導かれて 七
書物から手を離して、改めて居間の中を見回す。本棚に収めきれない書物が床の上に山となって積み上げられているが、ここには一体何冊くらいあるのだろうかと思った。目算で、少なくとも二〇〇冊は超えているだろう。数少ない魔導書を集めるのにどれほど労力を使い、時間がかかった事か。それに思いを致すと気が遠くなる。それに、希少な魔導書には値をつける事さえ難しいものだ。
雷韋の魔術の師も魔導の研究をし、時に記録をつける事もあったが、それは誰にも譲れないと言っていたのを思い出す。自分だけの記録なのだと言って、弟子の雷韋にさえ見せようとはしなかった。触れる事も、それどころか近付く事さえも許されなかった。
それを思い起こすと、やはりどうやって入手したのかが気になった。
と、そこで皿が二枚、目の前に置かれた。片方は豆と肉を煮込んだスープを入れたスープ皿。もう一枚には数切れのパンがのっている。
「ご馳走にはほど遠いけど、食べて」
目の前に置かれた皿からスープのいい香りが湯気と一緒に立ち上り、すぐに雷韋の空の胃袋を刺激した。丸一日何も腹に入れていないのだ。飢えている雷韋には充分魅力的に映った。口の中にもすぐに唾が湧く。
それに気を取られて、数多の魔導書の事を忘れそうになった。
けれど、それではいけないのだ。
「あのさ、一つ聞きたい。ここにある魔導書、どうやって手に入れたんだ? 普通、魔導書は金で買えるような代物じゃないだろ」
それを受けて、雪李は雷韋の正面の席に座りながら、困ったような笑みを浮かべて目を逸らす。
「確かに金銭で遣り取り出来るものじゃないのは認めるよ。実際、お金は渡してないしね」
「どういう事だ」
雷韋は急に不審そうな顔付きになる。
「死んだ魔導士の家を探して、そこから持ってきたんだ」
その言葉に、雷韋の目が見開かれた。
「召喚魔法で風の精霊を呼び出して、彼らに調べさせて掻き集めてきたものなんだよ」
雷韋の声はなかった。まさかそんな方法で集めたものだとは思ってもみなかったのだ。言葉など出るわけがない。
雪李は困った風に笑んで、「軽蔑する?」と口にした。
雷韋は何も言わなかった。いや、言えなかった。確かに魔導士は隠遁して生活する者が多い。その隠遁者が死ねば、魔導書は人知れず遺される。雪李はそれを集めていたというのだ。
はっきり言って、軽蔑の対象だった。それどころか、
「あんたが、殺したんじゃないよな」
そんな疑惑が持ち上がる。
「違うよ。それは絶対に違う」
そのまま碧の瞳と琥珀の瞳がぶつかり合った。
そして先に目を逸らしたのは雷韋だった。
「もういい。聞きたくない」
「驚かせたね、ごめん」
言う雪李の顔が、悲しみの色を湛えていた。
「ごめんですむかよ。あんた、最低だ」
「それでも、どうしても僕は世の理を知りたかったんだ」
「もし本当に理に触れるってんなら注意した方がいい。精霊の怒りに触れないようにな。本当なら、精霊だけが知っていればいい事なんだから」
雷韋は雪李をちらと見遣って、酷く嫌そうな顔をした。
「分かったよ。無茶はしないと約束する。僕も命が惜しいからね」
「うん」
「じゃあ、一つ話が終わったところで、食べて」
そう言って、雪李は手で食事の器を指し示した。
雷韋は僅かに顔を俯け、上目遣いで雪李を見た。見上げる雪李は、困ったように首を少し傾げながら笑んでいた。
正直なところ、雷韋は沸き上がってきていた空腹感を失ってしまっていた。不信感が大きいのだ。
それでも雪李は「さぁ、早くしないと冷めてしまうよ」と手振りで食事を促してくる。
その促しに、雷韋は仕方なくパンの一切れを手に取った。折角、用意してくれたものでもあるからだ。
雷韋はパンを一口大に千切り、スープに浸して口に運んだ。スープがしっかり染みたパンが口内に運ばれると、失われていた食欲が一気に舞い戻ってくる。久方ぶりの食事という事も手伝って、それはとても美味しく感じられた。皿の中には見受けられなかったが、肉の臭いを消す為に入れたのだろう香草の匂いが微かにする。
そうして一度手をつけると、あとはもう止まらなかった。飢えが込み上げて、食べるのに夢中になってしまう。
その様子を雪李は微笑を浮かべて眺めていた。雷韋が懸命に食べている間、雪李は微笑みを絶やす事はなかった。ただただ、「口にあってよかった」と言うだけ。
雷韋はスープ皿の上に最後に残った豆を匙で掬って口に放り込み、それを咀嚼して飲み込むと、大きな溜息をついた。
それは実に満足げなものだった。
「あ~、旨かった。ご馳走様」
言う雷韋の顔は、年相応の子供らしい無邪気な笑顔だった。腹がくちくなった事によって、雷韋の中に張っていた緊張の糸が切れたようにも見える。いつもなら二人前、三人前の食事を平らげる雷韋だったが、今夜はこれで充分満足出来た。
「お粗末様でした」
返す雪李も嬉しげだ。
場には柔らかく暖かい空気が流れていた。食事前の刺々しい空気は微塵もない。
だが、雷韋は忘れてしまったわけではないのだ。雪李がどんな方法で魔導書を集めているかを。ただ今は、心底から満足していたのだ。心の隅には軽蔑する気持ちは残っているが。
それを分かっているのかいないのか、雪李の態度はなんら変わらず、微笑みを浮かべたままだった。




