06
「え、いさ兄……? なんで、」
「春日井君!? なんでここに……!」
「あの、あのね! わたしたち、別にこの子になにかしようとしてたわけじゃないのよ!?」
「ちょっと、そう、ちょっとお話がしたくて……!」
麻央の疑問の声は必死な声にかき消され、勇の耳に入ったのは彼女たちの言い訳ばかり。その言い訳にだいぶ無理があることに、自分たちではもう気付けていないのだと思う。
しかし勇はまるで先輩方など見えていないかのように、じっと後ろにいる麻央だけを見ていた。麻央の知っているどの様子とも違う彼に、居心地の悪さを感じたじろぐ。
「俺、麻央に用があるんだけど、……用事終わった?」
彼女たちは一瞬だけ不満げな顔を浮かべつつもいつにない勇の様子に圧倒されたのか、うなずいて足早に退散していく。けれど出ていく直前、勇にばれないよう麻央を睨みつけて行った。バラしたら承知しない、そう言いたげな目だった。
もとより勇に詳しくを話すつもりなかったからどうだっていいけれど。
勇に改めて向き直った麻央に、けれど彼は口を閉ざしたまま。
「……いさ兄、あたしに用があるの? というかなんでここに?」
「…………担任がここで授業した時忘れ物したから取ってこいって使い走り頼まれた」
一向に話し出そうとしない勇に、麻央から話しかけると返答があった。しかしそれは棒読みではないけれど感情の感じられない声。
それで立ち聞きしてたのー? 趣味わるーい、なんて。からかうこともできない。
「じゃあ、あたしに用っていうのは……」
「今できた。……過去って、どういうことだよ」
この人いつから立ち聞きしてたんだろう。
勇が教室内に入ってくる。彼が教壇の上に置かれていたミニラジカセから伸びるぐちゃぐちゃに丸められただけのコードをまとめ始めたのを見て、麻央はあくまで軽い調子で答えた。
「過去は過去だよー。あたしはいさ兄が好きだったけど、今は恋愛感情持ってないの。もちろん、従兄のお兄ちゃんとしては好きだけどねー?」
ぴくり、手を止めた彼の横顔が少し、歪む。
「興味ないとか、好きじゃないとか、言うなよ」
「…………なんでそんなこと言うの? いさ兄には関係ないよ?」
軽い口調が消え、重みのあるトーンで麻央の口から言葉がもれた。
勇が見ているのは麻央であって『麻央』でもある。当然だ、どちらもあたしには間違いない。でもあたしは『麻央』じゃない、麻央だから。彼女に耐えられたことや平気なことが、あたしにもそうだとは限らない。
「あたしは麻央だよ、でも『麻央』じゃない」
……嫌われてるのわかってて想い続けられるほど強くないの。小さく呟いて、ハッとする。
そう、そうだった。結局はそういうことなのだ。
優しすぎるくらい優しい勇の近くにいて、どうして惹かれずにいられようか。驚きながら、戸惑いながら、それでも少しずつ少しずつ麻央を受け入れてくれるようになった勇を、どうして好きにならずにいられようか。親戚付き合いというものがあるから完全には拒否できなかっただけで本当は嫌われている、そうわかっていても心を制止する術を麻央は知らなかった。
出逢いイベントが麻央のせいで潰れてしまったと気付いた時、胸を撫で下ろしていた自分は、勇を好きだと想う気持ちに蓋をできなかった部分の自分だ。――強制力のようなものが働くことなく、勇が自由でいられるようにと願っていた自分も、また。
「あたしはいさ兄が好きだった。それがすべてだよ」
好きだった、なんて本当は嘘。今も好きで、きっとこれからも好きで。だけど勇の特別になることはできないとわかっているから、そんな風に思っていることを知られてはいけないから。だから心を過去に偽ることくらい、どうってことない。だから安心して。あたしの傍を離れて行かないで。
そんな風にすべてを呑みこんで、麻央は笑った。けれど。
「…………、なよ」
「え?」
「……んな風に過去にしないでくれよ……っ!」
勇がらしくなく声を荒らげた。麻央は驚いてそれにびくりと肩を揺らし、目を瞬かせる。
彼女の様子に勇がハッと視線を泳がせた後、重たい口をゆっくりと開く。小さな声で紡がれる話に、麻央は聞き漏らすことがないよう静かに耳を澄ませていた。
「べたべた引っ付いて来る麻央のこと大嫌いだった。……高校入試が終わった途端に人が変わったみたいにそんなことなくなったけど」
でもだからこそ気付いたんだ、と。
「束縛されるより、束縛する方が好きだって」
「……うん?」
思わず耳を疑った。彼の顔を見たが冗談を言っている様子はなく、思いつめたような真剣な表情。
どうにも今日の勇にはツンデレスイッチがついていないらしい。それどころか、なにか入れてはならない別のスイッチを入れてしまった感が、ある。
「俺は麻央が好きだ。麻央も俺が好きだろ?」
「え、あ、はい……?」
手に持っていた物を放り出して鬼気迫る勢いで近づいてきた勇に押され、麻央は流されるままにうなずく。本当の心を隠すとか、傍にいるためなら偽るくらいなんでもないとか、そんなことは完全に頭から飛んでいた。
麻央がうなずいたのを確認すると、先ほどまでの悲壮な表情はどこへやら。パッと勇の顔が輝き、でもまた沈痛な表情になる。今日のいさ兄は感情豊かだなぁ、なんて考えたのはただただ現実逃避。
「それを麻央が受け入れてくれるんなら、俺はきっと昔の麻央みたいになる。その覚悟、あるか?」
「…………え、ーと、うーんと、ほどほどで……」
目の前にいるこの人誰かな、ホントにいさ兄かな。というかほどほどってなんなんだ自分。なにを口走っている。
でも自分の言葉を覆す時間もなく、再び顔を輝かせた勇の口から聞いたこともないほど甘い声で麻央、と呼ばれ、そのままギュッと隙間なく抱きしめられる。それは少し痛いくらいの力がこもっていて。文句を言おうにもそれにすら愛しさを感じてしまっているのだから、これはもういろいろ末期としか言いようがなく、しょうがない。
麻央も彼の背に腕を回して少しだけ力をこめたら、さらに力のこもった抱擁で返された。
「麻央は、俺だけの麻央だ」
耳元で囁かれた言葉は、ぞくりとするほど甘くて。ぞわっとするほど一途で。
悪役一直線お断り! そう掲げてから一年とちょっと。目標は達成したようだけど、なにやら別の苦難が待ち受けていそう。……ほんの数分前までのあたしの必死の覚悟、どこいった。
END.
第三弾終、了!
急展開に次ぐ急展開な終わりで……さて、ドウシテコウナッタ!
一応第五弾まで設定作りは終わっているのですが如何せん重要な中身が、……(白目)
第四弾に続くのか!?
乞うご期待!(おい)