第5話 散歩という名の
隣に何者かの気配がし、目を覚ます。
「目が覚めましたか?」
女の声が横から聞こえてくる。
横に顔を向けるとシスター服を着た20代くらいの女がいた。
「……あんたは?」
「私はシャウストと申します。近くの教会でシスターをしています」
「ただの用心棒の俺に何のようだ?」
「ただの用心棒? 今の貴方はあの会場にいた貴族や商人の注目の的ですよ」
「何だと?」
「魔王軍四天王の一人を倒したと言う事で話題が持ちきりです。今代の勇者だとも言われていますよ」
「何が勇者だ……ただ俺はあいつとの賭けに勝っただけだ。もしあいつが約束を守らなかったら今頃、あそこにいた奴ら全員皆殺しになってた所だろうよ…………それに、勇者は俺じゃない」
勇者は後2年後に生まれてくるあの子だ。
俺なんかじゃない。
「所でお話があるのです。その魔王軍四天王はどのような能力を使っていたのか、その強さをお聴きしたいのです」
「……戦う前に会場全体を炎で包んだ。それ以外は分からない」
「なるほど」
一つ疑問が浮かぶ、
「というか、なんでタダのシスターがそんな事知りたがるんだ?」
「色々とあるのですよ、色々と」
そう言い、笑顔で俺を見つめる。
含みのある言い方だ。
特別な理由でもあるのだろうか。
「治療はしておきましたのでご安心下さい。では」
彼女はそう言い残すと部屋から出て行った。
──それはそうと、俺はどれくらい眠っていたのだろうか。
窓の外から月明かりが差し込んでおり、外を見ればその光がが街全体を照らしておりとても幻想的に見えた。
「入るぞ」
ガチャッ、と遠慮なくサイレスが入って来る。
「ノックぐらいしたらどうだ?」
「何だ、起きていたのか?」
サイレスは椅子にドカッと座る。
「無事で良かった、助かったぞ」
「えらく素直に感謝するじゃねぇか。小言の一つでも挟んで来ると思ったんだがな」
「……」
サイレスは黙り込む、いつもと様子がおかしい、何かあったのだろうか?
「何か、あったのか?」
「……なに、お前を心配した訳ではないが、死んでしまったら可哀想だな、と」
「は? 何だよ、ていうかあの時俺のことを息子って言ったよな? どういう事だ? つかあの時よく俺の意図が分かったな、ダメ元だったんだがな」
「グッ……まぁ……お前が勝つって事は、分かっていたからな。魔王軍四天王に勝った息子がヤバタ商会には居るって箔がつくだろう? 広告塔にもなると思ってな、利用させて貰ったまでだよ。……それにお前の考えている事などお見通しだ」
何でもなさげにそう答える。
「でも、お前が……死ななくて本当に良かった」
「気持ちわりぃぞおっさん? アンタはそんなしょげた顔してるより、人の悪い笑みをしてた方がよっぽど似合うぜ」
「チッ、せっかく心配してやったのだがな。今日はもう寝る、お前も休め」
サイレスは部屋から出て乱暴に扉を閉めた。
もう一度窓の外を眺める。広場では火を焚いており、眠れない人々がそこで会話しているのが見える。
炎、思い出すはあの無力感、圧倒的な実力差、恐怖で縛り付けられたあの黒いモヤ。
俺は弱い。今回は条件ありで本当に運が良かったから撃退出来ただけだ。
次、本気の殺し合いってなると確実に負けるだろう。
嫌だ、死にたくない。
急に体が震え始め、心臓の鼓動が速くなる。
胃から胃液がせり上がって来る感覚がする。
怖い、怖い、死にたくない。
涙が流れ落ちてくる。
今日始めて身近に死を感じた。自殺した時は死にたいと思っていたから大して恐怖は感じなかった。
しかし今は違う、まだ何も出来ていないのに、勇者を助けなければいけないのにこのザマ。
俺は強い人間じゃない、みんなが称える勇者なんかじゃない。
元はタダのトラック運転手なんだ、タダのダメ人間なんだ。
考える度にこの世界で生きてきたデルシオンという男のハリボテがベリベリと剥がれ落ちていく音が聞こえる。
……でも、俺だけじゃない。彼女も元はタダの高校生なんだ。
そんな子が戦えるのか? そう思うと落ち着いてくる。
そうだ、俺がこんな所で泣き言を言う訳にはいかない。俺が勇者の助けになる為に、強い人間にならないといけないんだ。
俺はこの世界では春山広大ではない、デルシオンなんだ。
デルシオンは弱音を吐かない。
もっと強くならなくてはならない。
その為には──
翌朝、荷物をまとめて宿の外へ出るとサイレスが一人、宿の前で立っていた。
「おい、どこへ行くつもりだ?」
「いや、ちょっと散歩に」
「そうか、少し待っておけ」
サイレスは宿近くに停めた馬車の荷台に乗り込む。
少しした後、少し大きめな革袋と一本の大剣を重そうに抱えてきた。
「どうしたんだ? それ」
「散歩には色々と準備が必要かと思ってな」
そう言うとそれらを俺に押し付けてくる。
「革袋には食料品と生活用品、今まで預かっていた用心棒として働いた10年分の給料が入っている」
「は? 俺はただ散歩だって」
「分かっている、散歩だろう? そうだその剣を抜いてみろ」
俺は鞘から大剣を引き抜く。
その剣はとても重く、刀身を見つめる俺を鏡のように写す。
「これはな、ヴァルナチア帝国に友人の鍛冶屋が居るのだがそこで打って貰ったものなんだ。特殊な技術でミスリルとアダマンタイトの合金でできた大剣だ。散歩には必要だろう」
”ヴァルナチア帝国”
軍事力が突出しており無敵艦隊を有しているという国だ。
何故俺にそんな剣を? 散歩だと言っているのだが。
「だから無事に帰ってこいよ」
バレていたのか。
俺は昨日の夜、強くなる為に旅に出ようと決心した。
勇者の助けになる為に。死なない為に。
バレないように早朝に出ようと思ったのだが、バレていたようだ。
「心配すんなよ、何事も無く帰るよ。じゃっ」
「そうか……行ってこい! 広告塔としてウチの商会を宣伝してこい! たまにはその成果を報告しに来るがいい!」
彼の表情はいつもの様な悪い笑みだ。しかし、その瞳の中に確かな温もりのような物を感じた。
俺は背を向け歩き出す。
ここから始まる散歩は長く、険しい物になるだろう。
俺はデルシオン、タダのデルシオンだ。
でも、こいつの前でなら強がらなくても良いのかもしれない。