交錯 五
雷韋が去るのを見届けてから、闇の妖精族は幽閉塔へと歩み寄った。地下に通じる階段は天井が崩れていたが、闇の妖精族が壁に手を当てると、瓦礫が石造りの階段の中に吸い込まれていく。
瓦礫が消えたのと同時に、その向こうから衛士達と共に什智が現れた。
「おい、フォルス! あの異種族の小僧はどうした!」
闇の妖精族──フォルスは薄く笑んだ。
「逃げられた」
「逃げられただと! 何故だ」
「あれは鬼族という種族だ。光竜が天地を開闢したあと、一番始めに創った人族。古代種と呼ばれている。警戒色を示す黄色い瞳、力の源があると言う額には光があった。開眼はしていないようだが、鬼族は神の先兵。そして同時に神でもある。彼の力で皆倒れてしまったよ」
「倒れた? あの小僧が逃げ出す時、お前は何をしていた!」
詰るように言われて、
「僕は自分自身を守る為に必死だった。とても他までは手が回らない」
フォルスは雷韋を逃がした事を空惚けて返した。
「あの小僧は火の珠玉を持っていった。火の珠玉はどうした!」
「さぁ。彼が持っているというのなら、持って行ってしまったんじゃないかな」
「なんだと? 貴様、一体何をしていた」
「僕も自分の命が惜しい。もし開眼していたとしたら、人族の絶対の敵である魔族でさえも歯が立たないと言うからね……。神に手出しする事は恐ろしいよ」
「あれはただの異種族だろうが。何が神なものか。神とは天慧の事を言うのだ」
金切り声を上げてそう吐き捨てると、塔から広場へと出た。そして、練兵場に大勢の人間達が倒れ伏しているのを目にした。什智が連れてきた衛士達、魔導士が。
途端、什智は倒れている者達を蹴り付けた。
「ええい、何を寝ている。起きんか! 起きてすぐに異種族の小僧を追え」
蹴り付けられた者達はそれでも簡単には目を醒まさなかった。金切り声を上げられながら、何度も踏んだり蹴られたりして、ようやく目を醒ます有様だ。しかも自分に何が起こったのか分からないという風に、すぐには動き出さない。それを什智が怒鳴りつけて少しずつ衛士達を動かし始めた。
その時の什智の金切り声を聞きつけて、砦内にある邸の窓や兵舎の中からエウローンの兵士や召使いが何事かと顔を覗かせる。
雷韋が無意識のうちに使ったのは風の衝撃波だ。だがそれは、風圧でどうにかしたわけではない。人間族の守護精霊である風に対して発動したのだ。だから近くにいた人間達は倒れた。守護精霊達が突然の力の伝導に混乱した為だ。それも雷韋が火の力を身内に取り込み、それを風の精霊に伝えた事で起こった事だった。火の珠玉があったからこそ出来た技だ。今の雷韋の能力だけではそんな事は出来ない。什智達が倒れなかったのは、遮蔽物があり、地下にいたからだ。
正気に戻った衛士達が砦の城門から走り出ていく。雷韋を追う為に。
什智は兵舎にも癇癪に似た声を張り上げた。
「異種族の小僧を追え。飴色の髪の異種族の小僧だ」
**********
その什智の様を砦の楼閣から見ている者があった。
什智に兵を貸し与えたエウローン卿──翠雅──だった。翠雅は立派な口髭と顎髭を蓄えた偉丈夫だ。濃い色の縮れた髪に白いものが多く混じっている。
その彼の立っている場所にまで什智の癇癪を起こした声が聞こえてきた。他人の兵を私物のように使って、捜せ、捜せと喚き散らしている。グローヴ領主の癇に障る声は耐え難いものがあった。仮にも領主ともあろう者が、外聞もそっちのけで他人の兵士に当たり散らしているのだから始末に負えない。
まさに見苦しいとしか表現のしようがなかった。
翠雅は背後に控える、長い白銀の髪を一つに結った、碧の瞳を持つ年若い男に声をかけた。
「グローヴ卿はおぞましい闇の妖精族まで手中にして、何をしようというのか。しかも手配書が回ってきたのは深夜だ。盗賊を裁く権はあるが、あそこまで焦っているのは何故か」
その言葉に青年は言葉を返した。
「は。わたくしめには分かりかねます。財宝を取り戻す為だとは伺いましたが、グローヴ卿の思惑がどこにあるのかまでは……果たして」
「財宝か……。あの男は懐を肥やす事しか考えておらぬからな。領民も不幸な事だ」
「それだけでは終わらぬでしょう。グローヴ卿は何かを隠しておいでです」
「それはなんだ」
翠雅はちらと背後に目を遣った。青い瞳が青年に向けられる。
それに対して青年は静かに碧の目を伏せると、黙って首を横に振った。それはどこか、溜息の混じりそうな顔だった。
そして本当に溜息をついたのは翠雅だった。青年から視線を元に戻して、
「あの慌てぶりからすると、ただ財宝を盗まれたわけではないのだろうな」
皮肉げな笑みを口元に貼り付ける。
「さて、グローヴ卿は一体何をするつもりなのか……だな」
「卿、それ以上は……。捕らえられた者はどんな理由があろうとも罪人です。罪人は等しく裁かれねばなりません。そして今、その権を持っているのはグローヴ卿です」
白銀の髪を持った青年はそう言って、形のよい眉をひそめた。
翠雅はそれを聞きながら、窓の外を眺め遣る。眼下では、兵士達が右往左往して逃げ出した罪人の捜索を始めようと、皆、砦から出て行くところだった。
それを眺める翠雅に、
「卿、滅多な事はお考えになりませんように」
青年は言った。
それを受けて翠雅はどこか楽しげに含み笑いを漏らした。
「城下におりてみたいものだな」
含み笑いを残しながら、ぽつりと言葉を零す。
翠雅の言葉に、青年は更に柳眉を歪めた。




