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かつて見た果て  作者: 笠倉とあ
番外編
12/18

花舞う風に散る夢と-3

 歩いているうちに一群の雑草を見つけて、少女は足を止めた。

 何の変哲も薬効もない、紫がかったただの草だ。けれどそれが彼女の目に止まったのは、かつて彼女が小学校に通っていた頃、友人と遊んだ草笛に似ていたからだった。


 葉の一片をぷちんと切って、唇に軽く当てる。青臭い匂いがふっと立ち上って、葉毛の感触が肌を刺した。


 ――ピョープ。


 ゆっくりと息を吹き込むと、葉が震える感覚と共に、少し間の抜けた音が耳に響いた。

 友人と共に楽しんだ音ではない。けれどいつになく懐かしい記憶を刺激されて、彼女は何度も息を吹き込んだ。


 ――ピョープ。


 ――ピョープ。


 ――ピョープ。


『ピョープ』


「…………ん?」


 何だか一つ余計に音が交ざっていたような気がして、少女はひょいと顔を上げた。しばらく辺りを見回した後、もう一度、ピョープ、と草笛を鳴らしてみる。


『ピョープ』


 ――やっぱりまた聞こえた。


 一度意識に引っ掛かると、どこまでも正体が気にかかる。

 少女は何度も草笛を鳴らしながら、木々の間を進んでいった。

 やがて辿り着いた、一際大きく聳える木。その上から覗く姿に、小さく目を見開いた。


「おお……!」


 枝の上に設えられたのは、木の大きさに劣らないビッグサイズの巣。小枝を組み合わせて作られたそれは、恐らく子供一人くらいなら潜り込めるだろう。

 そんな巣の中、高い樹上から身を乗り出してこちらを見下ろしているふわふわもこもこの雛鳥たちに、少女は思わず微かな歓声を上げた。


 雛たちを覆う黄色い羽毛は綿毛のようで、胸にスカーフのような赤いワンポイントが付いている。

 大きな丸い目をぱちくり瞬かせて彼女を見ている雛たちに向かって、少女はもう一度草笛を吹いた。


 ――ピョープ。


『ピョープ』

『ピョープ』


 沈黙は半秒。

 応えるようにとぼけた鳴き声を上げた雛たちに、少女の頬が嬉しそうにへらりと緩んだ。




※※※




 本日の野宿の準備をしながら、少年と青年はもう一人の同行者である少女を待っていた。

 彼女は夕飯の材料を探すと言っていたから、多分茸の一つでも見つけて来るだろう。焚き火の準備をしている青年――アレクを横目に見ながら、枯れ葉色の少年は方位磁石を懐に片付けた。


 アレクが同行するようになって、今日で二日目。これまで見ている限りでは、少なくともアレクは少年の知る里人たちより、遥かに理性的な人間であるようだった。


 肩を痛めたとは言っていたが、彼が少女に持って欲しいと頼んだ鞄は空っぽの水桶程度の重さしかなかった。

 少年と少女を信用していないと言うよりは、元より荷物が少なかったらしい。他には両手に収まるくらいの小さな箱が一つあるだけで、アレクはそれを自分で大事に持って歩いていた。


 また道中の言動も極めて穏和で、彼は山に慣れた子供たちの助言をよく聞いた。

 山の歩き方、獣除けの作り方、薬草の話。

 何にでも興味を持って聞きたがる割には完全な無知というわけでもなく、時折見かける動物や花の名前に関しては、時に少年や少女よりも詳しい。

 食事の内容に不満を言うことも一切無く、昨夜も少女が作った川魚と茸の串焼きを美味しそうに完食していた。彼が荷物から出した缶入りの携帯食料は、傷んでいるからと中身も確かめずに薪の燃料になった。


 二日間アレクを観察した少年は、どこか彼から、ずっと本の知識ばかり学んでいた子供が、初めて外に出てはしゃいでいるような印象を受けていた。

 聞けば彼は、元は町の名士の次男坊であったのだという。

 幼い頃から病弱だったそうなので、山に来たのもこれが初めて。

 話だけなら箱入り息子だが、実際の彼は存外思い切りが良いようだった。何せ家出の理由が、『冥の川の向こうまでと誓った恋人を探し出すため』だと言うのだから、中々出来ることではない。


 ちなみに冥の川というのは、この国で広く信じられている冥界の神ノーグフリュドの守る川のことである。この川はこの世とあの世を隔てるとされ、死者は誰でもこれを渡って冥界に行く。

 死んだ後も共にと約した恋人を連れ戻しに行く気概は尊敬に値するが、その行動力が無謀に結び付かなければ良いがと、少年は柄にもなく不安を覚えた。


 今もアレクは野宿の用意を積極的に行い、鼻歌を歌いながら鍋の用意をしている。今日は少女が何を作ってくれるのだろうと独りごちていた彼は、向けられている視線に気付いたのか、ふと顔を上げてこちらを見てきた。

