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かつて見た果て  作者: 笠倉とあ
番外編
18/18

酒は呑んでも呑まれるな

 永劫変わらぬものなどありはしないと、誰かは言った。

 不変を求め、永遠を夢見て伸ばした手が掴むものは、厳然と佇む冷酷な現実か、はたまた虚ろな虚空に過ぎないのか。

 諸行無常。万物は移り変わるものである。

 それはきっと、人もまた――否。或いは人こそが、何よりも激しくうつろう存在であるのかも知れない。


 変わらないと、変わりたくないと。

 願う者ほど突き付けられ、知るだろう。否が応でも変わらねばならないという選択を。


 歩み行く道の上に、岐路はあまりにも多くあり、その全てから逃れ切ることなどあまりに非現実的だ。

 そう、いつだって、人は容易く変わってしまう――酒が入ると、特に。



「……あの、」

「お代わり」

「……」


 言い切ることも許されずに、濃茶色の髪と灰色の瞳、愛嬌のある整った顔立ちを持つ十歳程度のその少女は、しばし口を一文字にして沈黙し、ややあって最終決着の懸かった高校野球の局面で最近入部してきたばかりの編入生を代打に使わなければならないと悟った監督のような苦渋の表情で、そっと瓶を傾けた。


 とく、と注がれる薄桃色の液体が、手のひらに収まるほどの小さなカップに満たされる。

 大人しく追加されたそれを、こちらはあたかも脇息に身を預けながらゆったりと酒杯を傾ける国持大名の如き妙な貫禄のある仕草で静かに呷って、枯れ葉色の髪と瞳の、少女より少しだけ幼い端正な顔立ちをしたその少年は、再び片手でカップを差し出した。


「お代わり」

「……あの、」

「お代わり」

「……」


 繰り返されて、少女はまた瓶を傾ける。今度は代打に指名した編入生に、「カントク、実はオレ、編入する前はずっとウルトラの星研究会一本でやってきてたんっスよ!」と爽やかに宣告されたかのような表情だった。


(どうしてこんなことになったんだろう……)


 静かだが押しの強い酔っ払いと化した少年の傍ら、遠い眼差しで少女は自問した。


 最初の一杯は普通だった。ぐい飲み程度の小さなカップに注いだ花酒をちびりと呷っても、ほんの少し、頬に朱が差す程度で。

 しかし、彼女が「保存用の瓶が足りないから、余ったら里長あたりに回して瓶を空けないと」と言うと、少年の眉は急激に寄った。


『……あなた、それは僕の、僕らの誕生日を祝うために作った花酒だと言っていませんでしたか』

『いや、言ったけど。でもほら、これって縁起物だからさ、少しだけ飲めば充分なんだよ。一回開けちゃったら、また封をし直す処理するのも面倒だし、空き瓶も欲しいし』

『寄越しなさい』

『へ?』

『他人にくれてやるくらいなら、僕が全部飲みます。……寿いでくれると言った癖に』

『いやいや、そんなじっとりした目で睨まれても困るんだけど。ぐいぐいコップ押し付けてきても注がないからね?』

『煩いです。早くしてくれないとラッパしますよ』

『一気飲みは本気で急性アルコール中毒起こすからやめてよ!?』


 ――そんな言い争いの末、結局少女は押し負けて、不機嫌そうな少年に酌をするに至ったというわけだ。

 瓶ごと奪われラッパ飲みをされるよりは、瓶だけでも手元に確保しておく方がマシかと思ったのだが、幸い少年は時折うとうとと目をこする程度で、まだ体調を崩す様子は見せていない。

 心なしか体温の高い体をじりじり寄せてくる少年に、少女は真面目に困惑した顔で訴えた。


「あの、ほんと、もうやめない? 顔が赤くなってるし、そもそもお酒なんて子供がガブ飲みするもんじゃないんだよ」

「まだ行けます。度数は低いんでしょう」

「アルコールには変わりないんだから駄目だって。あの、やめてくれない。膝に乗りかかるのやめてくれない」

「あなたも飲みなさい。あなたには僕が注いであげる約束だったでしょう」

「もうやってもらったから良いよ……私、アルコールには強くないんだよ……」

「僕の注いだ花酒が飲めないんですか」

「やだこの子、たちの悪い絡み酒する上司みたいなこと言い出したよ」

「我が儘を言う口は、えい、えい」

「やめてくれない。酒瓶ほっぺたにぐいぐい押し付けてくるのやめてくれない」

「何故逃げるんですか。……くちうつし?」

「やめてくれない!? ねえ、ほら、今はちょっとテンションが変になってるけどさ、きっと正気に返ってから恥ずかしくなるよ? ほら慣用句にあるじゃない、『穴があったら、』」

