導かれて 六
「僕はね、魔術の可能性を追求している。その為に定住地が欲しかったんだよ。その間、色々ごちゃごちゃあったけどね」
雪李は戯けて肩を竦めた。
「異種族の君には分かっていると思うけど、この世界は全て魔術から生み出された。光竜という原初の神の御言葉から。僕は世界の理を知りたい。人の身で、理をどこまで突き詰められるのか、それを試してみたいと思ってるんだ」
「神を試そうってのか。何考えてる。あんたのしようとしてる事は神への冒涜だ」
雷韋の声音は刺々しかった。たかが人如きの身で神を試すなど、決してしてはいけない事だ。そんな事は子供でさえ分かる道理だ。人族は誰もがこの世の理に従って生きている。生かされている。
魔導士なればこそ、それを外れてはならない。
雪李のしようとしている事は、この世界を形作った神──光竜──の御言葉、神代語の所以を知ろうとするもの。それを知るのは精霊達だけでいい。今は大地となって眠りに就きながら世界を見守る光竜の意志を汲んで、世界を回す彼らだけが知る事を許されている。
所詮、人族はそれに従う存在でしかないのだから。
だから雷韋は雪李のしようとしている事を間違っている、としか言えなかった。神の領域と人の領域はまるで違うのだから。
雷韋は刺々しく言葉を吐き出したあと、むっつりと黙り込んでしまった。目の前にある書物がまるで汚物のように映る。汚らしく、そして卑しいものと。
不機嫌を露骨に顔に表して黙り込んだ雷韋を見て、雪李は雷韋の正面にある椅子に腰掛けて笑いかけた。
「大丈夫。神の領域にまで踏み込むつもりはないよ。人族として、どこまで追求出来るか、それを確かめたいだけなんだ。調べたからと言って、他言するつもりもない」
「当たり前だ」
「そうだね」
苦笑を見せてから、雪李は急に話題を変えた。
「そう言えば、まだ君の名前を聞いてなかったね。なんというの? いつまでも、君、と呼び続けるのも味気ない。よければ名前を教えてくれないか」
その言葉に暫し考え込んでから一言、雷韋、とだけ答えた。
「雷韋? 異種族なのに、神代語の名じゃないんだね。共通語だ」
雪李は不思議そうな声を出した。
言語は種族によって様々ある。獣の眷属は、光竜が与えた神代語を使う事も多いが、中には独自に変化している場合もある。それでも、名前だけは神代語の名を付けるものだ。
今は地上で最も繁栄しているのは人間族だ。他の人族は奥深い山や森の中で、結界を張って生きている。
今から遙か昔、神世の頃は神も全ての人族も交わりあって生きていた。そんな世界では、人は互いに意思の疎通が出来なければ生きていく事が出来なかった。
生物として未熟であったから、互いが互いに助け合っていた時代だったのだ。
共通語はその為に人族が創り上げた特別な言語だ。
それから神が地上から姿を消し、地上は人の世界になった。そうして様々な人族の中でも、寿命が短い分だけ繁殖能力の高い人間族が地上に溢れたが、広い大陸中に移り住んできた人間達は共通語をそのまま自分達の言語としたのだ。けれど、ほかの種族も決して他種族と交わらないわけではない。だから獣の眷属にも未だ『共通語』は必要とされているのだ。
しかし獣の眷属である雷韋の名前が共通語というのは、常識的に考えておかしかった。普通なら、神代語の名前の筈だからだ。
だが、雷韋は言った。その原因を。
「俺が赤ん坊の頃、拾って育ててくれたのが人間族だったから。だから神代語の名前はない」
雷韋は雪李のしようとしている事が許せなくて、不満の気持ちを込めて素っ気なく返した。
そんな雷韋の態度を意に介す様子も見せず、雪李は卓の上の瓶を棚に片付け始めながら更に言葉を重ねた。
「拾われたって、どうして。親は?」
「一族は誰かに根絶やしにされた。……俺を残して」
「それで人間に拾われたの」
その言葉に、こくりと首肯する。
それを聞いて、瞬間、雪李は思いを巡らせた。そして問う。
「じゃあ、種族の名は分からない?」
「いや。鬼族。その中の夜叉という一族だ」
雷韋の生まれたセネイ島では夜叉族は神の系譜として、その存在を知られていた。実際に島の人間とは関わりを持つ事なく結界を張って縄張りの中で生きていたが、古くから夜叉という神がいる事、そしてその存在を人間達は密かに羨望の意を込めて崇めてきたのだ。
それらをぽつりぽつりと雷韋は語った。
「大陸でも、もう俺の仲間はいないだろうって魔術の師匠は言ってた。俺は独りなんだ」
「そう……。それは辛いね」
雪李は瓶や硝子の筒をあらかた片付けて椅子に座り直すと、寂しそうに口にした。
その言葉を受けて雷韋は嘆息し、今度は逆に問い返した。
「あんたは家族とかいないのか?」
「いないよ。僕も独りだ。恋人はおろか、家族だってどこに行ったんだか」
返答の内容にもかかわらず、存外さらりと受け流す。そして唐突に雪李の言葉が突きつけられた。
「雷韋、君は手配中の賞金首だろう? 歳は十四、五の異種族。飴色の髪に琥珀色の瞳」
突然突きつけられた言葉にびくりと身体を震わせて、雷韋は雪李を見返した。大きな目が更に大きく見開かれる。
「俺を突き出すつもりか」
雷韋は反射的に立ち上がっていた。今にも部屋を飛び出していきそうな勢いだ。
だが、それに対して雪李は首を横に振る。
「落ち着いて。君を衛兵に突き出すつもりなら、ここまでの道のりで既に突き出しているよ。衛兵は夜だってこの街の至る所にいるんだからね」
「どうして……」
「困ってる人がいたら、助けたくなるのが人情じゃないかな。皆が皆、金の亡者じゃないんだ」
微笑むその言葉に雷韋が声を失っていると、意外な事を提案された。
「それより、君は追われてる身だ。その髪も瞳も容易に印象に残る。異種族だからかな。綺麗すぎるんだよ。だったら髪を染めて、瞳の色も変えてみない? そうすればここから逃げるにせよ、出歩くにせよ、衛兵にも門衛にも怪しまれない。勿論、その事を口外はしないから安心していいよ」
雪李のその言葉に、雷韋はなんとか言葉を捻り出そうとしたが、頭には何も浮かんでこなかった。ただ困惑した心持ちになるだけだ。信用していいのか悪いのかも分からない。どうにも掴み所のない言葉と態度が心に引っ掛かる。どう接していいのか分からないのに、雪李の手を取った時と同じように、さっきも自然と自分の出自を話してしまっていた。話して聞かせる義理などないというのに、言葉が勝手に口を突いて出たのだ。
どうにも相手にしづらい。それが正直な気持ちだった。
「まぁ、立ってないで座って。お腹も空いているだろう。残り物で悪いけど、今、用意するから」
言って再び席を立つと、居間の片隅にある台所に立った。
瞬間、雷韋の肌が再び粟立つ。おそらく、また火の精霊を召喚したのだろう。守護精霊が反応した感触があった。背後を振り返ると、雪李が鍋を竈にかけているところだった。そのまま様子を窺っていても、特におかしな行動を取る気配はない。パンを切り分けたり皿を食器棚から出したり。かと思えば、鍋の中身をかき回しているばかりだ。
それを見遣って、仕方なく雷韋は再び椅子に腰掛けた。すると、自然と卓の上に置かれている一冊の書物に目が止まる。する事もなく、なんとはなしに手は書物の頁を捲ろうとしたが、やめた。目など通したくもない。




