどいいか。ミノーラを洗うついでに、俺も体を洗って、今日は早く寝よう。』
そう考えた彼は、椅子から立ち上がり、ミノーラに着いて来るように手招きをした。部屋を出て階段を降り、宿のカウンターで受付係に外出することをメモで告げる。
流石と言うべきは、この受付係の対応だろう。百歩譲って、筆談をする客は対応できてもおかしくは無い。特別な訓練を受けていれば、対応は可能だろう。しかし、言葉を話す狼を見ても動揺を示さず、変わらぬ笑顔で接客をするその様は、流石高級宿だと認めざるを得ない。
「どこに行くんですか?カリオスさん。」
一人感心していたカリオスにミノーラが声を掛けてくる。それに、メモで応えることはせず、ただ頷くだけにとどめた。特に意味があるわけでは無い。
そんなカリオスの返事から何かを感じ取ったのか、ミノーラはやけにウキウキとしている。舌を出した口で呼吸をしながら、辺りを見渡し、尻尾を振る。彼女が最も落ち着いているときは、どうやらそんな感じになるようだ。
しばらく歩くと、目当ての場所に辿り着いた。会議が終わって宿へ向かおうとしていた時に、マーカスから教えてもらった温泉だ。
なんでも、ボルン・テールでは街の中心部に向かう程に地熱が高くなっているらしく、その熱を利用した温泉や鍛冶場が密集しているらしい。熱の正体は今もはっきりとは分かっておらず、街の下を走る二本の亀裂が交わる箇所が、最も熱エネルギーが強くなっているらしい。
だからこそ、地下深くに潜って鉱石を掘るのは、城壁付近なのだそうだ。確かに、街の中心部の地下に潜れば、蒸し焼きになってしまうだろう。今しがた中心街に辿り着いたばかりのカリオスですらそう思う程に、周囲温度が高いことが分かる。
「なんだか、暑いですね。」
先ほどからやたらと舌を出して呼吸をしていたミノーラ。あまり居心地は良くないみたいだ。
『ここは温泉だ。せっかくだから身体を洗おう。ペットも問題ないらしい。』
メモを見せると、ミノーラは露骨に不満げな顔をする。
「ペット扱いはなんか嫌です。でも、温泉は入ったことが無いので、入ってみたいです。」
その言葉を聞いたカリオスは、返事することなく温泉の入口を開け、中へと入った。扉を開けると、目の前に二つ扉があり、片方には男、片方には女と文字が書いてある。
「じゃあ、私は女なので。」
『……考えてなかったが、大丈夫だろうか。』
一抹の不安を感じつつ、彼はミノーラを見送るほか無かった。そのまま突っ立ているわけにもいかず、取り敢えずは男の扉をくぐり、脱衣所へと入る。
何も考えずに黙々と衣服を脱ぎ去ったカリオスは、ふと、自身の口元に着いてい首輪を思い出し、辟易する。
籠手に関しては取り外し可能だが、この首輪は外すことが出来ない。既に長い事付けたままなので、違和感が無くなりつつあった。しかし、温泉に入る場合、これは良いのだろうか。
少し考えたカリオスだったが、考えても無駄と気づき、そのまま湯舟へと向かう。
扉を開けた瞬間に、ムワッとした熱気が全身を包みこむ。それと同時に、無数の視線が彼に突き刺さった。どうやら、首輪が注目を集めているようだ。
若干の居心地の悪さを感じつつ、そそくさと体を洗った彼は、すぐに湯舟に浸かった。
『はあぁ……お湯につかる事自体が久しぶりだ。やっぱり良いな。』
そんなことを考えていると、どこかから声が聞こえ始めた。
「可愛いワンちゃん!帽子は脱いできた方が良いわよ。」
「あ、すみません、自分じゃ脱げないので取ってもらって良いですか?」
「え!?喋ってる!?」
「はい、私はミノーラって言います。混色だから、話が出来ます。」
恐らく、女湯の会話だろう。やたらと騒がしくなっていくその声に、嫌な予感を覚えながら、彼は少しずつ湯舟に頭を鎮めていった。次第に音が聞き取りにくくなる。そうすれば、何も聞かずに済むだろう。
温もりに包まれたまま、今だけは何も考えまいと決めたカリオスは、次第に騒がしくなっていく女湯の声を無視し続けたが、ミノーラが彼の名前を呼び始めたために、すぐさま上がる羽目になったのだった。




