第78話 一口
「タシェルは……彼女は何をしていたんですか?勉強?」
「そうよ。医術についての勉強を教えてくれって、昨日の会議の後にここにやって来たのよ。それから、ここでずっと本を読んでいたわ。でも、流石に一日二日の勉強で実際に治療をさせるわけにはいかないから、手始めに、薬草の知識を詰め込んでるの。こればっかりは、知識が物を言うからねぇ。」
「難しそうですね。」
オルタはタシェルに感銘を受けていた。マーカスから唐突にミノーラ達に着いて行けと言われて、当然ながら動揺したオルタ。
しかし、マーカスの言う通り坑道での職も失ってしまった自身の現状を鑑みて、既に失うものは無いと思えたからこそ、ミノーラ達に同道することを選べたのだ。同僚たちと離れることになるのは、少しばかり寂しさを感じている。
一方、タシェルはオルタとは違うだろう。この街での生活を、全て捨て去る必要があるのだ。何かしらの強い意志か、気まぐれでない限り、快い返事をする人は少ないのではないだろうか。
それを踏まえたうえで、彼女はハリス会長の提案を快諾していた上に、自身の役割をしっかりと考えている。
「あの子は少し、周りが見えなくなる時があるみたいだねぇ。昨日も、キリの良いところで切り上げて、早めに休むように言ったのよ?だけど、結局夜遅くまで読みふけってたみたいなの。病室の空いてるベッドを使って良いと伝えたのに、今朝起きてみたら、ここで突っ伏して寝てるんだもの。オルタさん、道中ではこんなことが無いように、注意して見ていてちょうだいね。」
「え、あ、はい。分かりました。しっかりと見ておきます。」
恐らく、言われずとも目で追ってしまうだろうなと考えながら、オルタは返事をする。何しろ、彼女を目で追ってしまうのは今に始まったことでは無いのだ。
そんなことを考えていると、廊下からタシェルがひょっこりと顔を出した。先程までの寝ぼけ眼はしっかりと開かれており、そのきれいな瞳と、バッチリ目が合ってしまう。
「お、おはようございます。先生、オルタさん。さっきは失礼しました。」
「おはようございます。タシェルちゃん。」
「おはよう。タシェルさん。目は覚めたかい?ほら、もうすぐ朝食だから、テーブルを片付けてちょうだいな。」
ドクターファーナスの呼びかけにハッとした様子のタシェルは、そそくさとオルタの隣に寄ってきて、いそいそとテーブルの上に広がっている書物を片付け始めた。思った以上に接近したためか、ふんわりと香りが漂ってくる。
思わず深呼吸をしそうになったオルタは、すぐさまお茶を啜ることで、何とか耐えることが出来た。流石にすぐ隣で深呼吸をしてしまえば、気持ち悪がられるに違いない。
「オルタさんも食べて行ってくださいね。たくさん食べるでしょう?」
「いや、それは……申し訳ないです。」
「そんなこと言わずに、タシェルちゃんがガッカリしちゃうわ。」
「え!?せ、先生?何を言ってるんですか!?」
妙に上ずった声で苦言を呈するタシェルをからかうように、ドクターファーナスはいたずらっぽい笑みを浮かべている。そんな慌てている様子のタシェルを横目で眺めながら、オルタは提言する。
「頂いても良いでしょうか?実は、朝食は食べていないので。運ぶのは手伝うので。」
「ありがとう。助かるわ。」
そう言って立ち上がったドクターファーナスにつられるように、オルタも立ち上がり、廊下へと向かう。当然のように、タシェルも彼の後を付いて来ている。
「ありがとう。もういいわよ。」
歩きながら空中に向かってそう告げているドクターファーナス。どうやら、火の精霊に調理を任せていたようだ。台所に辿り着くと、皿の上で湯気を上げている目玉焼きとトーストが準備されていた。
「はい、みんな一皿ずつ持って頂戴。皿は熱くなってないと思うから、大丈夫よ。」
「旨そうだ……。です。」
思わず言葉が零れてしまう。卵白の広がりを縁取るように、程よく付いた焦げ目。その中心で一際存在感を放っている卵黄が口の中で広がるのを想像してしまったのだ。
精霊の調理した料理は初めて食べるが、やはり、火加減が絶妙なのだろうか。トーストの方もムラなく全面が綺麗なキツネ色になっている。
「ほら、行くわよ。」
皿を持った三人は、再び廊下を戻り、居間へと向かう。皿の上の朝食をこぼさないように歩く三人の光景がなんだか滑稽に思えてしまったオルタは、少し笑みをこぼしてしまった。幸いにも、二人には見られていないようだ。
そんなことを考えていると、ふと昨日のことを思い出す。きっと、これほど安らげるのはあと少しだけなのかもしれない。だからこそ、今を大事にしよう。
ミノーラ達の旅の目的は、寝ていてあまり聞けていなかったが、それ以外にも、彼には目的がある。守るべき人を守るために、強くならなければならない。もちろん、肉体的にも課題はあるが、何よりも精神面が問題だと自覚している。
未熟だと、マーカスやハリス、そしてドクターファーナスから判断されてしまった。
トースターの上に目玉焼きを乗せ、一口噛り付く。目玉焼きの濃厚な味とトースターの甘味、お茶の爽やかな香りに柔らかいソファ、そして、タシェルの微笑み。
いつかここに戻ってこれるように、そんなことを願いながら、彼は一口一口をしっかりと噛み締めた。