 時折心を見透かすような目をするアレクに、少年は小さく肩を跳ねさせた。


「――ねえねえ、君は彼女とはどういう関係なの?」

「……?」


 如何にも好奇心一杯です、というような雰囲気で。

 ひょいと差し出された水筒に大人しく口を付けながら、少年は向けられた質問に無言で首を傾げた。アレクは大好きな本を開く直前のような表情で、楽しげにこちらの返事を待っている。


「……どう、と言われましても。僕と彼女は同じ里の住人ですよ」

「そうじゃなくてさ、もっと限定した範囲で。姉弟じゃないよね。幼馴染? 友達? それとも恋人?」

「恋人は、あり得ません。僕らは……まだ、幼いですし」


 環境のことには言及せず、年齢だけを理由にする。アレクは整った眉を僅かに下げ、不満そうに小首を傾げた。


「年齢は関係ないと思うけどなぁ。君たちは――君は、二人でいる時、何だかとても幸せそうだから」

「邪推ではないですか?」

「えー。でも、君が俺に協力してくれるのだって、彼女が俺に付いて来ると決めたからだろう? 君にとって、彼女は何よりも優先順位が高いんだと思ってたよ」

「……僕らにも色々と事情や都合があるのです。第一、それが恋情に直結するとは限らない」

「でも、君は彼女が好きだろう?」


 敢えて考えたことのなかった言葉を突き付けられ、少年は一瞬息を呑んだ。その態度をどう見ているのか、アレクは眉一つ動かさずに話を続ける。


「恋情に直結しないっていうのは、君と彼女にも当て嵌まるのかい? 一言好きだと言ってみれば、見えるものもあるだろうに」


 ――差し出口を、と。

 そう思わなかったわけではない。


 どこか諭すような口調で語りかけるアレクに、少年は僅か、眉間に浅い皺を寄せた。


 彼らの現状を、アレクは知らない。知らないからこそ、こうして好き勝手言える。

 ぐるり、と押し殺した感情が渦巻いたような気がして、少年は顔を顰めた。


(随分と、簡単に言ってくれますね)


 ――きっとアレクには分からないのだろう。

 願いも言葉も選択肢も、片端から奪われてきた人生も。

 欲しがることさえ忘れてしまった生き方も。

 自分の望みも感情も、突き詰めないことを選んだ少年の感情など。少女から与えられる手の温もりを握り締めることに精一杯で、口を噤み続ける少年の気持ちなどは。


 ――あなたに、


 発作的に口走りそうになった罵倒の言葉に、少年は気付いて唇を閉ざした。


 ――あなたに、僕らの何が分かると言うのです。


 自分たちの間に干渉されることへの不快感と、半ば本能となった『大人』に対する服従と。

 せめぎ合うそれらを何とか腹に飲み込んで、少年はゆっくりとアレクを見上げた。


「――そうですね。もしも、仮に。僕が彼女を、何にも代え難く好いたとしても。きっと僕は、彼女にそれを告げようとはしませんよ。何故ならその想いには先がない」


 少年は考えたことがある。いつか彼女が辿る未来。

 里で唯一の薬師は、いずれきっと本人の意思に関わりなく、少年でない誰かの元に娶せられる。今の彼には想像も出来ないし、したくもない光景だけれど、思い付いてしまったそれは、同時に確信でもあった。


 そして、孤児の雑用に過ぎない少年には、顔も知らないその誰かより、少女を幸せにする自信はなかった。

 だって自分は里の者とすら認められていないのだ。そんな想いは里人たちとて許さないに決まっているし、自分では婚姻によって彼女の立場を固めてやることも出来ない。


 ――いっそ愚かなほどに甘ったるい彼女ならば、自分が縋れば未来を捨ててでも傍にいてくれるかも知れない。そんなことを思わないわけではなかった。

 けれどその選択肢は、少年自身が自分に許せない。

 彼女が誰かに恋をして、愛して嫁ぐと思うだけで、吐き気がするほど苛立ちが募る。一生独り身でいれば良いと思う。あんな変人、誰にも手綱を握れるものかと、八つ当たりじみた怒りが湧く。


 それでも。


「――引きずり下ろすくらいなら、僕は一人で此処に居ます」


 たとえこれが恋だとしても、気付かなければ手を伸ばそうとは思わないだろう。

 誰も彼女を見なければ、自分だけが傍にいられるのだろうか。そんな仄暗い想いを胸の奥底に押し込めて、彼はこの微妙で絶妙で複雑な位置に留まり続け、彼女の横顔を見続ける。


 ――置いて行くくらいなら不幸になってと、渇いた心が叫んでも。

 ――手を離されても我慢するから笑っていてと、柔らかな感情が叫んでも。


「――言った方が良いよ」


 ぽつりと呟いたアレクに、少年は今度こそ険悪な瞳を向けた。

 一体何を聞いていたんだと、枯れ葉色の目が鋭く尖る。けれどその視線は、思いの外真剣だったアレクの眼差しに力を失った。


 俺はきっと酷いことを言っているんだろうね、と。

 何かを思い出しているような静かな声で、アレクは淡々と言葉を紡いだ。


「でも、言った方が良いよ。でないと後悔する。仕方ないんだ。そういうものなんだ。どんなに理屈を付けたって、いざその手が二度と触れられない場所に行ってしまったら、死にたくなるほど後悔する。後悔してしまう」