「『蹴落として、速やかに埋めてあげましょう』」

「怖い!」


 必死でツッコミを打ち返しながら、少女は少年を押しのけようと腕を突っ張る。今までになく押しの強い、と言うかセクハラじみた絡み方をしてくる少年に、彼女は酔っ払いって怖いと慄いた。


「ああもう、しっかりしてよ! キミそんなこと言うようなキャラじゃなかったでしょう!? 人格が崩壊しつつあるんだけど!」

「失礼な、こんなにも一片氷心たるに相応しく日々を過ごしているのに」

「こいつよくもぬけぬけと」


 一片氷心(いっぺんひょうしん)。俗世間の煩わしい事柄に染まらず、清くあることの意。断じて、今まさに無表情で飲んだくれている子供が主張して良い四字熟語ではない。


 耐えかねた少女は、とうとう腕尽くで少年を抑えにかかった。

 酔いが回っているならいっそ好都合だ。このまま寝かせてしまおうと考えて、薄っぺらな毛布の在処に視線を送る。

 けれど、それと同時。少女の注意が逸れた一瞬を、酔ってなお敏い少年は見逃さなかった。


「――あ!」


 少女の口から悲鳴が上がり、少年の手が少女の手から瓶を奪い取る。

 甘い花と酒の香りを感じながら、彼は迷わず瓶に口を付けた。然程の大きさもない瓶を傾けると、ほとんど残っていなかった中身が一気に咥内へと流れ込んでくる。


「あああああっ! ちょ、これ以上は駄目だって……!」


 少女の上げかけた抗議の叫びは、言葉半ばで飲み込まれた。

 開いた少女の唇を包み込んだ熱くて柔らかい何かの正体を知る前に、少しだけ温い液体が喉へと流し込まれてくる。

 文字通り目と鼻の先にある、端正に整った子供の顔を認識すると同時に、思考が弾けたように混乱の渦へと叩き落とされた。


 ――――は、


 無意識のうちに、少女の双眸が限界までこじ開けられる。


 考える間もなく舌を焼いたのが、香りは良いが極めて無骨なアルコールの味であること。

 己の記憶にある限り、他者と唇を合わせたのはそれが初めてであること。

 よりにもよってその相手が、齢二桁にも届かぬ幼子であること。

 今もまさにその幼子の顔が、己の視界に大写しになっていること。


 そんな諸々の事実が、一瞬にしてフラメンコの如く彼女の脳内を舞い踊り――



「――――――――みせいねんいんこうッ!!」



 そんな奇声を最後に、彼女はその場で卒倒した。


「…………」


 一方で、その事態を引き起こした張本人はと言えば、こちらは少女と超至近距離で向き合いながら、ぶっ倒れた少女の姿にぱちりと目を瞬いた。


 白目を剥いた少女は、年頃も近い娘にあるまじき顔で気絶している。

 完全に意識がないのを確認してから、少年はようやく彼女から顔を離した。

 そうして、


「…………」


 ――ほっくりと。

 少年の唇が綻んだ。


 彼女を見下ろして心なしか柔らかく緩んだ表情に、もしも当人が見ていたなら「イヤイヤおかしいだろその反応!」と全力でツッコミを入れただろう。

 そんな少年はうっすら目を細め、再び少女へとすり寄っていく。いつもの無表情こそさして変わらぬ様子ながら、纏う雰囲気はゴロゴロ喉を鳴らして日向ぼっこをする猫を想わせた。


 色気は、無い。下心も。

 ただそこにあるのは、まるで飼い主に懐く子猫のような、どこまでも幼い慕情だけで。


(……にげない)


