8.徳川家康私婚事件 -6
「....とりあえず、1度北政所様と話をさせて欲しい」
増田長盛と長束正家からの提案を熟考した後、家康はそう返した。
話が急過ぎるというのもあるが、家康たちからすればこの2人の言っていることが本当なのかを確かめる必要があった。
戦国時代において嘘をつくのは日常茶飯事であり、調略の基本である。
1度騙して判断を誤らせてしまえば、取り返しがつかなくなって後に引けなくなる。
家康が自らの暗殺計画を理由に誰かを処罰してしまえば、後になって暗殺計画自体が虚偽だったなどと言い出せるはずもない。
勢いのまま2人の言うことを鵜呑みにすることそのものが、家康に対する罠である可能性もあった。
2人もこの返答を予想していたのか、家康の要望をあっさりと了承。
正式な解答は後日と決まり、この場での話し合いは終了となる。
しかし、正家は最後に家康に釘を差していった。
「家康様への権力の一本化と、横暴を許すということは同じではありません。明らかにやり過ぎた場合や、政権のためにならないと判断すれば対処します。その点だけはお忘れなきようお願いします」
後日、家康は北政所と会い事情を聞くが、正家たちに言われたことをそのまま繰り返される。
それどころか9月末前には大阪城を出るので、急いで準備するよう言われる始末だった。
家康は外堀が全て埋められているのを察し、その場でどうこう言わずに大人しく屋敷へと戻る。
そして、本多正信と最後の確認をしていた。
「正信。事ここに至ってはやるしかないぞ」
「ここまで来たら逃げられそうにありませんね。断ったらこちらが処罰されるでしょう」
「大老の地位を失うくらいでは済まんだろうな...」
「伏見城の占拠と合わせ、減封を受けるのは避けられないかと。秀頼様との婚姻の話も取り上げられようものなら、この先徳川家は冷遇され続けることになります」
「それにしても北政所様はあっさりと大阪城から出ていこうとしたな。何かあるのか?」
「さあ?ただ、誰かが出ていくとした時、一番事を荒立てずに話を進められるのはあの方でしょうね」
「前田家を大老から下ろすにしても、交渉の窓口をお願いしたいところだな」
「前田利長様のご母堂とも付き合いが長いですからね。非公式で構いませんから頼んでおきましょう」
9月26日。
北政所が大阪城西の丸から退去し、京都の屋敷へと移動。
9月28日。
空いた西の丸に家康が入り、天守閣の造営に着手。
10月に入ると暗殺計画の関係者の処罰を始める。
これにより名実ともに、家康は天下人として見なされるようになった。
一方で、この頃から上方ではある噂が広まり始める。
家康が淀殿と祝言を上げるという話だったり、大野治長が淀殿を高野山へ連れ去ったという話である。
中には淀殿と治長が密通しているというものもあり、噂の大本が特定されれば処罰されてもおかしくなかった。
「ワシと淀殿の仲が良いという噂を最近よく聞くのだが...」
家康は身に覚えがない噂について正信に尋ねた。
不敬と言われても仕方がない内容の割になぜか摘発も無いまま、この噂は9月頃から急速に広まっていった。
「はい、よく聞きますね」
「あれは誰が流しているんだ?」
「一番怪しいのは豊臣家では?内容の割に調査もまともに行われていませんし」
「なんでそんなことを...?」
「秀頼様の婚姻はまだ先です。そこで、手っ取り早い相手同士で婚姻を結んでしまえば、徳川家の取り込みができるからでは?豊臣家と徳川家の関係が良いことを強調し、豊臣家の存在感を出しつつ、信頼できない地方の大名たちを牽制することができます」
「つまり、ワシと淀殿は仲が良いが、淀殿の乳母子である治長殿はそれを良く思っていない。それどころか邪魔をするので今回の騒動でまとめて排除し、邪魔者がいなくなった2人はそのまま婚姻。秀頼様の婚姻も無事成立すれば、徳川家は文字通り豊臣家の補佐筆頭という筋書き?」
「はい。概ねそんな感じですね。実際に婚姻するかはさておき、仲睦まじいというだけでも大きな影響があります。それに、婚姻や養子で他家を取り込むのは秀吉様の常套手段ですよ」
「...そこまでやるか?」
天下の豊臣家の権力者筆頭である淀殿が、わざわざ自分の評判を落とすような真似をしてまで徳川家を取り込もうとするのか。
いまいち受け入れられない家康だが、正信の方はさも当たり前のように話を続ける。
「お忘れかもしれませんが、淀殿は落城を始めとして幼少の頃からかなり苦労されております。綺麗事だけではどうにもならないと骨身に染みているでしょう。北政所様にしてもそうですが、大名と共に戦国時代を生き抜いてきた女性たちは強かですよ」
「つまり、この先ワシを取り込もうとしてくる可能性が?ただ、ワシとしては北政所様の方が...」
家康は照れが半分、本気で困っているのが半分といった様子を見せる。
そんな家康を冷ややかに見つめながら正信は切り捨てる。
「安心して下さい。淀殿は英才教育を受けて居られます。加えて、お相手だった秀吉様は教養深く、各方面の名人などからも高い評価を得ております。殿のような無骨者とは共通の話題が乏しく、まともに会話すら続けられないでしょう」
「待て、最近はワシも色々と頑張ってだな...」
「思いをしたためた歌とか詠めますか?」
「.........無理だな」
「まあ、上手くいくならそれに越したことはありません。下手に関係を悪化させなければ好きにして頂いて結構です。あちらも関係改善ができれば良いくらいに思っているでしょう」
結局のところ、家康と淀殿の婚姻といった話は噂に留まり実現しなかった。
仮にこの段階で実現していれば、徳川家と豊臣家の結びつきは強固なものとなっており、この先における豊臣家の未来が変わっていたかもしれない。