「――僕は、」

「だから、俺はそうしたよ。好きも愛してるも一緒に居ても、『彼女』に惜しみなく言い続けた。いつか何も伝えられなくなる日が来ることが分かっていたから、その前に一つでも多くのことを『彼女』に伝えたいと思ったんだ。

 そうして尚、俺は言い足りない。父さんたちに追い出されて消えてしまった『彼女』を追って、伝え切れなかった言葉を伝えるために、俺は結局、今でもこうして『此処』に留まっている」


 ――だからこれは老婆心、と、少年を真っ直ぐ見据えて彼は続けた。


「覚えておいてね。君たちの周囲がどんな状況なのかなんて、俺には分からないけれど。でも、言えなくなってからじゃ遅いんだよ。君が手を離した後の彼女が、今より幸せになれるかなんて誰にも分からない。目を逸らし続けて、姿も見えなくなった後で、どれだけ叫んでも意味がないんだから」


 返す言葉が見つからず、少年はアレクを見上げたまま沈黙した。

 見詰め合う二人の間を隔てるように、ざあ、と乾いた風が吹く。冷気を孕んだそれが体を撫でて、アレクの眼差しと共に奇妙な予感となって少年の意識にこびり付こうとした時、アレクがふっと顔を上げた。


「ああ、ほら、戻ってきたみたいだよ」

「……そうですね」


 無意識に詰めていた息を吐き出し、少年はぎゅっと胸を押さえた。

 木々の向こうから駆けてくる少女の姿を見て取って、一度だけ、強く唇を噛み締める。中途半端に途切れてしまった話が何だか酷く気に掛かったが、もう一度蒸し返す気にはなれなかった。


 少年の前に戻ってきた少女は、いつも通りの呑気で朗らかな表情をしていた。


「ただいまー! 茸沢山採って来たから、今日は茸鍋にしよう!」

「お帰り、お疲れ様」

「……お帰りなさい」


 へらりと笑って麻袋を掲げてみせる少女に、もう先程の会話の名残も見せないアレクがのんびりと返事を返した。気を取り直した少年も何とか挨拶を返した後で、その手が持っている紫がかった葉っぱに気付く。


「……それは何ですか? 薬草には見えませんが」

「あ、これは草笛に使ったの。この笛そっくりの声で鳴く雛がいてさ、可愛かったんだよー」

「へえ、どんな雛だったの?」

「黄色の綿毛みたいでした。やたらでっかい巣に住んでたから、きっと大きくなるんだろうなぁ」


 ピョープ、と草笛を吹いてみせる少女に、少年がすっと眉を顰めた。


「黄色い羽毛……ひょっとしてその雛、胸の所が赤くありませんでしたか?」

「あれ、知ってるの?」


 きょとんと視線を向けてくる少女に、少年は小さく舌打ちをした。そうして足早に身を翻し、設置してあった道具を回収にかかる少年に、少女とアレクが目を瞬く。


「え、え、どうしたの? 何かあった?」

「その雛がどうかしたのかい?」

「……少々厄介な鳥の巣である可能性があります。少し遅いですが、今日はもう少し先まで進みましょう」


 確か、以前の村でそんな鳥の話を聞いたことがあった。成長するに連れて羽毛はクリーム色に、胸の赤は緑がかった青に変わる、犬くらいなら攫えるほどに大きな鳥。性質は大人しい方らしいが、雛が待つ巣の傍では一転凶暴性が増すという。

 勿論、実物を見たことは一度もない。だから確証だってないけれど、用心しておくに越したことはないだろう。


(人間を襲うことはあまりないようですが、この辺りが縄張りだとしたら少し危ないですね。もしかしたら、彼女が崖に落ちた時の風もそれのせいかも知れませんし……)


 あれこれ思考を巡らせながら、少年は自分の荷物を背負い上げる。同じく準備を終えた少女とアレクが、辺りに目印を残してからこちらを見やってきた。


「急ぎましょう。日が暮れるまでに距離を取りたいです」

「はーい」

「任せるよ」


 各々の返事を返す二人に、少年は方位磁石を取り出し、意識して先頭を歩き始める。

 すぐ後ろで鍋料理に良い香草について会話を交わしている二人の顔を、今だけは真っ直ぐ見る気になれなかった。



 たとえ少女のことが好きだと認めて、恋を自覚する時が来たとしても、下手に頭が良い分相手のことを色々考え過ぎて踏み切ることができないのが『かつて~』の少年。

 そして散々我慢して想いを押し殺した挙げ句に双方救われない結果になっちゃって、こんなことなら二度と遠慮なんてするかクソがってなったのが『いつか~』のラトニ。

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