 胸に頭を擦り付けて、胸中で満足そうに独りごちる。

 構えと言わんばかりに絡みついていた先程、眉を顰めて抵抗され続けたせいで溜まっていた不満がやっとのことで消えていく。

 少女の抗議がないのを良いことに、とりあえず少年はやりたい放題することに決めた。

 頭を擦り付けようが添い寝しようが何の反応もしない少女に、しかし彼は至極満足そうな様子で微かに唇に笑みを刻んだ。


 ――意識がないなら反応はしないが、代わりに逃げもしないのが嬉しいなあ、とか。

 そんなことを考えているなんて、彼女が知ったら「その思考は危険信号!!」と絶叫しただろうが。


「――ねえ、みせいねんいんこうってどういういみなんですか……?」


 アルコールに焼かれて少し掠れた声で、少年は少女に問いかける。


 少女は答えを返さない。まあ、当たり前の話だが。


「たんじょうびをメルファーナの花でいわうものだなんて、だれにきいたんですか? 僕らのような生まれをしていて、僕らのような育ちかたをしていて、どうしてたんじょうびを『ことほがれるべきもの』だなんてにんしきできるんですか? ――どうしてあなたは、そんなにも『ふつう』でいられるんですか? どうしてあなたは、そんなにいろんなことを知っているんですか……?」


 呂律の回らない口調で囁いて。

 とろんととろけた眼差しで、彼はゆっくりと瞬きをする。枯れ葉色の長い睫を伏せ、酒臭い息を吐き出して、少女の胸にこてんと頭を乗せた。


 ――おうり、さん。


 唇だけで象った、この地方では耳に馴染まぬ響きを宿したその単語は、かつて出会った頃に一度だけ、彼女が名乗ってくれたもので。


「――あなたにその名前をあたえたのは、いったいだれなんですか……?」


 ――ずっとずっと、不思議に思っていた。

 それでも、問えば少女が困るから、心の奥底に押し込めて。己に向けられる少女の表情が歪む可能性を無意識に恐れ、喉を突きそうになる問いかけを、腹の中へと呑み込んで。


 ――何も知らなくても、傍にいられるならそれだけで良い、なんて。

 幼い気持ちで健気に思える時期がいつまで続くのかなんて、少年自身にも分からないけれど。


(僕は、ききません)


 彼女の胸に耳を押し当てながら、少年はそっと目を閉じた。

 とくん、とくんと脈を打つ、落ち着いた心臓の音が聞こえる。

 彼女の体温はいつもより少しばかり高いが、これはきっと酒のせいだろう。

 甘い花と、アルコール。彼女の身体からほんのりと漂う香りが、自分と同じものであることに満足した。


(なにをかくしていようとかまわない。あなたがかくしているなにかが、僕からあなたをひきはなすようなことでさえなければ)


 ――彼女のことで我慢するのは嫌いじゃない、と。

 頭の片隅で呟いて、少年は酔いに任せて少女の痩身を抱き締める。

 それからようやく全身の力を抜き、本格的にぼんやりしてきた意識を静かに闇へと沈めていった。

 明日の朝目が覚めて、自分たちが最初に見るものが互いの顔なら良いと、うっすら思いつつ。




※※※




 ――余談だが。


 翌朝、二日酔いもなくあっさり目を覚ました少年は、己がやらかしたことを全く覚えていなかった。

 ツキツキ痛むこめかみを押さえて青い顔で呻く少女を、彼はやれやれと言わんばかりの表情でてきぱき介抱してやった。


「全く、どれだけ飲んだんですか。あなたは僕より年上なんですから、限度くらい弁えてくださいよ」

「ハハハハハ! ハハハハハハ!」


 たとえどれほど混沌に満ちた一時を過ごそうと、夜が明ければ昨日と変わらない今日がやってくる。

 何を言われても返事を返さず、引き攣った顔で空笑いばかり上げる少女に首を傾げながら、少年は今日もせっせと下働きをするために身支度を整えた。


 舌に残る花酒の味は、甘い香りと僅かな苦みを漂わせ。

 渇きを訴える喉に、二人分の水を用意しなければならないと考えつつ、少年はふと首を傾げた。


「ところで、なんだか『みせいねんいんこう』って言葉が頭に残ってるんですけど、どういう意味だか分かりますか?」

「!!?」


 聞き覚えのない、けれど妙に記憶に引っかかるその単語を口にすれば、少女がぎょっと肩を跳ねさせたのが分かった。

 数拍置いて真っ青になった顔を強張らせ、頭を抱えてガタガタと震え始めた少女の姿に、何かのまじないかと再度怪訝な顔をする少年が真実を知る時は、多分しばらく来ないだろう。


 ――それから、もう一つ。

 寝起きで幾分回転の遅い意識の片隅、何故かその唇に仄かに残る、柔らかで不可思議な感触の理由も――


 きっと、教えられることはないのだろう。



 花酒やメルファーナについては、以前書いた「花舞う~」を参照してください。

 この物語はフィクションかつファンタジーです。未成年の飲酒は身体に悪影響を及ぼす可能性が高いので、良い子は絶対に真似してはいけません。



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